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第3話 はじめて犬を飼う

 火とタコが村の食卓に革命をもたらしてから、いくらかの日が過ぎた。村は活気に満ち、人々は以前よりも健啖になり、その顔には血の気がみなぎっている。トゥカは今や、誰もが認める村の賢者であり、神の意思を解する者として敬われていた。


 ある日の昼下がり、トゥカは広場の中央で肉を焼いていた。もうもうと立ち上る煙と、じゅうじゅうと肉が焼ける香ばしい匂いが、人々の食欲を刺激する。もちろん、この火は例の『火』だ。トゥカが世界にもたらした、神聖なる恵みの炎である。


 焼いた肉は、やはり格別にうまい。トゥカは夢中で肉にかぶりつき、あっという間に骨だけにしてしまった。そして、食べ終えた骨を、特に何も考えずにぽいっと後ろに投げ捨てた。食料に余裕ができたからこその、無意識の行動だった。


 すると。


 ガリッ、と硬いものを砕くような音が、すぐ背後から聞こえた。


「ん?」


 何だろうか。振り向いたトゥカは、そこにいたものの姿を見て、思わず奇妙な声を上げた。


「ウホッ!?」


 そこにいたのは、今まで見たこともない『変なやつ』だった。全身がもふもふとした毛で覆われ、トゥカの顔をしきりにぺろぺろと舐めようとしてくる。大きく開かれた口からはだらしなく舌が垂れており、その二つの目は期待に満ちてキラキラと輝いていた。先ほど投げた骨を、前足で器用に押さえつけ、夢中で齧っている。


「なんだお前? オオカミか? いや、それにしちゃあ、ちっさくね?」


 トゥカは警戒しながらも、その生き物を観察した。確かに姿形は、夜の森で出くわす恐ろしいオオカミに似ている。だが、オオカミが持つような鋭い敵意や飢えた獰猛さは感じられない。体格も一回り小さく、どこか頼りなげで、人懐っこい空気をまとっていた。


 トゥカが戸惑っていると、その生き物は骨を齧るのをやめ、彼を見上げて一声鳴いた。


「……ワン」


「ワン!? しゃべった!?」


 トゥカは心底驚いた。それは威嚇でも唸り声でもなく、まるで何かを呼びかけるような、不思議な響きを持つ鳴き声だった。


 彼は好奇心に駆られ、試しにもう一本、食べ終えたばかりの肉付きの骨をそいつの前に投げてみた。


 パクッ!


 そいつは待ってましたとばかりに骨に飛びつき、またしても夢中で食べ始めた。その姿は、どこか憎めない愛嬌に満ちていた。


 その時からだった。


 どこへ行くにも、そいつはトゥカの後を付いてくるようになった。トゥカが神聖な火の番をしている時も、その足元で丸まっている。彼が海岸で貝をほじっている時も、そばで砂を掘り返して遊んでいる。そして、夜、トゥカが眠りにつくと、その体にぴったりとくっついてきて、温かい体温を伝えてくるのだった。


 村人たちは最初、その奇妙な四足の生き物を遠巻きに見ていたが、トゥカが全く気にする素振りを見せないため、次第に「トゥカ様がまた何か見つけたのだろう」と、静観するようになっていた。


 そんなある日のことだ。トゥカが食料にする木の実を探しに、険しい山道を歩いていると、ぬかるんだ地面に足を取られてバランスを崩した。体が崖の方へと傾き、危うく滑落しそうになった、その瞬間――。


「ワンッ!」


 鋭い鳴き声と共に、服の裾に強い衝撃が走った。見ると、あの『変なやつ』がトゥカの服の裾を必死に咥え、全体重をかけて後ろに引っ張ってくれていたのだ。そのおかげでトゥカは体勢を立て直し、崖から落ちるのを免れた。


「お、おお!? お前……役に立つじゃねぇか……!」


 トゥカはそいつの頭を力強く撫でた。そいつは嬉しそうに尻尾を振り、トゥカの手に顔をすり寄せた。


 そいつの驚くべき能力は、それだけではなかった。


 ある夜、村の食料庫にずるりと音を立てて毒ヘビが忍び込んだ。それにいち早く気づいたのは、そいつだった。闇を引き裂くような激しい吠え声で村中に危険を知らせると、勇敢にもヘビに飛びかかり、鋭い牙で追い払ってしまったのだ。


 またある時は、無邪気な子供が燃え盛る火の美しさに惹かれ、よろよろと近づいていった。親が気づくよりも早く、そいつが子供の前に立ちはだかり、激しく吠えることで危険な炎から遠ざけた。


 トゥカが狩りの途中で足をくじいて動けなくなった時には、心配そうにそばに寄り添い、冷えた膝にそっと自分の顔を乗せて温めてくれた。


 こうした出来事が重なるにつれ、村人たちの見る目も変わっていった。そしてついに、村の長老が畏敬の念を込めて口を開いた。


「トゥカよ。その者は、もしや火や海の幸に続く、新たな神のしもべではないか……?」


 しかし、トゥカは首を横に振った。


「いや、『ワン』って言うし……たぶん犬だ」


「いぬ? いぬ、とな? それはどういう意味じゃ?」


 長老の問いに、トゥカは腕の中ですやすやと眠るそいつの背中を撫でながら、こともなげに答えた。


「うむ。『い』っしょに『ぬ』くぬくしてるから、いぬだな!」


 そのあまりにも単純明快な名付けに、長老は一瞬呆気にとられたが、やがて深く頷いた。トゥカが言うのなら、そうなのだろう。こうして、世界で最初の犬は、その名を得た。


 犬は、すぐに村の人気者になった。子供たちはそのもふもふの毛を撫でて遊び、女たちは番犬としての働きに感謝し、男たちは狩りの新たな相棒になる可能性を感じていた。


 トゥカの成功を見て、他の村人たちも真似をし始めた。


「よし、俺も骨を投げてみるか」


 そう言って骨を投げると、別のオオカミのような生き物がやってきて、人々に懐いた。


「お? こっちにはなんか羽のあるやつも来たぞ! なんか地面をつっついてるな!」


「この牛みたいなでっかいのは、草をあげたらずっとついてくる!」


 こうして、人々は動物に食料を与えることで、彼らを自分たちの近くに留め、共に生活するという知恵を学んだ。狼は犬に、野鳥は鶏に、野生の牛は家畜の牛へと、その関係性を変えていった。


 火の次は、家畜。


 トゥカと一匹の犬との出会いから始まったこの変化は、人々の暮らしをさらに豊かにし、文明はまた、ひとつ大きな一歩を進んだのであった。


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