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饗狼傭兵団戦記 〜腹を満たすまで〜  作者: 影道AIKA


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221/233

第221話 蒼口の試し

訪問ありがとう。今日は少し静かな足運びを読む回です。派手さはないけど、こういう回もじわっと楽しんでもらえたら嬉しいです。

本文

夕方の光は、物の輪郭を少しだけ甘くする。


昼のざわつきが引いた広場も、今は朝とは違う静けさを持っていた。騒ぎが収まった静けさではない。何をどう動かすかを、一度腹に落とした後の静けさだ。


赤、灰、茶の布を結んだ三本の棒は、まだそのまま立っている。


水場寄り。

火場寄り。

南壁寄り。


受け取りはほとんど終わったが、ガラムは棒を抜かせなかった。夕方にもう一度、何も配らず同じ並びを踏ませる。そのためだ。


場に覚えさせる。

人に持たせない。


その理屈は、昼の時点では半分ほどしか伝わっていなかった。だが、実際に一度流してみたことで、集落の者たちもようやく形で飲み込み始めていた。


広場の端では、鍛冶場の親父が腕を組み、例の荷車を睨んでいる。御者も横の男も、若い男も、まだ外へ返してはいない。縛ってはいないが、放ってもいない。近づく者の目が届く場所で、ただ座らせてある。


それが、妙に効いていた。


騒ぎにすれば相手は口を得る。

だが放っておけば、向こうの方が口を探し始める。


ディノが壁際から戻ってきた。


「北の水路沿いを行った奴、戻ってきてない」


「町道へ戻った方は」


「枯れ木のとこで別の二人と合流した。こっちまでは来てない」


ガラムは頷いた。

直接手を出せないと見て、外で次の口を組み直しているのだろう。


「夜に来るか」


ディノが聞く。


「来るなら、足じゃない」


「口か」


「ああ」


ガラムは広場を見渡した。


今、相手が欲しいのは中へ踏み込む足場ではない。中から勝手に揺れる口だ。見た、聞いた、そうだった気がする、たぶん先に並んでいた。そういう曖昧な言葉が一つでも割り込めば、せっかく刻み始めた順がまた薄くなる。


だから次は、言葉を試してくる。


「始めるぞ」


ガラムが声をかけると、集落の者たちが三本の棒へ、昼と同じように散り始めた。


赤へ三人。

灰へ四人。

茶へ二人。


何も持たない。

何も渡さない。

ただ立って、呼ばれ、動く。


最初は妙な顔もあった。

夕方に、配る物もないのに並ぶなど無駄に見える。だが、その無駄を一度飲ませることが大事だった。腹のための順を、腹が減っていない時にも同じように踏めるかどうか。そこが曖昧だと、次に急かされた時、すぐ崩れる。


薬草婆が、並びを見ながら鼻を鳴らした。


「昼より揃ってるね」


「二度目だからな」


エドが答える。


「一度足で覚えた流れは、口で聞くより早い」


「それでも口は混ぜに来るよ」


婆の言葉に、ガラムは視線だけで頷いた。


その時だった。


広場の入口から、女の声が上がる。


「ちょっと待ちな!」


皆の目がそちらを向く。


やって来たのは、この集落の者ではあった。洗い場を手伝う中年女だ。働き者で、口も回る。普段なら頼りにされる側の顔だった。だが今は、目の動きが少しだけ忙しい。


「その並び、昼と違うだろ」


女が言う。


「灰のとこ、さっきは先に五人いたよ。今の並びじゃ順が食い違う」


広場に、ほんのわずかな揺れが走る。


強い揺れではない。

だからこそ厄介だった。


露骨な嘘なら、はねやすい。

だが、半分だけ本当らしい言い方は、聞いた者の腹をざらつかせる。


エドが口を開きかけたが、ガラムは手で止めた。


「違う」


それだけ言う。


女がすぐ返す。


「違わないよ。私、見てたんだ」


「どこで」


「水場の脇でさ」


「なら灰布の列尻は見えない」


女の口が、ぴたりと止まった。


灰布の棒は、昼に火場寄りから少しずらしていた。水場脇からだと頭は見えても、列尻までは見通せない。しかも夕方は、棒の位置をほんの半歩だけ動かしている。見ていた者なら、その“半歩のずれ”にまず引っかかるはずだった。


