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死んでもブタには食いつくな  作者: 九四山井耐排夢


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12/20

12.卒業

 目を覚ました時、病院にいた。白い天井が広がっていた。


 体を起こすと、肩甲骨のあたりに引っ張られるような痛みがあった。

 ナースコールを押すと、すぐに看護師がやってきた。



「ここは?」

「病院ですよ」

「それは分かりますが、なぜ個室なんですか?」



 看護師は何とも言えない表情で腕を組んだ。



「上司から、そう指示されました」



 ふと、部屋を出ていこうとするその足が止まった。



「そう言えば、伝言を頼まれていたんです」

「伝言?」



 ちらり、とこちらに視線が向けられる。



「『バカなことは考えないで』と。あなたは、いい幼馴染をお持ちだ」



 看護師は出ていき、俺はため息とともに顔を枕に押し付けた。




どうやら俺は飛び降り自殺を図ったと思われているらしい。




 あながち間違いでもないが、そうなると、コピーキャットの行方が気になる。


 彼女は俺を突き落とせば殺せると思ったらしいが、残念ながら俺は生きている。

 俺が生きていられる以上、彼女もまた無事である可能性がある。




「しくじったな……」

「まったくだね。しくじったとしか言いようがない」



 引き戸が開き、黒いスーツの男が入ってきた。ここ数日地方紙を騒がせていた張本人で、この病院に出資したという意味では『上司』と言えなくもない男だ。



「ご迷惑をおかけしました、神林さん」



 意外かもしれないが、こうやって話すのは初めてだ。他の同級生ならともかく、明日香と遊ぶとき、彼女の母親や、父親に会ったり、挨拶したという記憶はない。



「いくつか訊きたいことがあるが、まずはこちらからある程度事情を説明しよう」



 と、彼は眼鏡を押し上げながら言った。



「まず、君がここに運び込まれたのは数時間前のことだ。最初に発見したのは部活を終えた直後の陸上部で、君が倒れていたことを発見すると、すぐに顧問に報告した。報告を受けた顧問は救急車ではなく自分の車を使って、君をこちらの病院に搬送した」

「陸上部の顧問?」

「横溝という男の先生だった。いい先生だね」



 目を逸らした。

 無言の抵抗。



「手当てをするためにいったん君の服を脱がせたのだが、いくつかおかしな点があった。そのため他の患者の目に触れないように、個室という形をとっている」



「おかしな点?」



 おうむ返しに聞き返すと、神林は呆れたような顔をした。



「激しい暴力を受けたような傷がある上に、挙句銃創まで見つかったことだよ」



「ああ……」

「事情によっては警察に伝える必要もあるのだが……まずは、何があったのか教えてくれないかね?」

「その前に、一つ訊かせてください」

「何か?」

「病院に運び込まれたのは、俺だけですか?」

「ああ」



 となると、やはりコピーキャットは何らかの方法で逃げ出したのだろう。

 せめて怪我をしたかどうかわかればなおよいのだが。




「それで、何があった?」



 俺は一つ深呼吸をして、言った。



「自分を殺し屋だ、と名乗る人間によって襲われました」



 神林の表情は変わらない。



「失礼だが、ただの一般人に過ぎない君が、なぜ?」

「ご令嬢である神林明日香さんとは、小学生の頃からの付き合いです。今でも時々ともに遊びに行く仲なのですが、どこでそれを知ったのか、神林について知っていることを教えろ、と俺にしつこくまとわりついてくる人間がいました。あまりにもしつこかったので、警察を呼ぶと警告したところ、がらりと態度が変わって、銃で脅されたという次第です」



 本題はここからだ。俺は深呼吸して、嘘の密度を詰めていく。



「殺し屋と名乗る相手は女で、俺やご令嬢と同い年くらいに見えました。そして、その女が語ったことには、神林に恨みがあること、財閥の内部から暗殺の依頼を受けたこと、そして会長とご令嬢に何らかの危害を加えようとしていることでした」

