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饗狼傭兵団戦記 〜腹を満たすまで〜  作者: 影道AIKA


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第129話 蒼静の稜線

訪問ありがとう。音が消える場所ほど、物語は深く進みます。

蒼岐の峠を越えた先で、山は急に口数を減らした。

 風はある。空も近い。

 だが、音だけが落ちている。“蒼静そうせいの稜線”。

 登り切った者だけが立てる、高みの“無言”。


 稜線は細く、左右は切れ落ちている。

 足場は安定しているのに、気を抜けば心が先に揺れる。

 山はもう、力を試していなかった。

 “在り方”だけを見ている。


「塵なし。鏡なし。……音がない」

 カイは自然と声を落とす。

「峠を越えた。今日は静が舌」

 ライラは歩幅を測らず、ただ呼吸だけを合わせた。


 稜線の中央、岩と空の境に、ほとんど輪郭だけの“静守せいもり”が立っていた。

 腰紐に藍はない。

 掌には、色も重さも感じさせない“静核せいかく”。


「ここは静の稜線。

 足は進むが、心は留まる。

 ……通るなら、この核を“持たずに持て”」


 バルドが一瞬だけ眉を動かす。

「持たずに?」

 静守は答えない。

 ただ、静核は宙に留まったまま、落ちない。


 ライラが前に出て、核に触れず、間合いだけを合わせる。

 呼吸を半拍、落とす。

 その瞬間、核は“そこにある”と理解できた。


「谷へ二、丘へ一。保持は半手で」

「覚えた」


 核は消えず、だが誰の手にも渡らなかった。

 それで十分だった。


 ミーナは火を使わない。

 黒石を布に包み、木鉢を据え、布袋の水をひとすくい。

 “旅酵たびこう”を指の腹だけ落とす。

 焙り麦をひとつまみ、岐片粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。


「“静守りのすすり”。湯気は出さず、温いで止める」


 酸は跳ねない。

 ただ、胸の奥へ静かに沈んでいく。

 カイがすすり、目を伏せる。「軽いのに、腹に柱が立つ」

 商人は何も言わず、稜線の先を見ていた。


 稜線の地には、藍の点がほとんどない。

 代わりに、薄い“余白”だけが続いている。

「粉の囁きは沈む。舌は静」

 ライラの声は風より低い。

「濡れ布の揺れなし。目は遠い」

 カイは肩を切り、ただ進む。


 静守が、気配だけで“静片せいへん”を示す。

 ミーナはそれを“あるもの”として包んだ。

「器に沈めれば、味が整います」


 正午前、稜線の風裏で休止する。

 火は使わず、“静守りの薄”を裂き、静粉を押し戻す。

「噛まずに舌で広げる。心が動かなくなります」

 ミーナの言葉に、誰も頷かなかった。

 必要なかった。


 午後、稜線が緩やかに下りへ転じる頃──

 遠い肩で、黒い点が一度だけ揺れ、すぐ消えた。

 鏡ではない。濡れ布でもない。

 目はいるが、舌は遠い。


「静は眠った。耳は届かない」

 ライラがそう告げた時、声はもう山に吸われていた。


「良い。越えたな」

 ヴォルクはそれだけ言い、隊を二列に整える。

 御者台へ親指を立てる。「合図は指で足りる」


 夕刻、蒼静の稜線を背に帆布を張る。

 灯は一つ。影は増えず、必要のない夜。

 器に静片を沈め、“薄り”を温いまで起こす。

 湯気は立たず、酸はただ在る。


 御者台で商人が短く記す。

「本日の勘定:蒼静の稜線、保持、静片。歩幅、維持」

「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」

 ヴォルクの言葉に、稜線が何も返さなかった。


 星が出る。

 静は背後に残り、道はゆっくりと“下り”を選び始めていた。

最後まで読んでくれてありがとう。何も感じない瞬間の記憶があれば、それも大切な旅の一部です。

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