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決闘代理人ジャック・ノワールの事件簿

冤罪をかけられ婚約破棄された悪役令嬢は、『最後の騎士』と呼ばれる男とともに決闘裁判に挑みます~決闘代理人ジャック・ノワールの事件簿~

作者: 鯵御膳

「お願いいたします、わたくしの代理人になってくださいませ!」


 一人の少女が、とある邸宅に駆け込んで来た。

 ふわふわと波打つような真紅の長い髪は、高い炎の魔力を宿した高位貴族のもの。

 少なくとも、護衛一人だけを連れてやってくるような身分ではないはずだ。

 日に焼けたことがないかのような白い肌に丁寧な化粧を施された顔は、普段ならば強気に吊り上がっているだろう目がその力を失っていてもなお美しい。

 その胸を飾るネックレスにはめ込まれた精緻なカットを刻むルビーを見るに、さぞかし名のある家の者なのだろう。


 そんな彼女が駆け込んだのは、王城を中心として同心円状に広がる貴族街、その外縁にある騎士達が住む地域の中でも更に端、平民達が暮らす街区との端境で、彼女のような貴族令嬢が足を踏み入れるのも珍しいこと。

 加えて、その家も異端だった。

 こんな騎士の中でも最下級の人間が住むような地域に建てられた邸宅であるというのに、並みの子爵や伯爵の邸宅よりも立派。

 通された応接室の内装も、それに見合うだけの品質と見て取れる。


 そして彼女の向かいに座るこの邸宅の主もまた、それに恥じぬ三十前後の伊達男だった。

 高位貴族の令嬢を前にして不遜に組まれた足はスラリと長く、それでいて上半身は程よく鍛えられて力強さを醸し出しており、立てば惚れ惚れとするほどの美丈夫ぶりを見せるだろう。

 やや太めの眉は意志の強さをその顔に宿し、サーガに出てくるような凜々しい顔立ちを一層印象づけているのだが……一つだけ、その芸術品のような容貌を損なっているものがあった。

 その顔に浮かぶ、少女の懇願に対して向けた、随分と迷惑そうな表情である。

 

「俺は高いんだ、やめておいた方が良い。

 お嬢様のおままごとってわけでもなさそうだが……この王都には、代理人となる騎士などいくらでもいるんだ、まずはそっちを当たりな」


 眼前で頭を下げる少女へと諭すように男が言えば、少女はのろのろと顔を上げた。


「心当たりを全て訪ねましたが、ことごとく断られてしまったのです!

 どんな名うての騎士様も、決闘相手の名前を聞けば皆……いえ、それも仕方ない、のですが……。もう、本当にあなたしかいないのです……『最後の騎士』ジャック・ノワール様」


 すっかりやつれて疲労の色が濃くなった少女を前に、ジャックと呼ばれた男は小さく溜息を吐いた。

 足下を見れば、『訪ねた』の言葉通り、ここ数日自らあちこちへ出向いたとみえて、足裏に出来た豆のせいか筋肉痛か、はたまた追い詰められた故かその脚は小刻みに震えている。

 騎士達が住むこの辺りは貴族の邸宅のように馬車を乗り付けられる馬車停まりなどないから、貴族令嬢が歩いたことなどない、むしろ歩こうなど考えもしない距離を歩いてきたのだろう。

 確実に言えるのは、それでも無駄足に終わったということ。

 もう彼しかいない、というのは嘘偽りない話なのだろう。


「聞いているかも知れないが、先に一つ言っておく。

 俺への依頼料は、相場など全く関係ない法外なものだ。それを払う覚悟はあるかね?」


 男の言葉に、少女は一瞬だけ口籠もって。

 ゴクリ、と唾を飲み込んで喉を鳴らすと、ゆっくりと口を開いた。


「はい、聞いております。そして、覚悟してまいりました」

「そうか……」


 呟くように返せば、少しばかり息を吐き出す。

 『誰だ、こんな年端もいかぬ小娘に俺のことを教えたのは』と恨みがましい気分にもなろうというもの。

 だが、『もうあなたしかいない』などと言われてしまえば追い払うのも躊躇われる。

 その言葉は、彼にとってスイッチのようなものだから。

 

