第109話 蒼晶の丘
深呼吸をひとつ。光を孕んだ丘は、いよいよ“蒼道編”を締める手前の章へ繋がる。
蒼帯の渡路を抜けると、砂は次第に硬くなり、地面に光の粒が混じりはじめた。やがて丘が現れる。“蒼晶の丘”。土のなかに無数の青い晶が眠り、風に照らされるたび淡く点滅する。踏みしめるたび、細い音が足元で鳴った。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵なし。鏡あり。……地面が光を噛んでる」カイが足元の晶を拾い、光の奥を覗く。
「帯も潮も過ぎた。今日は晶が舌」ライラが膝をつき、晶の層を撫でる。ひんやりとして、奥で脈が返る。
丘の頂に、薄青の外套を纏った晶守が立っていた。腰紐に藍はない。掌には丸く磨かれた“晶核”。
「ここは大地が記憶を光に変える場所。踏み荒らせば濁り、歩みを合わせれば澄む。……通るなら、この晶核を地へ触れさせよ」
ヴォルクは頷き、御者台の商人へ視線を送る。「借りる腹は返す足で」
バルドが晶核を受け取り、ライラが丘の中央へそっと置いた。核は光を吸い、一度だけ青く脈打ち、丘の晶が静かに揃った。
「谷へ二、丘へ一。触れは半手で」晶守が囁く。
「覚えた」ライラは晶の律動を骨に刻んだ。
作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布で包み、木鉢に据え、布袋の水をひとすくい。“旅酵”を指の腹だけ落とし、焙り麦をひとつまみ、帯骨粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“晶守りの薄り”。湯気は出さず、温いで止める」
酸が短く跳ね、光と土の香りがほのかに混ざる。カイがひと口すすり、胸が静かに澄む。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は丘を眺めながら「歩幅を稼ぐ味だ」と淡く言った。
丘の斜面には古い藍の点が点々と残り、晶の光に照らされて薄く反射している。代わりに、土中の鼓動と晶の脈が“話す”。
「粉の囁きは沈む。舌は晶」ライラが晶をすくって光を見る。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切る。「輪になる前に抜ける」
晶守が小さな“晶片”をミーナに渡した。「器に沈めれば味が透く」
「受け取ります。帯骨と重ねる」ミーナが布に包む。
正午前、丘の影で短い休止。火は使わず、“晶守りの薄”を裂き、晶粉を指先で散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。胸の奥が透き通る」ミーナが配る。
バルドは晶の下で返ってくる微かな音に耳を澄ませた。
午後、丘を下るころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れ、すぐ消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
「晶は眠った。耳は届かない」ライラが囁く。
「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは二列に隊を整え、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、蒼晶の丘を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさず、必要のない夜。器に晶片を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は立たず、酸が胸をそっと撫でた。
御者台で商人が短く記す。「本日の勘定:蒼晶の丘、核触れ、晶片。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの声に、晶がひとつ静かに鳴った。
星が出る。晶は眠り、道は前へ延びている。
読了感謝。光る砂や晶の景色で思い出す場所があれば教えてください。また明日。