「随分と詳しく情報を聞き出せたものだ」

「それだけ神林に対する恨みがあったのでしょう。自分からべらべらと、自慢するように話してくれました。彼女は俺を銃で撃った後、校舎から俺を突き落としたんです」



 神林はゆっくりと腕を組んだ。椅子の背もたれが軋む。



「私はどうすればいいと思う?」

「まず、俺の傷の診断書を出していただきたいと思います。この傷が銃弾によるものであることが証明されれば、警察が動くのには十分なはずです。そして、会長ご自身やご令嬢に対する警備をつけてもらうべきです。必要であれば、俺はいくらでも、その殺し屋と名乗る女が神林に対して恨みを募らせていたのか証言するつもりです」



 一息に言った。再び部屋に沈黙が下りた。神林が小さく鼻をすすり、座っているパイプ椅子の表面を撫でた。



「正直に言って、信じがたい」

 やがて、彼は言った。

「君の話はまるで、出来の悪い三流スパイ映画だよ」

「ですが」




「まあ聞いてくれ。私も一応経営者として、冷静な判断を迫られることは多々あった。だが、それも、財閥の内部から殺人依頼を受けた殺し屋がいるなどとは、到底考えられない」

「もちろん俺も、彼女の言ったことすべてをそのまま真に受けているわけではありません」



 俺は早口で付け加えた。



「確かに、彼女は殺し屋ではなかったかもしれません。けれど、少なくとも銃を持っていたのは確かです。神林財閥に逆恨みする誰かがどこからか銃を手に入れただけなのかもしれません。ですが、銃で撃たれたのは確かです」

「そうだな。君が銃で撃たれたのは確かだ」



 神林が天井を仰ぐ。煙草を吸っていれば、煙を吐き出していたことだろう。



「だが、それ以外はどうも……」



 反応が薄い。

 というよりも、話に対して否定的だというべきなのだろうか?

 確かに多少無理がある嘘だったかもしれない。



「俺に接触してきたということは、容易にご令嬢に手出しができる、ということをアピールしたかったのかもしれません」

「だから娘への警護を増やせとでも、君は言いたいのかね?」

「警察でなくとも、神林家であれば警備会社の人間を使うなりなんなりができると思います」



 初めて神林が眉をしかめた。



「金の無駄だ。脅迫状に怯えていちいちボディガードをつけていては、いい恥さらしだ。君はそれこそ、神林に対して一日何通の脅迫状が届いていると思っている?」

「では、ではせめて、美術館のオープニングを延期するなり、警備を増やすなどの対策を……」

「なぜそこで美術館の話が出てくるんだ?」



 眼光が迫る。

 唾を呑み込んで、言う。



「神林の名前を冠する美術館で何らかの騒ぎを起こすことほど、神林の名声に泥を塗るチャンスはないでしょう。俺の考えは、何か間違っていますか?」

「私の考えでは」



 と、神林が俺を舐めるように見る。



「むしろ君の方が神林に対して何らかの敵意を抱いているのではないかと思える」




 どこまで信じてもらえるかわからないとは思っていた。

 だが、まさか、ここまでだとは思えなかった。



「……本気で仰っていますか?」

「ああ」

「俺が、幼馴染やその家族の不幸を願うようなクズと同列だと?」




 神林は答えない。そっと視線を逸らして天井を見上げている。



「……どこへ行く気かね」



 ベッドを降りた俺に、神林が声をかける。



「決まってますよ。医者に診断書を出してもらうんです」

「その必要はない」

「あんたの指図を受ける覚えはない。いくらですか」

「なあ、冷静になって考えてみたまえ」



 立ち上がった神林は俺の肩に手を置いた。



「確かに君は銃で撃たれただろう。百歩譲って、神林の悪口を言っていたかもしれない。だが、このプロジェクトには多くの人間が携わっている。その中には、警察も含まれる。君はただでさえ忙しい警察の負担を今以上に増やすような馬鹿な真似をするつもりかね」



 放していても埒が明かない。

 扉に手をかけ、引いた。

 びくともしない。

 