「話を聞くだけは聞いてやろう。だが、受けるかどうかは別問題だ」

「もちろん、それで構いません。わたくし、パメラ・フォン・デュモンドが決闘裁判を受けた事情なのですが……」


 と前置きしてから少女、パメラが語り出したのは、何とも頭の痛くなる話だった。

 彼女はデュモンド侯爵家の娘でありこの国の第二王子エリオの婚約者なのだが、政略で決められた相手とあってエリオからの扱いは悪く、良い関係だとはとても言えない。

 その上、貴族学園に入学した後はマノンという男爵令嬢がエリオに急接近、彼の寵愛を欲しいままにしていることで仲は更に悪化の一途を辿っていたという。


「いつ頃からか、わたくしが彼女に注意したことが暴言を吐いていじめたことになっていたり、やっていない器物損壊や傷害がわたくしがしたことになっていたり……。

 ついには殺人未遂の罪まで被されてしまいまして……」

「侯爵令嬢の君であれば、侍女の一人や二人はついているものだろうにそんなことが?」

「はい、その男爵令嬢を直接襲ったのは街のならず者でして、捕まった彼らがわたくしが依頼したのだと言い出して……もちろん侍女達も違うと証言してくれましたが、わたくしの侍女だから信用ならないと」

「話を聞くに、端から聞き入れるつもりがないように思えるが。

 それで話は平行線、殺人未遂という洒落にならない犯罪の白黒を付けるために決闘裁判を言い渡された、と」

「その通りです。……今にして思えば、それもまたエリオ殿下の計画の内だったのでしょうね……」

 

 決闘裁判。神の御前で互いの主張に白黒を付けるため決闘をする、儀式めいた裁判のことを言う。

 科学的捜査などないこの国では、ほとんど全ての裁判が証人頼みになっている。

 だが、『私は見た』と言われても、誰もそれが正しいかを証明出来ないケースは少なくない。

 そうなれば、刑罰を受けたいだとか訴訟で負けたい人間などいないのだ、互いに譲らず裁判は長引くばかり。


 それを解決するのが、この決闘裁判だ。

 宗教的な観念として神の御前で嘘を吐く者などいないはず、という建前的な常識はあるが、残念ながら実際はそうでもない。

 しかし、この世界には実際に神がいるため、正しい者には神の加護が授けられるということが起こる。

 故に神の御前で決闘を行えば、勝者は神が認めた正しき者になる、というわけだ。

 そのため、決闘裁判を申し込まれた者は基本的に拒否しない。事実上、出来ない。

 拒否するということは、己が正しくないと認めるも同じであり、それは多くの場合社会的致命傷となりうるからだ。


 もっとも、欲に塗れた神官が袖の下を握らせてきた者を贔屓して儀式を正しく行わず、授けられるべき者に加護が授けられないまま決闘が行われる、ということも往々にしてあるのだが。

 そして、相手はこの国の第二王子。であれば、色々と手筈は整えてきているのだろう。


「なるほど、そりゃ誰も受けないわけだ、そんな貧乏くじなんて引きたくないだろうからな」

「はい、だからわたくしも、仕方ない、と。……やはり、だめでしょうか……」


 そう言いながら、パメラは目を伏せた。

 如何に『最後の騎士』と呼ばれ、誰も受けなかった決闘代理人を引き受けることで名を馳せた男であろうと、王子が相手となれば。

 諦めかけたパメラの耳に聞こえてきたのは……押さえた笑い声だった。

 驚いて顔を上げれば、ジャックは笑っていた。それも、とても楽しげに。


「気にするな、見ての通り金は余るほど持っているんでね。貧乏くじの一つや二つ、引いたところでどうってことはない」


 そう言いながら彼が手で示したのは、応接室に置かれた調度品や家具。

 どれもこれも当代一流の職人が作ったものであり、中には今や王家御用達となった工房の物まであるのが見て取れる。

 おまけに見たところいずれも精魂込められた最高級の一点物、値段を付ければいくらになることか……いや、値段を付けられないものすらあるだろう。

 それを、一介の騎士……それも、無位無官、仕える主のいない自由騎士であるジャックが手にするなど、普通は考えられない。

 全く後ろ盾のない彼が買うとなればツケなど利かず、現金一括払いしかないはず。

 払えるはずのない金額を払ってきている、ということに他ならないわけだ。


 だから、彼の価値観はまた別のところにある。


「それよりも、決闘裁判なら王子様の顔面に一発いいのを入れても文句を言われないだろう?

