表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
饗狼傭兵団戦記 〜腹を満たすまで〜  作者: 影道AIKA


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/90

第022話 峠の鹿影

立ち寄りありがとう。深呼吸をひとつ、

今日の体と心を整えていこう。

更新は毎日11:00予定。

朝の冷えがまだ指先に残るうちに、浅い峠へ踏み入った。岩は白く乾き、低木は針のように細い影を落としている。風は北西。帆布は締め、荷は軽いほうを上へ。合図は指で足りる。

「足跡、三つの幅。昨日の風で半分消えてる」ライラが膝をつき、砂粒を指で転がす。

「獣の交差だ。小さくて速いのと、少し重いのと」カイが答える。「……重いのは鹿だな」

 峠の肩を回ると、灌木の間に薄い擦れ跡が続いていた。角で枝を磨いた痕。樹皮が新しく剥け、樹液が固まりきっていない。近い。

 商人が御者台から小声で言う。「道が腹に報いる日だといい」

「腹は走らせるために使う」ヴォルクは短く返し、手で隊列の間隔を少し広げた。「鏡と塵、確認」

 塵はない。鏡の閃きもない。峠はただ、風と石と針葉の匂いだけを運んでいた。


 岩棚の陰で一度止まる。バルドが荷から平たい黒石を二枚取り、火で温度を上げる。煙は上げない。ミーナは水を一口だけ使って手を清め、腰の小刀を布で拭いた。

「来るなら、いま」

 カイが身を低くし、灌木の間に目を流す。茶の影が一つ、止まっては二歩進み、また止まる。首を傾げ、風を嗅いでいる。距離、二十を切る。呼吸を半に折り、弦を引く。短い静寂――矢は音を持たず、影が岩陰へ崩れた。

「一矢」ライラが指で丸を作る。「回収、手早く」

 バルドが肩で抱き、ミーナが喉に指を当てる。血は少なく、息はすぐに消えた。鹿の体温が手のひらに残るうちに、二人は無駄なく動く。皮を半分だけ剝ぎ、脚の良い部位を外し、残りは岩陰へ運ぶ。骨と皮は浅く掘って埋め、土を固めて石で印を消す。匂いは草で拭い、針葉を揉んで手に擦り込んだ。

「跡は短く、影は長く」ライラが立ち上がる。「石は温まってる?」


 黒石は、表面に白い息が出るほど熱かった。ミーナは鹿肉を掌ほどの厚みに切り、塩を控えめに振る。乾いた香草を指で揉んで粉にし、表面に薄くまぶした。ラードは使わない。肉の脂だけで足りる。

「香りは鼻で、塩は舌で。喉は水を欲しがらないように」

 じゅ、と短い音。鹿の脂が石の上で薄く光り、香草が焦げる前に香りだけを立てる。片面を短く焼き、返し、火から離して休ませる。中は温かく、血は走らない。

 バルドが小さな端を摘み、鼻で息を抜く。「軽いのに、力が出る」

「鉄の匂いは薄い。歩くための肉だ」カイが頷き、周囲へ視線を流す。


 分けるのは薄く、広く。木板の上に紙片を敷き、焼けた面を下にして冷ましながら配る。商人はひと口だけ噛み、「数字が遠くまで運べる味だ」と小さく笑った。

「帆布の下で、残りを薄く削って干す。昼の風で半分、夜で半分」ミーナが段取りを口にする。

「匂いは風下へ。干し網は影で隠す」ライラが針葉を束ね、網の上にかぶせた。


 峠の背を越える頃、灌木の根元に細い藍の糸が絡んでいるのをカイが見つけた。短い結び、三度の縒り。見覚えのある染めだった。

「港の色だ。ここにも手が伸びてる」

「糸は嘘をつかない」ヴォルクは糸を土に埋め、影で印を消した。「だが、道は選べる。今日は選んで行く」

 峠の裏側は斜面が緩く、石は角を丸めていた。午の少し前、浅い窪地に出る。岩の割れ目に水が指三本ぶんだけ溜まり、周囲の苔が暗い緑をしている。

「水は器を湿らす程度。干し網に霧を通す」ミーナが手を伸ばす。

 鹿の薄切りは、風に当たりながら少しずつ乾き、香草の粉が表で落ち着く。噛めば香りが先に立ち、塩気は後ろから追いかける。


 午後、隊は斜面を下り、砂色の盆地を横切った。遠く、石を積んだ古い狼煙台の肩が欠けている。ライラが片手を上げて警戒を示す。人の気配はない。土の崩れ方は古い。

「夜は風下の低木へ。灯は一つ」ヴォルクが決める。

 日が傾く。干し網の鹿肉は、表が乾いて中は柔らかい。ミーナは薄く裂き、残った生肉をさらに細く刻んで香草と合わせ、小さな塊にして焼いた。石はまだ温い。表だけ焦がし、紙片で包んで携行に回す。

「明日の昼に噛めるように」ミーナが言う。

「生きてたら、増やせ」ライラがいつもの言葉を返す。


 夕刻、岩陰に帆布を張って風を避け、火を猫の尻尾ほどに細くした。香草焼きの端を皆でひと口ずつ確かめる。鹿脂は軽く、針葉の香りが短く鼻を抜ける。喉は水を欲しがらない。

 商人が帳面を開き、今日の勘定を書きつける。「鹿一、干し肉増し、歩幅安定。――噂にせず、数字にする」

「噂は風。紙は腹に乗る」ヴォルクは短く言い、見張りの順を示した。「一刻で交代。合図は指で足りる」

 星が出た。峠の風は冷たいが、腹の中には温かい柱が立っている。香草の香りは短く残り、やがて夜の底へ沈んだ。

読了感謝。ブクマ・評価が次の筆を軽くします。

最近ハマっている調味料を一つ教えてください。

また明日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