第015話 包囲の危機
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朝の風は冷たかったが、地平は砂色の煙で曇っていた。砦の胸壁から南を見下ろすと、黒い点が等間に並ぶ。盾の壁、丸太の束、帆布で覆った移動柵。昨夜に失敗した連中が、今度は形を整えて押し寄せるつもりだ。
「列は三。間が揃ってる」カイが目を細める。「角笛じゃなく旗で合図だ。色は藍と土」
「矢の節約を覚えたか」ヴォルクは短く言い、土嚢の縫い目を足で踏み固めた。「こちらも学ぶ。撃つのは布と旗だけ。人の胸は要らん」
井戸の底は、昨夜より一段浅くなっている。吊り桶の鍔が石に触れる音が乾いた。
「水は昼で一度。配分は半刻ごと、喉で数えて」ライラが指を三本立てる。「交代は短く。影に入ること」
バルドは柵の杭を肩で押し、細いひびに楔を打ち込んだ。「丸太が来たら、足を斜めに。受けて折る」
兵舎の隅で、ミーナが小鍋を二つ並べた。ひとつは干し魚をほぐして白い渦をつくり、もうひとつは小袋から出した乾いた貝と砕いた麦を入れる。香草は指で揉んで、最後にほんの少しだけ乾いた柑橘の皮を砕いて落とした。
「港町のやり方らしいです。水は少なく、粥は柔らかく。香りで腹を起こす」
湯気は軽く、潮の記憶を運んだ。白身の旨味が麦の甘みをやさしく包み、柑橘の皮が舌の上でかすかに跳ねる。
バルドが木椀を受け取って鼻で笑う。「海の匂いだ。荒野で迷子になった気分だが、腹は帰ってきた」
「塩は控えめに。喉の渇きが怖いから」ミーナは頷き、器を次々に渡す。
カイは湯気越しに南を見る。「――動いた。移動柵が前へ。旗は土色。矢よけの前駆」
「合図は二つ。土と藍が交互。正面を見させて、側を締める」ライラの声が低くなる。「包囲の輪を、目で締めるやり方」
昼の手前、丸太を抱えた列が一度だけ近づき、石壺の泥で足を鈍らされると、すぐに遠巻きへ退いた。砦は小さい。小さい分だけ、相手は焦らず輪を狭められる。午後につれ、黒点の間は詰まり、狼煙の灰は新しく重なっていった。
「援軍は二日目の終わり。契約ではそうだ」ヴォルクは指で胸壁を叩く。「輪が閉じる前に、穴を開ける」
ライラが地図に針で小さな傷をつける。「輪は南東が薄い。小さな丘と乾いた溝。旗は行き来に時間がかかる」
「夜なら、灯は数を誤魔化せる」カイは矢羽根を撫で、弦の感触を確かめた。「俺が目を開けて、帰り道を縫う」
「その前に腹を落ち着かせる」バルドが空の椀を掲げる。「走る腹は、静かで軽い」
日影が長く伸び、粥の残りは携行用に固められた。ミーナは布を湿らせ、乾いた柑橘皮をさらに砕いて小袋に分ける。「戻りの息を整える香り。噛むだけで喉が落ち着きます」
「良い。夜の作戦、決める」ヴォルクは全員の目を一度ずつ見た。「狙いは旗と合図役。輪の一辺を黙らせ、柵を焼く前に壊す。火は使わない。煙で居場所を売るな」
「足は軽く、影は長く」ライラが言葉を継いだ。「間違っても追わない。穴が開いたら、開いたぶんだけ呼吸する」
夕刻。胸壁の灯は一つに減り、板と布がまた影を増やす。外の黒点は、数が合わない。見せ駒か、本当の増援か。どちらでも、輪は出来上がりつつある。
ヴォルクは風向きを確かめ、指を二度、静かに鳴らした。「出る」
粥の温かさは腹の底で細い線になり、足に力を通した。潮の記憶は喉を潤したまま、夜の口へ沈んでいく。
小さな砦の影が、荒野にもう一度、長く伸びた。
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