11.果てしない旅
「ジャジャーン!」
満面の笑みとともに、コピーキャットは自分の額をトミタの顔面に叩きつけた。
咄嗟のことにバランスを崩した彼女目がけてナイフが飛ぶ。
コンクリートに右手を縫い留められたトミタが苦悶の声を上げる。
「あんたの今後を思えば死んでた方が、一線を超えさせるという意味ではよかったんやけど。本職にやられちゃ、なあ?」
何事もなかったかのように、笑う。
「なかなかお涙ちょうだいのストーリイやったな。脚本書いてみたらどうや? ハリウッドが実写化してくれるで」
「あんた……」
「とはいえ、チャペルで主が下りてこなかった理由なんか単純やけどな」
「え……?」
一瞬、トミタの顔が空白になる。
コピーキャットは笑みを深めた。
単純な話。
「救世主ってのは、ええか? 『人間』のためにおるんやで。それだけや」
トミタが怒号とともにナイフを引き抜いたが、起き上がれなかった。握っていたナイフが落ち、打ち上げられた魚のように転がった。
ほとんど同じタイミングで、コピーキャットのスカートから薬品の瓶が転がり落ちた。
トミタに使った痺れ薬の薬品らしかった。
気まずげに咳払いした彼女は、薬品を蹴り飛ばした。
コピーキャットの興味の矛先は俺へと移っていた。
「あんたにはがっかりやで」
宙づりにされた。抵抗しようとも、ピクリとも動けない。
彼女は正確に俺の喉を締め上げていた。
「うちが誠心誠意真心を込めてお願いしたんに、その返答が首を絞めるって、あんたの頭はどないなっとるんや。しかも殺せてないし。遺言言ったうちがアホみたいやないか」
「誰かさんのせいで腕に力が入らなかったんだよ」
一歩、また一歩と、屋上の縁へと向かっていく。
「そりゃスマンかったわ。でもまあ、しゃあない。今は死にたい気分より殺したい気分なったわ」
もう後ろに下がることはできない。
コピーキャットは、いつでも俺を突き落とせる。
しかし、立ち止まった。
コピーキャットは俺の服から、こまごまとした器械を取り出した。
それは、とトミタが呟く。
「発信機やろ、これ?」
首を振る。無造作に放る。
「あほらし」
足を振り下ろす。ぐしゃりと音がして、器械はあっさりと塵と化した。
コピーキャットが俺の首筋を掴みなおす。指に込められた力のせいで、無理やりにでもトミタの方を向かざるを得ない。
「なあトミタ」
初めてコピーキャットが、トミタを呼んだ。
「……なによ」
トミタもまた、何を感じ取ったのか、這い蹲ったままコピーキャットの呼びかけに答える。
ここに、三人の人間がいる。
二人は異邦人でありながら、この国の言葉を流暢に操っている。
そして、俺の国の常識からすれば、二人は犯罪者で、連続殺人鬼で、それゆえに狂っていた。
だが、この国の人間でありながら、この国の言語を使われながら、なおも部外者でしかない俺こそが、本当の異邦人なのではないか。
そう思うと、情けないくらいに恥ずかしい。
「二つに一つの選択や。あんたの命か、こいつの命か」
コピーキャットは言う。
「あんたは、どっち選ぶ?」
沈黙が場を支配していた。トミタらしくもない。
噛み締められる唇。
カチカチとなる前歯。
脳裏に保健医の姿が浮かぶ。
トミタさえ手を出さなければ、彼女は今も保健室で日報を書いて、仕事を終えて帰っていたことだろう。
彼女は居合わせただけだった。
殺される理由は何もなかった。
だが彼女を盾にしなければ、トミタが死んでいたかもしれない。
死ぬか生きるかの世界で、トミタの行動は何ら間違っていない。
彼女の無意識の判断は、合理的な解を弾き出す。
――けれど彼女は、そんな自分をどこかで嫌悪しているのではないのか。
もしかしたら、この逡巡こそが、トミタという殺し屋なのかもしれない。
コピーキャットは快楽殺人犯だ。
俺に接触するためだけに変装した石川は、おそらくはもうこの世にいないだろう。
石川だけでなく、その家族さえも巻き込まれているかもしれない。
だが、トミタは違う。人殺しに罪の意識を感じている。
自分の葛藤を言葉にしたからこそ、再びそれに絡めとられている。
「皮肉なもんじゃないか、コピーキャット」
「何がや?」
俺の言葉に、意味が分からないと言わんばかりに眉を寄せる。
「トミタはお前んとこの宗教で、その罪の意識に葛藤しているみたいだぞ」
――お前や俺と違って。
「せやね」
ふっと力を抜いて、コピーキャットが笑う。
俺も笑った。くつくつと、互いの喉が鳴る。
「で。答えは決まったか?」
俺が尋ねた。トミタがはっとしたように顔を上げた。
俺の顔色から、何を読み取れたかはわからない。
今までへらへらした顔をして、必死に自分の気持ちを押し殺して生きてきた。
道化のように生きるという信念をもっていたはずだった。
けれど、それは違った。
俺はただ、逃げていただけだった。
そんな俺の笑顔を笑えないと称したトミタは、俺の顔から何を読み取れたかはわからない。
それでも、これだけは、この笑顔から伝わってほしかった。
――お前になら、殺されてもいい。
なぜなら。
――俺もまた、この程度で死ぬ気はないからだ。
トミタがゆっくりと口を開き、言った。
コピーキャットは馬鹿にしたように笑って言う。
「偽善者が」
それから俺の方を向いた。ここでも笑顔が待っていた。
「ほな、さいなら、やで」
前触れはなかった。
突如、コピーキャットの手が離れた。重力に従って、俺の体は落ちていく。
――寸前。
「あ……?」
俺の指が、彼女のブレザーの裏地に引っかかっていた。
引き剥がそうとするも、遅すぎた。
彼女の体は宙を舞っていた。
投げ出されたコピーキャットの体を抱える。信じられないものを見るかのような、彼女の顔が間近にある。
俺はこう囁いた。つもりだった。
「もう悪さできんように、ここで骨でも折ってもらおか」
そして、落ちた。
それだけの話だった。




