第011話 南部の荒野
寄ってくれてありがとう。
涼を取りつつ深呼吸、今日の体と心に一回ずつ。
更新は毎日11:00予定。水分、忘れずに。
陽は低いのに、荒野の熱はすでに広がっていた。砂混じりの風が、道という名ばかりの褐色の帯を叩いては形を変える。空は乾いて澄み、遠くの地平が水面のように揺れている。
「水袋、三度目の点検」ライラが手短に告げる。革の口をひねる音が隊列のあちこちで重なった。
ヴォルクは先頭で馬の手綱をゆるめ、踏み跡を確かめた。「街道は目につきすぎる。川筋跡を拾う。影が多い」
干上がった川床は浅い谷のように続いている。白く割れた泥の斑に、時折、草の根が黒い糸を伸ばしていた。カイが谷の壁に身を寄せ、風見のように顔を上げる。
「前方二刻、土煙が三筋。速度は遅い。荷車か、輜重」
「ぶつかるな。砂丘の陰に入ってやり過ごす」ヴォルクの声は短いが、乾いた空気に良く通った。
半刻進んで、日陰が落ちる岩棚を見つける。そこでようやく休止が許された。ミーナが鍋を下ろし、川床の浅い窪みに並べる。皮袋から水を少しだけ取り、麦と砕いた塩漬け肉をぽとりと落とした。
「火は細く、長く。……大麦と塩、肉の脂で持たせます」
焚き火の炎は猫の尻尾ほどに小さい。それでも鍋が温まるにつれ、塩の角が丸くなり、肉の旨味が溶け出して湯気に乗った。素朴な匂いが岩陰に満ちる。
バルドが木椀を手にして鼻を鳴らした。「贅沢に香草は要らん。荒野は歯に力をやる味がいい」
「歯に力をやるのはあなたの癖ですよ」ミーナが笑い、匙で鍋底をそっとこする。「焦げを作らないのが今日の仕事です」
「焦げは香りだが、荒野では煙になる」ライラは地図に指を走らせ、砂丘の列をなぞる。「風向きは午後に変わる。川床はやめて、石地へ出るほうが安全」
カイは木椀を口に運びながら、目だけを遠くへ投げた。「……鉄の光。北東。日差しに弱い。塵の壁の向こうに、何かがいる」
「鏡で合図されたら面倒だ」ヴォルクは短く答え、鍋を覗いた。「早めに切り上げる。半分は口へ、半分は皮袋に。動きながら食う」
塩気がほどけた大麦の煮込みは、喉の奥でやわらかく広がった。体の底に一本、温かい棒を差し込まれるような感覚。腹が落ち着けば、目と耳が冴える。
「……うまい」バルドが言い、肩の力を一度抜いた。「塩が立ってるのに、喉が渇かない」
「麦が水を抱えてくれるから」ミーナは満足げに頷く。「午後に持つように、少し硬めです」
「持たせるのは腹だけじゃない」ライラは立ち上がり、砂丘の縁に軽く足跡を刻んだ。「痕跡は短く、影は長く」
ヴォルクは視線を空へ向ける。高く小さな鳥が輪を描く。獣ではなく、鉄と血を好む目つきだ。
「南は乾き、補給は間引かれる。砦が餓える前に着く。走りながら噛め」
鍋は火から離され、残りは布で包まれて皮袋へと移された。焚き火は砂で押し潰し、黒い点も残らないよう靴底でならす。荷は軽く、草の影以外は何も動かない。
隊は再び川床を離れ、地面に石が増える方へ角度を変えた。乾いた藁の束のような灌木の間を縫い、陽の光が剣の刃のように肩口を切っていく。
「煙、薄いのが一本」カイが小さく指を立てた。「焼いた瓦、もしくは……狼煙跡」
「狼煙ならば、見られている」ヴォルクは速度を落とさず答える。「見られた前提で、見えない角度を選べ」
バルドが砂地を踏みしめ、斧の柄を軽く叩いた。「夕刻までに石の丘へ抜ければ、夜は風下に眠れる」
「眠れるかどうかは笛次第」ライラは笑わない笑みで言った。「昨夜のように、合図の形は変わる」
午後、風が向きを変え、砂のさざ波が裏返った。行軍路の先に、削られた標柱が一本、斜めに立っている。表面の彫りは風に磨かれて薄い。辛うじて読める刻みは、カルディアの辺境印と距離の数。
「――砦まで一日と半。急げば日暮れに外郭」ライラが指で砂を払う。
ヴォルクは頷き、手を上げた。隊は一列から二列へ、速度を少し上げる。靴底の砂の音が揃い、呼吸が揃う。空はどこまでも青く、遠くで鳥が一声だけ短く鳴いた。
荒野は何も与えない。だが奪われる前に、彼らは前へ出る。
夕刻、石の丘の影が長く伸びた。風は冷え、汗が皮膚に塩を描く。ミーナが皮袋の口をひねり、昼の残りの大麦煮込みを少しだけ皆に配った。固まりかけた麦は、歯に心地よく、ゆっくりと水気を放つ。
「腹は走った分だけ静かになる」バルドが木椀の底を見ながら呟く。
「静かでいい。次に鳴くのは、砦の鐘だ」ヴォルクは前を指す。「夜目が効くうちに、もう一段、南へ」
足跡は風に消され、声は喉の奥で折りたたまれた。荒野の線は薄闇へ溶け、彼らの影だけが長く、砦へ向かって伸びていった。
読了に感謝。
ブクマ・評価・感想が次の旅路の地図になる。
あなたの「体が喜ぶ簡単ごはん」を一つ、
教えてくれたら嬉しい。また明日。




