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饗狼傭兵団戦記 〜腹を満たすまで〜  作者: 影道AIKA


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115/170

第115話 蒼芽の谷

深呼吸をひとつ。芽の谷は“成長”の予兆そのものだよ。

蒼踏の新道をしばらく進むと、勾配がゆるやかに落ち込み、周囲の景色が緑へ近づいていった。

 光は柔らかく、風には土と草の混じった香り。“蒼芽そうがの谷”。

 地面は湿り気を帯び、踏むたびに軽く沈む。だが泥にはならない。土の下で、小さな拍が無数に息づいている。


「塵なし。鏡なし。……地の下で芽が鳴ってる」カイが足裏を確かめる。

「道も明も過ぎた。今日は芽が舌」ライラが土をすくい、指でほぐした。細かい“芽の殻”が混ざっていた。


 谷の中央、小さな丘の上に、淡い緑の外套をまとった“芽守めがみ”が立っていた。

 腰紐に藍はない。掌には、まだ固い“芽核がかく”が一粒。


「ここは芽が呼吸する谷。踏めば眠り、撫でれば起きる。

 進む者は軽く、戻る者は深く沈む。

 ……通るなら、この芽核を土へ返せ」


 ヴォルクがうなずき、御者台の商人へ視線を送る。「借りる腹は返す足で」

 バルドが芽核を受け取り、ライラが谷の土へそっと置く。

 芽核は沈まず、薄く光り、周囲の拍がひとつ揃った。


「谷へ二、丘へ一。返しは半手で」芽守が囁く。

「覚えた」ライラはその気配を骨に刻んだ。


 ミーナは火を使わず、いつものように黒石を布に包み、木鉢を据える。

 布袋の水をひとすくい、“旅酵たびこう”を指の腹だけ落とす。

 焙り麦の粉をひとつまみ、踏片粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。


「“芽守りのすすり”。湯気は出さず、温いで止める」


 酸が静かに跳ね、芽と土の匂いが膨らむ。

 カイがひと口すすり、胸の中央がふっと軽くなる。「軽いのに、腹に柱が立つ」

 商人が谷の脈を見ながら言う。「歩幅を稼ぐ味だ」


 谷の斜面には、藍の点はほとんどなく、代わりに小さな“芽筋”が土の中に走っていた。

「粉の囁きは沈む。舌は芽」ライラが芽筋をそっとなぞる。

「濡れ布の揺れなし。目は遠い」カイが肩を切る。「輪になる前に抜ける」


 芽守が淡い“芽片がへん”をミーナへ渡す。

「器に沈めれば、香りがひらく」

「受け取ります。踏片と重ねます」ミーナが丁寧に包んだ。


 正午前、谷の影で休止する。火は使わず、“芽守りの薄”を裂き、芽粉を押し戻す。

 香草は粉。塩は影。

「噛まずに舌で広げる。胸がゆっくり芽吹きます」ミーナが配る。

 バルドは谷の拍に合わせて深く呼吸した。


 午後、谷が開き、再び道が姿を現すころ──

 遠い肩で黒い点が一度だけ揺れ、すぐ消えた。

 鏡ではない。濡れ布でもない。

 目はいるが、舌は遠い。


「芽は眠った。耳は届かない」ライラが呟く。

「良い。歩幅は揃える」

 ヴォルクは二列に整え、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」


 夕刻、蒼芽の谷を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさず、必要のない夜。

 器に芽片を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は立たず、酸が胸の奥をやさしく撫でた。


 御者台で商人が短く記す。「本日の勘定:蒼芽の谷、芽返し、芽片。歩幅、維持」

「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの声に、谷がひとつ柔らかく鳴いた。


 星が出る。

 芽は眠り、道は前へ、さらに深い景色へ続いている。

読了感謝。芽吹きの匂いや記憶があれば、そっと教えてください。また明日。

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