9.遠い空
「うちの国にはハリウッドちゅうとこがあってな。一貫してプロパガンダ映画造り続ける場所なんや。悪い奴がおって、いいやつがそれを倒すちゅうのを、なんやバカみたいに金かけて延々二時間引っ張るアホみたいな場所や。一体あそこで何人の人間がぶっ殺されたか数えるんもバカらしいんやけどな」
「それがどうした」
「悪い奴が人をぶっ殺すのはよくあることや。世の中の悪いことちゅうたら、そりゃ人殺しやろうからなあ。でもな、主人公がそれに対抗しようとするとき、いかにして止めるか、そこで線引きがなされるんや」
二つ、と彼女はゆっくりと指を立てる。
「いたってシンプル。殺すか、殺さんかや。
殺さん、ちゅう場合、よくあるテンプレやと、『コロシをした時点で自分も悪の道に落ちるから』ちゅう話やな。ツッコミどころがあるけど、まあええわ。けど、問題なんは前者の場合、『殺す』場合なんや」
「何が言いたい」
「主人公側が人を殺す時、そこには何らかの説得力がないとアカン、と考えるバカはどこにでもおるっちゅうこっちゃ。
だから主人公を元軍人にしたり、警官にしたり、CIAにしたりして、精一杯、自分は正義の側であることを涙ぐましいアピールをする。
その殺人には正当性がある、ってな。だから、殺しても動揺しない。
どうしても殺してしまうのは素人で、そいつらはそいつらで大根役者のハムレットみたいな反応しよる。
やけど、今の世の中、グロとスプラッタ、バイオレンス映画が当たり前に存在する世の中、人一人ぶっ殺して血ィ見て、そこまで衝撃受けるか? そもそもの話、殺人は何か特別なものであるかのようにみんな考えとるやんか。あれは何なんや?」
これが彼女の伝えたいことらしい。彼女は珍しく強張った顔で、激しく腕を振るわせながら叫ぶ。
「現状に不満があるとき、人は殺意を抱く。人生で一度も殺意を抱いたことのない人間がおるとしたら、むしろそいつの方がサイコや。そして、殺人犯と一般人の境界なんてもんは、実際のところ有って無いようなもんなんや。誰が人を殺したっておかしくはない。女だって人を殺す。子供だって人を殺す。サラリーマンだってそうや。不良も、優等生も、エリートも、誰だって!」
「だから、どうした」
「うちはなぁ、あんたつこぉて証明してみたいんやわ」
シリアルキラーがぐっと顔を近づけてくる。
「フツーの不満を抱いて生きている人間が! 人を殺して! なぁんの動揺もせんで生きていく姿をなぁ!
殺しはサイコだけのものやない。
国家の暴力装置が独占するもんでもない。
昨日まで談笑していたクラスメイトが自分を殺そうと襲い掛かってくる。
たまたま同じ電車に乗った男を殺す。
会社の同僚、上司をナイフで刺す!
