第124話 蒼峙の山門
深呼吸をひとつ。山門は“新しい深さ”への入口だよ。
蒼影の狭間を抜けると、空気が重たくなった。
湿りではなく、厚み。
前方には、巨大な壁のような岩肌がそびえ、道を塞ぐように立っている。“蒼峙の山門”。
岩は黒にも灰にも近いが、ところどころに蒼い筋が走り、まるで山そのものが呼吸しているように見えた。
風は山門の前で止まり、拍だけが地面を這う。
「塵なし。鏡なし。……深さが増えてる」カイが岩肌へ手を伸ばす。
触れた瞬間、指先に“重い拍”が伝わった。
「影も礫も過ぎた。今日は峙つが舌」ライラが岩筋の震えを確かめる。
山門の中央には、岩と同じ蒼筋をまとった“峙守”が立っていた。
腰紐に藍はなく、掌には固く締まった“峙核”。
「ここは山が立ち、道の深さが形になる門。
登る者は重さを知り、越える者は軽さを忘れぬ。
……通るなら、この核を“叩かずに鳴らせ”」
バルドが首をかしげた。「叩かずに鳴らす?」
峙守は答えず、核を静かに差し出した。
触れれば固い。押せば動かない。
ライラが前に出て、胸の拍を整え、核にそっと呼吸を合わせる。
その瞬間、核が“ひとつだけ低く鳴った”。叩いていない。
ただ、拍が通った。
「谷へ二、丘へ一。鳴らしは半手で」峙守が告げる。
「覚えた」ライラはその重い拍を骨に刻んだ。
ミーナは火を使わない。
黒石を布に包み、木鉢に据え、布袋の水をひとすくい。“旅酵”を落とす。
焙り麦の粉をひとつまみ、影片粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“峙守りの薄り”。湯気は出さず、温いで止める」
酸が静かに跳ね、岩の深さを思わせる香りが立った。
カイがすすり、胸の奥に一本の芯が通る。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は山門の揺れを見ながら呟く。「歩幅を稼ぐ味だ」
山門の地面には、藍の点が“押しつぶされたように平たい形”で散っていた。
「粉の囁きは沈む。舌は峙」ライラが平点に触れ、返る拍を聞く。
「濡れ布の揺れなし。目は遠い」カイが肩を切る。「輪になる前に抜ける」
峙守が淡い“峙片”をミーナへ渡す。
「器に沈めれば、味が締まり、揺れを持つ」
「受け取ります。影片と重ねます」ミーナが深く包んだ。
正午前、山門の影で休止する。
“峙守りの薄”を裂き、峙粉を押し戻す。火は使わない。
「噛まずに舌で広げる。胸が深く沈んで、また立ち上がります」ミーナが配る。
午後、山門がわずかに開き、細い“登りの道”がその奥に姿を現した。
その時──
遠い肩で黒い点が一度揺れ、すぐに消えた。
「峙は眠った。耳は届かない」ライラが告げる。
「良い。登りに備える」
ヴォルクは隊を二列に整え、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、蒼峙の山門を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増えず、必要のない夜。
器に峙片を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は立たない。
酸が胸の奥へ深く広がり、静かに“登り”の気配を整えていく。
御者台で商人が短く記す。「本日の勘定:蒼峙の山門、鳴らし、峙片。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、山門がひとつだけ低く鳴いた。
星が出る。
峙は眠り、登りの章が静かに始まろうとしていた。
読了感謝。山の前に立ったときの重さや静けさを覚えていたら、そっと教えてください。また明日。




