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6.夢のカリフォルニア

「沖君、大丈夫?」

「ん、まあな」



 お世辞にも、大丈夫ではなかった。頭の中は煮えくり返ったままで、なぜ横溝にああまでして怒鳴り散らしたのか、自分でもよくわからない。



 ただ、釈然としないのは向こうもそうだ。



言っている内容も、いつもは横溝が隠したかったであろう利己的なものだったし、暴力はいつもの比ではなかった。



クラスメイトからすれば、二人揃って発狂したと思われても仕方がないだろう。



 何かがおかしい。




 けれど、今まで溜まっていた何かを、自分の意志で吐き出せたのであれば。



 ――俺は、トミタに。また会えるかもしれない。

 胸を張って。




「ほら、そこに座って。手当てしてあげるから」



 石川は手慣れた様子で、脱脂綿で血を拭っていく。身を乗り出した石川の鎖骨が何度も視界を往復する。



視線に気づいているのかいないのか、長い髪を鬱陶し気に払いながら処置を終える。


一瞬見えた髪の生え際が、目を惹くような金色だった。



「その……石川の方こそ大丈夫だったのか? ほら、リボンを踏みつけられたり……」

「踏まれただけだから、別に。ね?」

「……なんで横溝は急に、あんな……」

「さあ。プッツンしちゃったんじゃない? 最近はお年寄りでも急にキレやすくなってるらしいし」



 それで、どうする?



「今教室に戻るのはどうかと思うし、ちょっと寝てたら? 私ももう少し時間潰していたいし」

「そうだな……」



 少し眠ったらこの気持ち悪い感触も治るのだろうか。



「何なら歌でも歌ってあげよっか?」



 ベッドに横になると、枕元の椅子で、石川が小さく笑った。




 逆さまになった顔。

 逆光のせいで、歪んだ笑みに見えた。





 体が動かない。

 瞼を引きはがすようにして目を開けると、石川の姿がない。


 視線を揺らす。少し離れたテーブルで、こちらに背を向けている。


 唐突に、彼女は本を閉じた。


 それから、自分の頭を鷲掴みにすると、勢いよく引っ張った。




 ずるり、と束になった髪が外れ、押し込まれていたロングの金髪が露わになった。頭を振ると、その長い髪が背中を打った。




「――ふう」


 それから彼女は俯いて、ゆっくりと自分の瞳に人差し指を近づけた。


 ふと、彼女が視線を上げた。ゆっくりと、ゆっくりと振り返った彼女と目が合った。



片方の目は黒く、もう片方の目は青い。



――コンタクトレンズ。


「……お、目ぇ覚ましとったんか」



 石川が小さく肩をすくめる。



 いや、すでに彼女は石川ではなかった。

 石川の皮を着ていた、何か。




「おかしいなぁ……ペットボトルん中、ちゃあんと薬入れたんやけどな? 起きるまでもーちょい時間がかかるはずやったんやけど」

「……く、すり……?」

「なんや、喋れるんか? その通り」



 金髪碧眼の、見るからに西洋人とわかるなりの女性が、妙な訛りの日本語を操るのは、ひどく不思議な感じだった。



「あんたとあの横溝ちゅうアホウに呑ませたんは、ちょっとした自白剤や。まあ、あのアホウのにはシャブも入っとったけ、あない興奮してもおかしゅうないけどな。副作用で睡魔が来る」



 石川だった女が立ち上がった。気のせいか、声色も変わっていた。パイプ椅子を引きずりこちらに近寄ってくる。



じりじりと、床を削るような音が、止まった。



「ところで話は変わるんやけど、ムラカミちゅうたら、誰思い浮かべる?」

「なんの、はなし……?」

「日本人でもガイジンでも、いっちゃん最初に出てくんのは村上春樹やろうな。世界のムラカミ。は。この国の人間、何でもかんでも『世界の』つけたがるんのはどっからきとんのやろうなぁ」

「なにがいいたい?」 



 舌がまだ痺れている。彼女は、どすんとパイプ椅子に腰を落とした。



「せやけど、うちが最初に知ったムラカミはハルキやなかったわ。かと言ってリュウでもなかった。カリフォルニアに住んどったころ、よくリュウの方をクラスメートが読みよったわ。クラスメイトの、ムラカミちゅう日本人がな」



 知っとるか? と彼女は尋ねる。



「知っとるか? カリフォルニア。夢のカリフォルニア、雨は降らん、青空眩しいカリフォルニアや。アメリカ広しと言えども、あないええトコはないわ」



 けどなぁ、と呟く。すっと力を失ったように、腕が下がる。



 突如、彼女は腕を振り上げると、拳を俺の顔面に叩きつけた。



「……そこの一等地に日本人がすんどったんや! あぁ? その家はなぁ、貧乏人にクソみたいな車流行らせて、アメリカ潰しよった車屋の、日本人一家やったんや。戦争に負けた連中が何を偉そうにアメリカの土地買っとんじゃボケが!」



 息が切れる。ゆっくりと、拳が顔から降りていく。



「戦争のくたばりぞこないが、このちっこい島国からしゃしゃり出て。戦争に負けた国はおとなしゅうしとりゃええものをなぁ。うちが住んどったとこは、街歩いても日本人、日本人。アメリカっちゅう戦勝国が、負けた国に占領される危機やったんや。あの頃は。


 その同級生の日本人もお高くとまっとってなぁ。けったくそわるい英語つこぉて、『将来の夢は自分のルーツである母国、日本に行くことです。一度も行ったことがないから』ゆうて、いっしょけんめい、日本語の勉強やっとったわ。


 うちは大嫌いやったで。あの人形みたいんな黒髪も、チャイニーズキャラクターつこぉてえろぉ人気とっとったんも。あたかもうちと対等であるかのように接しとったんのもなぁ」