 咄嗟に扉を叩いた。もちろん何も起こらない。開くこともない。





「君は校舎から落ちたショックで動揺しているんだ。冷静になりたまえ」



 ベッドの脇に引き返す。腕時計をつけてから、クローゼットの中を覗いた。

吊るされた学ランの中に、俺のスマホがあるはずだった。



 内ポケットに手を入れる。

 あるはずのものがなかった。



「……俺のスマホは?」

「病院には精密機器が多い」



 ふっと息を吐き出しながら、神林が言う。



「君の携帯は、ナースセンターで預かっている」

「今すぐ返せ」

「何のために?」



 初めて神林が笑った。ゆっくりと体を起こしながら言う。



「今度は、病院に、不当監禁されているとでも言い出すつもりかね?」



 立ち尽くす俺に、神林が距離を詰めてくる。間近で対峙してわかる圧倒的な身長差に、息が詰まる錯覚を覚えた。



「この部屋は一泊三万円もする個室だ。電子レンジもあるし、一階のコンビニで買い物をしなくても、ナースコール一つでスタッフが買ってきてくれる。テレビだってカードはいらない。ちょっと見てみようじゃないか」

「そんな暇はない」

「4Kだ。映画並みの迫力だよ、君」



 ベッドの近くに置かれていたリモコンへと、神林が手を伸ばす。

 一瞬、その隙だらけの脇腹を殴りつけようかと思った。神林の会長を人質に取り、今すぐにでも病院を飛び出して警察に傷を見せる。



 自首しに来たと勘違いされるのがオチだ。




 俺は今、この目の前の男に、『社会的に』守られている。

 この『社会』にいる限り、俺は無力な一個人でしかない。



 

 俺は心のどこかでコピーキャットやトミタに憧れていた。

 だが、体制やその倫理に逆らい、無頼であり続けるというのは、制度が整っていればいるほど、容易ではない、のではないか。

 


 そして今、ベッドに座って楽しそうにリモコンを操るこの男こそが、この体制や社会の実力者であり、社会的成功を収めた勝者であった。



「ほら、この番組だ。見たまえ」



 肩を抱かれる。欧米のCEOを習ってエクササイズでもしているのか、意外にもがっしりとした腕だった。


 テレビには、今俺の隣に座っている男が映っている。インタビューアを挟み、様々な質問に受け答えをしている。


 唐突にチャンネルが変わった。顔ぶれがただ一人変わらない男がいた。その男は次のチャンネルにも映っている。その次も、その次も。


 すべてのチャンネルに、この男が映っている。



「不景気は悲しむべきものだ」


 神林は唐突に言った。



「もし十年前に戻れるのであれば、いや、私が父親から会長の座を引き継げるのが三年でも早ければ、私は今頃映画プロデューサーとして、ひとかどの人材になれていただろう。神林財閥は一大グループではあるが、文化部門には投資して来なかった。それはすべて、父親の方針だった。


戦後の父はくず鉄売りから仕事を始めた。その直後の特需、高度経済成長。あの頃はモノを売ることがすべてだった。親父は製造業こそが日本経済を回すと考えていた」



 とはいえ、と神林は呟く。



「親父は同時に、サブカルチャーの勃興をその目で見守っていた。いくらでも投資の機会はあっただろうに、何一つ手を伸ばすことはなかった。惜しい話だよ。今の時代、製造業が人件費の安いアジアの諸外国に負けて、アニメや漫画と言ったサブカルチャーがかろうじて日本経済を回していることを知ったら、親父はどんな顔をするやら」

「単に、親父さんに興味がなかったんでしょうよ」

「興味がなかった? まさか。多大なる関心を寄せていたと言ってもいい。近づかなかった理由はただ一つ、自分に学がないことを親父自身が知っていたからだ。


だからこそ親父は私を大学に進ませた。私立でもどこでもよかった。まだ『大卒』の肩書がそこそこ幅を利かせていた頃だったからな。だが、私が文学部を志望したと聞くと激怒したものだ。親父に殴り殺されるかと思ったくらいだった。


