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饗狼傭兵団戦記 〜腹を満たすまで〜  作者: 影道AIKA


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第104話 蒼影の境目

立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ。“蒼道編”もいよいよクライマックスの手前。

蒼声の断崖を越えると、光が急に薄れた。夕刻でも夜でもなく、影だけが先にやってきたような空気。“蒼影そうえいの境目”。地面は柔らかいのに足跡が残らず、風は吹いているのに草が揺れない。不思議な静けさが満ちていた。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。

「塵なし。鏡あり。……影が先に動く」カイが周囲を見渡す。

「声も輪も過ぎた。今日は影が舌」ライラが地面に手をかざす。温度はないが、影だけが触れ返してくる。


 境目の中央に、青墨の外套を着た影守かげもりが立っていた。腰紐に藍はない。掌には薄い“影板えいたん”が載っている。

「ここは影が先に記す場所。実体は後ろで追いつく。……通るなら、この板に影を落とせ」

 ヴォルクは頷き、御者台の商人へ短く目を送る。「借りる腹は返す足で」

 バルドが影板を受け取り、ライラが静かに前へ立つ。影が板に落ち、板の上でわずかに揺れた。草は揺れず、影だけが揺れた。

「谷へ二、丘へ一。影落としは半手で」影守が囁く。

「覚えた」ライラは影の重さを骨に刻んだ。


 作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布で包み、木鉢の底に据える。布袋の水をひとすくい。“旅酵たびこう”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ、声片粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。

「“影守りのすすり”。湯気は出さない。温いで止める」

 酸が短く跳ね、影の匂いと混じる。カイがひと口すすり、胸の奥がゆっくり沈んで澄む。「軽いのに、腹に柱が立つ」

 商人は静かに頷き、「歩幅を稼ぐ味だ」と口の端で言った。


 境目の地面には古い藍の点が不規則に残っていた。粒は細いが、影が先に形をつくり、実際の点は遅れて浮かび上がる。代わりに、影の挙動と沈黙が“話す”。

「粉の囁きは沈む。舌は影」ライラが影の縁を撫でる。

「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切った。「輪になる前に抜ける」


 影守が小さな“影片”をミーナに渡した。「器に沈めれば香が深まる」

「受け取ります。声片と重ねる」ミーナが布に包んだ。


 正午前ではなく、時間の分からない薄明の中で休止。火は使わず、“影守りの薄”を裂き、影粉を指で散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。

「噛まずに舌で広げる。心が揺れなくなる」ミーナが配る。

 バルドはゆっくりと頷き、落ちた自分の影を確かめた。


 午後かどうかも定かでない頃、境目の向こうが薄らいできた。遠い肩で黒い点が一度だけ揺れ、すぐに消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。

「影は眠った。耳は届かない」ライラが静かに呟く。

「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは隊を二列に整え、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」


 夕刻か夜か分からない薄闇の中、帆布を張る。灯は一つ。影は揺れるが本体は揺れず、必要のない夜だ。器に影片を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は立たず、酸が胸の奥をそっと撫でた。

 御者台で商人が静かに記す。「本日の勘定:蒼影の境目、影落とし、影片。歩幅、維持」

「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの声に、境目の影がひとつだけ揺れ返した。


 星は見えず、影だけが道を示していた。それでも、道は前へ延びている。

読了感謝。影だけが先に動く、そんな不思議な場面で思い出す景色があれば教えてください。また明日。

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