 わけのわからない独白が、彼女の口から垂れ流されている。


いつもの保健室に、何か得体の知らない毒のような混じり始めている。


 それはちょうど、トミタの持っていた何かとそっくりだった。



「んで、うちはある時そいつの家行ってなぁ、火ぃつけたんや。言ってみればまあ、思い上がった成金に対する一種の社会的制裁っちゅうやっちゃ。こないなやつに、アメリカ好き放題されてたまるかおもてなぁ。


 ナイフ突きつけても、抵抗せんかった。ニッコリ笑ってあの世行きや。


これでもう、取ってつけたような笑顔見ることもない。うちは本気でおもっとったんや」



けど、皮肉な話よなぁ。



「仕事でアジアに行くたんびに、うちはあの子の顔探しとる。殺しに馴れてきたら、初めに殺した人間が、いかに殺すに値していたか、そればっか考えとるんや。けど、どれだけ日本人に会っても、あの子超えるような子ぉはおらんのや」



 拳が再び振り上げられた。



「どいつもこいつもヘラッヘラヘラッヘラ笑いおって」



 衝撃。



「頭ん中にはいかにこずるく立ち回るかちゅう保身しかなくて」



 視界が赤くなる。



「権力を持ってると勘違いした小物が、自分より立場弱い奴いじめて悦に入って、周りはことごとく無関心や。というか、お上の言いなり。これがあの子が死ぬまで行きたがってた日本か思うと情けなくなってなぁ」

「お前――」



 殴られた衝撃で、どこかにスイッチが入ったのかもしれない。金縛り同然だった体が少しずつ動く。



「――お前、頭がおかしいぞ」

「せやろ? なんてったってうちはサイコのメッカ出身や。とはいえ、日本なんぞみとると、うちもまだまだ思えるけどなぁ。日本人のキレっぷりは世界一やさかい」



 ベッドから転がり下りた。ゆっくりと拳を握って、構える。



「俺は、違う」



 そんな俺を、彼女は鼻で笑い飛ばす。



「そうか? 自白剤使ってようやく教師に反抗できる程度やろ。いいトコ、自分よりも下の、無抵抗の連中にブチギレる程度のことしかできんと思うけどなあ。


ここの国の人間は、よぉ鬱屈溜めこんどるもんや。でも、それを一回しか、しかも、無抵抗の人間にしか振るうことができん。そんなもん、本当の狂気やない。お家芸のいじめとなーんも変わりないわ」

「お前は、何がしたいんだ?」

「せっかく仕事でこの街に来たんや。なら、ちょっとばかし『観光』したってええやろ? 美術館、いや動物園巡りか? タイトルはズバリ、『暴力教師とキレる若者』なんてどや?」



 それに、と女が足を組み替える。



「それに、ここにも神林の娘おるって聞いとったけの」



 ここにも神林を狙う殺し屋がいた。


 掛布団の中で、軽く拳を握ってみる。若干痺れてはいるものの、動けないというほどではない。




 訊きたいことはいくらでもある。




「ま、観光は今日までや。あとはあんたがうちのこと黙ってくれとったらええんやけど――」



 掛布団を跳ね上げる。視界を遮られた瞬間に、女は後ろに飛びのいていた。蹴りがパイプ椅子を弾き飛ばし、女の体を掠める。耳に障る音が響いた。



 ベッドから転がり下りる。僅かに目を見開いた女は、口元を拭った。



「ほーお? うちとやりたいんか? やりたいんやな? ……やるやんけ」



 上靴を履く。拳を握る。

 次の瞬間、女は跳ね上がるようにしてジャンプした。体を屈めたまま机に飛び乗り、再び跳躍する。空中で体を捻ると、長い脚をピンと伸ばす。



 プロレスのような回し蹴り。

 避けなかった。拳を振り抜く。



 ボディに入った。もつれ合う直前、女の顔が歪んだのが見えた。



 床に叩きつけられる。咄嗟に突き出した腕が、女の顎をぶち抜いた。

 一瞬のけ反った女が、舐めるように俺の顔を見下ろす。




殴った瞬間から後悔していた。


殴り返されることを恐れるのはもちろん、訴えられることやら、逮捕されることやら、今この場では全く無力なものの数々。



平和な世界で染みついた柵。



 そんな俺の拳が、『そちら側』の人間に通用するはずもなかった。




「……軽いわ」



 顔を鷲掴みにされていた。鼻っ柱に額を叩きつけられ、のけ反った。映画のような勢いで噴き出した鼻血が飛沫として散るのが見えた。



「しかしまあ、どないしょ」



 突き飛ばされるがままに、床に伏す。止まらない出血とともに、自分の決意や意志も、体の外へ流れ出ていくような気がした。



 女は背を向けたまま、ぶつぶつと呟いている。



「おもろいもんは見れた。度胸もある。けど、それだけやな。いつでも殺せる。


……でも、このままでええんか? 一時のお楽しみ、クリスマスツリーの下のプレゼント。一夜限りのビックリ箱」



 ふと彼女は、こめかみを押さえ、ぐいと自分の頭を押し上げる。まるで自分自身と対話するように、ぼうっと宙を見上げている。



「あかんあかん。お楽しみっちゅうもんは伝播していってナンボのもんや。人間は、いついかなる時だって笑顔と楽しむ心を失ってはいけん。……せやな。あんたの言う通りや」



 女は振り返る。何事もなかったかのように俺の隣に跪くと、ゆっくりと抱え起こした。



「なあ、あんた」



 肩を抱かれている。


 奇妙な手だった。少女のものとは思えない。かと言って、成人女性のものでもない。この女もまた、曖昧だった。




「うちと神林殺さへん?」


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