 あの頃の邦画には迫力があった。今のようにCGで誤魔化すこともない、ちゃらちゃらしたヘタクソな三流アイドルが幅を利かせることもない。すべてが本物だった」




 神林は懐かしむように目を細める。



「だがやはり、映画と言えばハリウッドだった。あそこの映画に対する情熱は、他のどんな国にも負けない。私は日本のハリウッドを、この手で、実現させたかった」



 拳を握る。

 爪が食い込んでいる。



「だが、すべてはもう遅い。親父の大好きなモノよりも、電子データが、目には見えづらいものが幅を利かせる時代は確実に訪れていた。椅子に座る人間が変わっても、実権は親父が握ったままだった。


とはいえ私自身、当時親父の呪縛から逃れられたところで、どのようにグループ企業を運営していけばいいのかなんて、全く想像もできなかったがね。数えきれないほどの因子が絡み合った経済や時流というカオスを、誰が予測できるというんだ? 有効な打開策を迎えられないまま、ずるずると。財閥なんて名ばかりで、実態は伸びきったゴムのようなものだ」



 どこかに陰のある、疲れた声だった。咄嗟に、俺は口を挟んだ。



「……あんたは、死にたいのか?」

「まさか」



 即答だった。



「必要なのはただ一つ。カンフル注射だ」

「カンフル注射……?」



 俺の疑問に答えはない。



「私は映画が作りたかった。それこそが、自分の目立ちたいという気持ちを芸術に昇華できる唯一の方法だと思った。一流の役者を集めて、根底にしっかりとしたテーマを持つ一流の脚本を作り、一枚一枚が絵画のようになる、総合的な芸術だ。


だがそれも、一流のスタッフが揃っていて、日本に活気があった頃の話だ。国の活気。それは経済に他ならない。


今は違う。今の映画はどうだ? 初めから売れるコンテンツを食い荒らして脚本を作って、主演は客寄せパンダのビジュアルアイドルだ。今の映画作りはバブルと何も変わりがない。金で誰かを引っ叩いて動かしているだけだ」



 神林がリモコンを投げ出す。



「だったら――それだけのことができる金を持っている我々が、同じことをやって何が悪い? 金さえ払えば、目立てるんだよ。それが美術館のような、時代遅れのハコモノだろうと、そこにイベントさえあれば」



 その瞬間、すべてが読めた。



「あんたは」



 声が震える。

 抑えつけようとしてもできない。



「あんたは……あんたが、殺し屋に依頼したんだな? 自作自演の、嘘の暗殺劇を造り上げるために」

「随分と物騒な考えだね、君は」



 ひくっと、喉が痙攣する。



「こんな平和な国で、暗殺事件が起こると思うのか? 私はケネディか? 確かにこの国にだって、拳銃を持った連中はいるだろう。ヤクザや大陸系のマフィアといった、反社会的勢力がいくらでも持ち込むだろうよ。だが、それが私のような善良な市民に向けられることはない」

「だが、実際に殺し屋はいた。そいつの持っている銃は、水鉄砲じゃないんだぞ」

「私は金を払ってパフォーマンスを演出してもらうだけだ」




――アルバイトが雇い主に逆らうかね?




「あんたは正気じゃない」

「まだだ。美術館のオープニングのパフォーマンスをもって、私はようやく『狂人』になれる。いや、この国の人間らしく言うならば、正気に戻ったというべきか?」



 神林は、立ち尽くす俺に言う。



「意地を張る必要はない。受け入れて、流されてしまえばいい。誰も咎めはしないさ。多数派に身を置くことは、幸せなことだ」




確かにその通りだ。

それが狂気の側にせよ、正気の側にせよ。




 神林は立ち上がり、出ていこうとする。

 後を追おうとした俺は、看護師に阻まれた。



「少々錯乱している。丁重に扱え」

「わかっています」



 雇い主に向かって、労働者が頷く。



 その一瞬の隙をついて、力任せに股間を殴りつけた。咄嗟のことに体を折った看護師をすり抜けて神林に肉薄する。肩に手を置いた。




 神林は振り向きざま、拳を腹に叩き込んだ。



 一瞬、視界が白く染まった。膝を折る。見上げた神林の顔には、何の感情も浮かんでいなかった。

 彼は祈るように手を組んだ。そして、その拳をそのまま俺の額に振り下ろした。



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