ガラムは続ける。


「昼と同じじゃない。少しだけ刻みを変えてる。見てたなら、そこから言う」


女の喉が動く。

言い返そうとして、言葉を探している。


ディノが低く呟いた。


「試しだな」


「だろうな」


ガラムも小さく返す。


外の者が言うより、内の口で言わせた方が効く。しかも選んだのは、ふだん頼られやすい顔だ。汚いが、うまい。


女はようやく声を絞り出した。


「でも、順がずれてるように見えたんだよ」


「見えた、ならそう言え」


ガラムの声は低い。


「見た、と言うな」


広場が静まる。


誰も女を責めない。

誰も庇わない。

その代わり、言葉の置き方だけがはっきり分けられた。


見た。

聞いた。

たぶん。

そう見えた。


その差を曖昧にしたまま積めば、やがて全部が濁る。濁れば、順は差し替えられる。だから今ここで切る。


女は目を伏せた。

誰かに脅された顔ではない。頼まれて、少し口を滑らせた。その程度だろう。だが、その程度で十分崩れる場を、相手は狙っている。


薬草婆が、わざとらしく肩を竦める。


「見えたなら見えたでいいじゃないか。次は、どこから見えたかも一緒に言いな」


女は何も返さない。

そのまま広場の端へ下がった。


追わない。

問い詰めない。


ここで責めれば、今度は“口を塞いだ”という別の理屈を運ばれる。だから責めず、ただ置き直す。言葉の順だけを置き直す。


エドが息を吐いた。


「やっぱり内側の口を借りてきたか」


「まだ軽い」


ガラムは言う。


「軽いうちに切れたのはいい。重くなる前に、皆に覚えさせる」


「何をだ」


「言葉にも順があるってことだ」


それは、昼の荷車や木札と同じ話だった。


先に札があるから順になるんじゃない。

先に順があるから、札がただの札で済む。

同じように、先に場があるから言葉は補いになる。だが場が曖昧なままだと、言葉が先頭に立ってしまう。


それを許せば、声の大きい者が順を持つ。


ガラムは赤布の棒の脇へ立ち、わざと皆に聞こえるように言った。


「もう一度だけ回す。今度は、並ぶ前に見る。自分の位置だけじゃない。棒の位置、前後の顔、出入り口からの見え方。全部だ」


何人かが怪訝そうな顔をする。

だが、言われた通りに周りを見る。


広場は、ただ並ぶだけの場所ではない。

どこから見えるか。

どこが見えないか。

誰が“見た”と言いやすいか。


そこまで含めて、場だ。


二度目の並び直しが始まった。


今度は昼よりさらに滑らかだった。

足が迷わない。

視線が泳がない。

誰がどこに立つかより、棒と間合いを先に見る者が増えている。


その変化を見て、ガラムは内心で少しだけ息を緩めた。


効いている。


外の理屈に勝ったわけではない。

ただ、外の理屈が入り込む隙間が少し狭くなった。それだけだ。だが今は、それで十分だった。


夕日の色が、赤布を濃く染める。

灰布は影に沈み、茶布は土とほとんど同じ色になる。


見えやすいもの。

見えにくいもの。


その違いまで、場は覚え始めている。


広場の外れで、座らされていた若い男が、ぼそりと吐いた。


「面倒くせえ集落だな」


ディノが聞きとがめ、笑う。


「そう見えるか」


「たかが受け取りだろ」


「たかが受け取りで済まなくしたのは、お前らだ」


若い男は舌打ちして黙る。


ガラムは三本の棒を見たまま思う。


次はもっと巧く来る。

“見えた”ではなく、“聞いた”かもしれない。

あるいは、“あいつがそう言っていた”と口を渡してくるかもしれない。


なら、その前にいる。

見たと言うなら、どこで見たのか。

聞いたと言うなら、誰から聞いたのか。

順は荷だけじゃない。言葉にもある。


狼は腹で走る。

群れは順で持つ。

そして順は、物にも口にも同じように必要だ。


夕方の並びが終わる頃には、もう誰もこれを無駄とは思っていなかった。


何も配っていないのに、皆の顔には昼より確かな落ち着きがある。

持たなくていいものを持たず、決めなくていいものを急いで決めない。

その感触が、ようやく広場全体に回り始めていた。


それでも、まだ終わりじゃない。


順が場に刻まれ始めたなら。

次に来るのは、その順を言い換える口だ。


そして口は、荷車より静かに入ってくる。

最後まで読んでくれてありがとう。物だけじゃなく言葉にも順がある、って感覚はこの辺から効いてきます。次もじっくり楽しんでもらえたら嬉しいです。

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