理由があろうとなかろうと、そいつらは狂っとるんやない。
ただの一般人に過ぎんのや。
誰も認めたくないだけや。
自分がコロシなんてできるはずもない。
そう言い聞かせて生きていきよるんや」
「それは違う、と?」
「あんたなら証明できる。何のバックストーリーのない、平凡な生き方をしてきたあんたならな」
金髪の少女が、そっと囁く。
「ま、後は暴力というものが持つ説得力そのものやな」
「説得力?」
「なぁんの力も持ってない教師が、上司が、政治家が、当たり前のように横暴に振舞えるのは、自分には権力があって、誰もがそれにひれ伏すと思っとるからや。人間は平等か? そんなわけがないやろ。生まれた家柄、家庭環境、千差万別やで」
「だが、その不平等を、暴力だけは是正してくれる、と?」
コピーキャットは、満足げに頷く。
「硬直化した体制を、唯一打破してくれんのは、結局のところそれに尽きる」
「俺である必要がない」
「さっきまではそう思っとったわ。けど、あんたじゃなきゃダメやと気づいたんやわ」
「なぜだ?」
「あんたはやけくそになって爆発して、自暴自棄では人を殺さん。人を殺す時、それは自分自身が生きるためにこそなされるものなんや。この国で起こっとるような、自殺の延長線上のようなものであっていいはずがない。そんなもんは殺人に対する冒涜なんや。あんたは違う」
自分の演説に酔ったか、コピーキャットが寄りかかってくる。
俺はコピーキャットへと手を伸ばす。
「――だからこそ今も、頭ん中でうちを何べんも殺しよるんやろ?」
金髪が揺れる。顔を上げた瞬間、力任せに首を絞めた。
ぷにぷにとした首の肉に、親指がずぶりと沈み込んだ。
腕の付け根が燃え上がるように痛む。
「お前は日本人が嫌いだったんじゃないのか?」
指の腹から伝わってくる脈動が気持ち悪い。締め上げが足りないのか、コピーキャットが身を捩り、口を開く。
「せや、なぁ。日本人が嫌いっちゅうのも、間違っちゃいない」
額に汗の玉が浮かぶ。頬を伝ったそれを、何とか舐めとろうと舌を伸ばしている。ぐりぐり、と親指の圧から逃れるように、再び身を捩る。
「……でも、うちには、あんたがあの子に見えてなぁ……」
彼女のこめかみが膨れ上がった。俺の腕にしがみつくように手をかける。一気に体重を預けられ、体勢を崩した。
屋上の床に横たわったコピーキャットの上に馬乗りになって、俺は彼女の首を絞めている。
殺せ、と理性が囁いている。この女を殺せば、少なくとも脅威は一つ減る。
明日香を狙う殺し屋が一人減る。
それにこの女は今まで何人もの人間を殺してきたはずなのだから、殺されたって文句が言えないはずだ。
そうやって、自己正当化している自分を実感しながら、なおも体重をかける。
彼女の白い頬が紅潮し始める。
酸素を求めて頬が膨らんだり、へこんだり。
眼球が忙しなく動く。
永遠とも思える時間が過ぎていく。
やがて、コピーキャットは白目をむいた。半開きになった口から、つつ、と唾液が垂れる。反射的に、唾液に濡れた自分の手を押さえた。
コピーキャットは、動かない。
殺せたのだろうか。
横たわる彼女を見下ろしながら考える。全身からどっと噴き出した汗で、服が肌にへばりついている。額の汗を腕で拭った。
後はここを立ち去ればいい。
死体は見つかるだろうが、すぐにではないはずだ。ただでさえ人が立ち入らない場所なのだから、死体を隠すのにこれ以上の場所はない。
恐怖はない。やり切ったという達成感もない。
後悔はしていた。もっともそれも、友人になれたかもしれない相手を殺したかもしれない、という後悔だった。
この国に、世界にあふれている、命は大事とか、殺しだけはいけないとか、そういった聞き飽きた言葉を一切吐かなかった。
自分の意志で、自分の言葉をしゃべっていた。
端的に言えば、彼女に惹かれていた。
彼女自身というよりも、彼女の信念に。
どんなに命が大事と言おうとも、自殺者は大勢いる。
殺しはいけないと言おうとも、どこでも殺しは起こっている。
現実と理想の格差が大きすぎて、俺にはヒューマニズムがただの現実逃避にしか思えないのだ。
唐突に俺は、今まで自分が掴もうとして掴めなかった曖昧模糊とした『何か』の正体に気が付いた気がした。
要するにそれは、『不一致』なのだ。
学校は理想を教える。しかし、現実を教えるのはテレビのニュースで、それらはたいてい見ていて気持ちが沈み込むものばかりだ。
学校は様々な知識を教える。しかしそれは『教養』であって、社会で生きていくための『スキル』ではない。
さらに言えば、学校という理想を教える場が、いじめや暴力、時にはセクハラという『現実』を内包していることだってある。
こうした不一致が、不協和を引き起こす。
加えて学校は理想を教えるけれど、どこまでならば満足できるラインであるかは教えてくれない。
ゴールポストはあちこちに動かされてしまう。
教師もまた信念に欠けているから、信念について教えられない。
俺が恐れていたものは文字通り、線引きされていない『曖昧』そのものだったのではないか。
だから、シンプルなルールで生きているコピーキャットに惹かれた。




