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最終話 トゥカの葬式 はじめて埋葬された人

 トゥカは、すっかり年老いていた。

 かつて燃えるような好奇心できらめいていた瞳は、今は穏やかな光を宿し、村の子供たちや、彼が名付けた犬の子孫たちが駆け回る様子を、静かに見守っている。腰は曲がり、肌には深いしわが刻まれているが、その表情は満ち足りていた。

 彼がもたらした火、タコ、犬、石器、ウソ、酒、そして土器。それらは、もはや特別なものではなく、村の暮らしに完全に溶け込んだ、当たり前の日常となっていた。人々は火を囲んで温かい煮込み料理を食べ、土器の杯で酒を酌み交わし、石器で獲物をさばき、犬を相棒として狩りに出る。トゥカが始めた一つひとつのことが、この村の文化そのものになっていた。


 そんなある朝のことだった。

 トゥカは、目覚めなかった。

 まるで眠っているかのような、安らかな顔だった。彼の傍らでは、年老いた相棒の犬が、主人の冷たくなった頬をぺろりと舐め、悲しげにクウンと鳴いた。

 トゥカの死は、静かに、しかし瞬く間に村中に伝わった。


 その日の村は、しんと静まり返っていた。

 広場ではいつも通りに火が燃えているのに、誰もその周りで笑い合う者はいない。食料庫にはタコや干し肉が満ちているのに、誰も手を付けようとしなかった。土器の壺にはなみなみと酒が注がれているのに、陽気な歌声はどこからも聞こえてこなかった。

 村人たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 火の神官、タコの神、石の神、酒の神……。数々の称号で呼ばれ、神そのものだと信じていたトゥカが、死んだ。その事実が、人々の心に大きな穴をあけていた。


「どうして……トゥカ様が死んでしまうんだ……」

「神は、死なないはずじゃなかったのか……」


 不安と悲しみが、重たい霧のように村を覆う。この先、どうすればいいのか。誰が、次に進むべき道を示してくれるのか。皆が途方に暮れる中、村の長老が、重い足取りでトゥカの亡骸の前に進み出た。


「皆、集まれ。我らが神、トゥカ様の体を、どうするかを決めねばならん」


 長老の言葉に、村人たちは顔を上げた。これまで村で人が死んだときは、遺体は野ざらしにされ、やがて獣や鳥がついばみ、自然に還っていくのが習わしだった。だが、相手は村の全てを築いた大英雄トゥカだ。


「そんな、トゥカ様を獣なんかに食わせられるか!」

「火の神官だったのだから、神聖な火にお還しするのが筋ではないか?」

「いや、海の恵みを見つけたお方だ。海に流すべきだ!」

「石器を発明されたのだから、石の祭壇を作るべきだ!」


 議論は紛糾した。誰もがトゥカを敬うがゆえに、意見はまとまらない。トゥカがもたらした偉大な功績が多すぎることが、皮肉にも、彼を送る方法を一つに絞れなくさせていた。


 その時だった。村人たちの輪の中から、一人の青年が静かに前に進み出た。かつて、食い意地から世界で最初のウソをつき、『知恵の少年』と呼ばれたピリカだった。すっかりたくましくなった彼は、まっすぐにトゥカの亡骸を見つめ、そして皆に語りかけた。


「トゥカ兄ちゃんは、いつも俺たちに新しい『知恵』をくれた。だったら、俺たちがトゥカ兄ちゃんにしてあげられる最後の恩返しは、俺たちが学んだ知恵で、トゥカ兄ちゃんを安らかにしてあげることじゃないか」


 ピリカは、傍らに置かれていた一つの土器を、そっと持ち上げた。


「トゥカ兄ちゃんは、ただの土をこね、火で焼き、大切なものをしまっておく『器』の作り方を教えてくれた。この器があるから、俺たちは水を蓄え、スープを保存できるようになった。……俺たちの心の中にも、トゥカ兄ちゃんとの思い出がたくさん詰まってる。それを大切に取っておくみたいに、トゥカ兄ちゃんの体を、この大地という一番大きな器に、大切にしまってあげるのはどうだろうか」


 その言葉に、村人たちははっと息をのんだ。ざわめきが収まり、誰もがピリカの言葉の意味を噛みしめていた。

 そうだ。トゥカが教えてくれたことだ。大切なものは、器に入れて守る。


 やがて、長老が深く、深く頷いた。

「……ピリカの言う通りだ。トゥカを、大地に還そう」


 場所は、トゥカが初めて土器を焼いた、川のほとりの見晴らしのいい丘に決まった。

 村人たちが総出で、石器のクワを使い、土を掘り返していく。それは悲しい作業のはずなのに、皆の顔には不思議な使命感が浮かんでいた。

 掘られた穴の中に、トゥカの亡骸がそっと横たえられる。その傍らには、彼が愛用した石のナイフ、彼が最初に模様を付けた土器の破片、そして好物だったタコの干物が添えられた。彼の人生を彩った、数々の発見と共に。


 村人たちが、一人、また一人と、穴に土をかけていく。


「ありがとう、トゥカ。あんたのおかげで、もう夜は怖くない」

「ありがとう、トゥカ様。あんたのおかげで、腹一杯の味を知った」

「ありがとう、トゥカ兄ちゃん……」


 涙と共に、感謝の言葉が土に染み込んでいった。

 やがて、そこには小高い丘ができた。


 長老は、その丘の前に立ち、厳かに宣言した。

「トゥカは死んだのではない。この大地に還り、我々を永遠に見守る、本当の神となられたのだ。皆の感謝の心が集まるこの場所を、これより『墓』と呼ぶ。大切な者が還る、安らかな場所だ」


 トゥカの死は、悲しみだけを残したのではなかった。

 それは、死者を敬い、弔い、記憶し続けるという、人類の新しい文化の『はじまり』となった。


 数日後、トゥカの墓の前で、子供たちが火を囲んでいた。

 一人の少年が、皆に語りかける。


「なあ、知ってるか? 遠い昔、この村にトゥカっていうすごい人がいたんだ。その人が、棒っきれを回して、火を見つけたんだって――」


 トゥカの物語が、次の世代へと語り継がれていく。

 彼が灯した好奇心の炎は、決して消えることはない。文明の光は、こうして未来へと受け継がれていくのだった。



 ――現在、この古墳は発見されているが、何者が葬られているのか、いまだに議論の真最中である。


(了)

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