17.美術館であった人だろ
最も早く動き出そうとしたのは、出入り口近くに陣取っていた、神林財閥の撮影係だった。
マスコミ並みの高級機材を使ってイベントの様子を撮影していたが、それどころではない。降り注ぐガラス片の雨に打たれ、悲鳴を上げる生徒を尻目に、出口目がけて走り出す。
直後、入口の両脇に設置されていた銅像の土台が爆発した。裸体のヴィーナスを模った像は撮影クルー二人を押し潰すと同時に完全に出入り口を塞いでしまった。
直撃は免れたものの、シャンデリアの破片のダメージに悶える生徒が、か細い声でたすけて、と呻くも、無傷の生徒はそれどころではない。
災厄が自分に及ぶのを恐れるように、四つん這いになってでも距離を取る。
ステージに立っていたバンドメンバーも演奏どころではない。マスコミはほうぼうの体で逃げ出そうとしたが、ただ一人、あるカメラマンが偶然シャンデリアが落ちてきた場面にカメラを向けていた。
映っていたのはもちろん、沖真守その人だった。
その場に蹲る者もいた。何とかして銅像をどけようとして、死体から滲む血に腰を抜かす者もいた。出口を求めて散り散りになった人々は、奥へ奥へと逃げていく。後には逃げる余裕のない人間ばかりだ。
特別席の神林は動かなかった。
すべての責任は自分にある、と思って逃げなかったわけではない。
ただ、目の前の出来事を受け入れることができなくて動けないだけだった。
「どうして……どうしてこんなことに!」
誰かが叫ぶ。数少ない生き残りは、目に見えぬ脅威から身を隠すように壁の陰に隠れていた。
私が注文したからだ、と神林は心の中で答える。
殺し屋に、自分の命を絶つフリをするように指示した。十分な謝礼は払った。空砲を使え、という指示もしていた。
望む報酬を支払えば、裏切るはずがない。
財閥の経営者が白昼堂々狙撃され、奇跡的に生還するというシナリオは、世間の注目を集め、同情を買えるはずだった。
しかし今、美術館は、神林の帝国は、価値観は完膚なきまでに叩きつぶされている。
「お父様! 何してるの!」
いつの間に近づいていたのか、娘の明日香が彼の肩を揺さぶっている。
「逃げましょう、ね、お父様!」
神林は立ち上がれない。
未だ消えぬ爆炎の向こうから、一人の少年が悠然と姿を現した。
バカな、と口から小さな声が漏れる。
この少年は病院から出られなかったはずだ。
それよりも何よりも、こうなることを警告していた張本人ではなかったか。
「マモル……?」
明日香が呆然と呟く。彼の手に無造作に握られた銃に息を呑む。
「会長をお守り――」
言いかけたボディガードは、銃声とともに倒れた。
拳銃を持っている人間から、丸腰でどう守るつもりだったのだろうと、神林はぴくぴく痙攣する男の体を見下ろした。
沖は棒立ちのまま、無差別に壇上の人間を射殺していく。バンドメンバーが折り重なるように倒れ、それを無表情に見下ろしている。
「マモル、ねえ、なんで――」
「言っただろ、明日香」
沖はそう言って、幼馴染へと近づいていく。乱暴に抱き寄せると、彼女の父親に銃口を向けた。
「警戒しろ、ってな」
「やめ――」
引き金を引く方が早かった。
明日香は幼馴染の拳銃に自分の肘をぶつけていた。拳銃は弾き飛ばされたが、銃弾は正確に神林の胸に二発叩きこまれていた。
神林が吹っ飛び、派手に転倒する。
「やめてよマモル! どういうことよ!」
「教えてやろうか? ん?」
唐突に、唇を奪われた。
父親に見せつけるような口づけ。
わけがわからない。
わからないことが渦になってこの場に充満していた。
「美術館の襲撃はその男自身がある殺し屋に依頼したものだ。依頼内容は、美術館そのものの破壊」
「そんなバカな話が――」
「あるんだな。保険金目当てと世間の同情を買うため。ただそれだけのために、その男は周りの人間を巻き込んだってわけだ」
激痛に耐えられなかった。神林は思わず、うめき声を上げていた。
「ほお」
沖はつかつかと神林の方に歩み寄ると、胸倉を掴んだ。勢いに任せて服のボタンを引き千切る。
沖は小声で呟いた。
「……アイツの忠告はきいとったってわけか」
投げ捨てられた神林の体は、娘の足元へと転がっていく。彼女は自分の父親が何を着ているのかに気づいてしまった。
「嘘……防弾チョッキ?」
「ところで、その殺し屋と取引をしたんだが……。その男を殺せば、これ以上の破壊工作をやめると。殺し屋だって信用で生きてるんだ。テロリストじゃない。自分の破壊の依頼で、依頼主自身が死んでしまえば、依頼は達成されたことになる。つまりは」
沖は落ちていた銃を握りなおした。
胸ではなく、頭に向けて。
「――元凶を殺してしまえばいいってわけだ」
本来なら、神林には同情が向けられるはずだった。
それが、今。
生き残る人々の視線には怨嗟が籠っている。
ここに来なければこんな目に遭わなかった。
そんな怒りが、多少なりとも真実を突く沖の言葉を信じたい、と思わせている。
「そんな……そんな」
明日香は必死に首を振る。信じていた父親の愚行と、幼馴染の凶行が彼女を混乱させている。
明日香はずっと、沖の姿を見守っていたのだ。
だから、一部始終を知っている。
――横溝がシャンデリアとともに落ちてきたその瞬間の、一部始終を。
しかし、目の前に立っているのは彼女の幼馴染で、そんな彼が、人を殺せるはずがない。
混乱が、突拍子もない考えを言葉に変えた。
「――あんた自身が、その殺し屋なんじゃないの!?」
むろん、そんなことはありえない。
他でもない明日香がそれを知っている。今この場にいる人間だってそうだ。
学生服を着た、ただの学生が、建物に爆弾を仕掛けられるはずがない。
――しかし、自分の命に危険が迫ったこの場で、この言葉を言ってしまったのは、悪手だった。
沖は目をぱちくりとさせ、こう言った。
「なら、殺し屋として約束しようか」
沖はぐるりと生存者を見回し、言う。
「この男を殺せば、依頼は終わる。皆さんは死ぬことを免れるだろう。さて、誰かこの男に死んでほしいと思う人間は?」
殺せ、という声は聞こえない。
死ね、という声も聞こえない。
聞こえてきたのはただ、責任回避の言葉だけだ。
自分の手を汚さずに生き残る方法。
「死にたくない……っ!」
沖の笑みが深まり、彼は銃を構えなおした。明日香が絶叫する。
二度目の衝撃が、美術館を揺るがした。




