第125話 蒼嶺の初登
深呼吸をひとつ。初登は“力の配分”を学ぶ合図。
蒼峙の山門を背にすると、道は一気に細くなった。
登りは急ではない。だが、歩幅を誤せばすぐに“重さ”が追いつく。
空気は薄く、冷えはまだ浅い。“蒼嶺の初登”。
山は高いが、威圧はない。ただ、黙って立っている。
「塵なし。鏡なし。……息が一段、遅れる」カイが呼吸を合わせる。
「峙を越えた。今日は嶺が舌」ライラは斜面に手を置き、返る拍を確かめた。石は硬いが、奥に柔らかい層がある。
登りの要所に、岩と空の境目に溶けるような外套をまとった“嶺守”が現れた。
腰紐に藍はない。掌には、軽くも重くも見える“嶺核”。
「ここは嶺の初登。
力は半分、息は倍。
……通るなら、この核を“背に預けよ”」
ヴォルクが短くうなずく。「借りる腹は返す足で」
バルドが嶺核を背負い紐に結ぶ。重さは変わらない。だが、歩くと“負荷が分散”される。
ライラが隊の歩幅を刻む。「谷へ二、丘へ一。預けは半手で」
「覚えた」
嶺守は答えず、ただ道の先を示した。
ミーナは火を使わない。
黒石を布に包み、木鉢を据え、布袋の水をひとすくい。“旅酵”を指の腹だけ落とす。
焙り麦をひとつまみ、峙片粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“嶺守りの薄り”。湯気は出さず、温いで止める」
酸が短く跳ね、冷気と混ざる。
カイがすすり、胸の奥が軽くなる。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は斜面を測るように見つめる。「歩幅を稼ぐ味だ」
嶺の道には、藍の点が“線”になって続いていた。
「粉の囁きは沈む。舌は嶺」ライラが線の拍を拾う。
「濡れ布の揺れなし。目は遠い」カイが肩を切る。「輪になる前に抜ける」
嶺守が薄い“嶺片”をミーナへ渡す。
「器に沈めれば、味が呼吸を助ける」
「受け取ります。峙片と重ねます」ミーナが丁寧に包む。
正午前、風を避ける岩陰で休止する。
火は使わず、“嶺守りの薄”を裂き、嶺粉を押し戻す。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。息が整います」ミーナが配る。
バルドは背に預けた核の重さを確かめ、呼吸を合わせた。
午後、雲が一段下がり、視界が開けたころ──
遠い肩で黒い点が一度だけ揺れ、すぐ消えた。
鏡ではない。濡れ布でもない。
目はいるが、舌は遠い。
「嶺は眠った。耳は届かない」ライラが告げる。
「良い。初登は越えた」
ヴォルクは隊を二列に整え、御者台へ親指を立てる。「合図は指で足りる」
夕刻、蒼嶺の中腹に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさず、必要のない夜。
器に嶺片を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は立たず、酸が胸の奥で静かに働いた。
御者台で商人が短く記す。「本日の勘定:蒼嶺の初登、背預け、嶺片。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」
ヴォルクの声に、嶺がひとつ低く応えた。
星が出る。
初登は終わり、さらに高い層が、静かに待っていた。
読了感謝。登り始めの息の変化を覚えていたら、そっと教えてください。また明日。