 滅多にない機会だ、逃すなんてとんでもない」


 相変わらず不遜で、そして不敵な笑み。

 彼は、ジャックは負ける気などこれっぽっちもないようだった。


 決闘裁判は、神の御前で平等に裁かれるという建前がある。

 ということは、その結果に文句を付けるということは神の審判に異議を申し立てるという、とてつもなく不敬な行為であるため許されない。少なくとも、表立っては。

 そして、決闘であるため、当然負けた方は死ぬこともあるのだが、それに付いても同様である。例え王族が平民に殺されたとしても、だ。

 実際の所は貴族間での決着に使われることがほとんどであるため、平民が当事者となることなどそうあることではないが。

 また、代理人や助太刀として立つことが出来るのは騎士叙勲を受けた者のみであり、その意味でも平民が出てくることはほとんどないため、本当に決闘で平民が王族を殺したことはないのだが……取り決めとしてそれは明文化されている。

 であれば、騎士爵位を持つジャックが王子を殴る程度であれば、全く問題になるわけがないのだ。

 理屈としては。

 理屈としては、わかるのだが。

 まさかそんなことを本気で、しかも怯えなど欠片もなく言い放つなど。

 理解しきれず、パメラはぽかんとした顔をさらしてしまった。


 そんな彼女をしばし楽しげな顔で見ていたジャックは、ぱん、と一つ手を打つ。


「ただし、それも君が依頼料を払えるならば、の話だ」


 言われて、パメラは慌てて表情を繕い、姿勢を正した。

 高い、とは聞いている。それも、侯爵家の令嬢と知ってなお『高い』と言うのであれば、果たしていかほどか。

 緊張で肩が強ばるパメラへと告げられたのは、ある意味でシンプルな言葉だった。


「依頼料は、君の全財産から払えるだけ全て。それが依頼を受ける条件だ」

「……はい? す、全て、ですか!?」


 思わず淑女らしからぬ声を上げてしまったのも、仕方のないことだろう。

 全財産の全て。その条件であれば、いくら侯爵家だろうと高くつくのは当然のこと。

 驚きのあまり硬直したパメラを見やりながら、ジャックはクツクツと喉を鳴らす。


「そう、全て。君が、この決闘裁判に賭けられる全て。

 あるいは、負ければ失うであろう未来や命と釣り合うと考えるだけのもの。

 何しろこちらは赤の他人である君のために、王子に逆らって命を張るんだ。それくらいじゃないと釣り合いが取れないじゃないか。

 だから、それを差し出す覚悟がなければ、俺は引き受けない。シンプルな話だろう?」

「シ、シンプル……ある意味とてもシンプルですが、それは……」


 それにしてもシンプル過ぎる上に、法外にも程がある。

 あまりの衝撃に頭がクラクラとして意識が現実から逃げ出そうとするも、淑女として鍛えられた理性がそれを拒む。

 ここで気絶して、何になるのか。

 どの道受けてもらえねば最悪命を落とし、良くても国外追放で結果に大差はないだろう。身一つで国外に出された令嬢など、一日もつかどうかすら怪しいところなのだから。

 ならば、何をどれだけ払うべきか。パメラの頭が動き始めた時、真っ先に浮かんだこと。

 全てを手放したとしたら、領民達は?

 彼らの生活はどうなるというのだ。その疑問が、パメラの口を開かせた。

 

「……あの。その全財産、には、領地も含まれますか?」


 かすれるような声をなんとか絞り出せば……ジャックの片眉が上がる。

 そうして作られた表情は、やはりどこか楽しげなもの。


「肝が据わっているな、良い質問だ。

 残念ながら、含まれない。君がどこぞの領主様だってのなら話は別だが」

「……え?」


 思わぬ返答、いや、想像していなかった言い回しに、パメラは思わず聞き返してしまう。

 ジャックの言った言葉の意味。それが意味するところ。


「……あ。先程仰ったのは、わたくしの、全財産から……侯爵家のでは、なく?」

「その通り。そこまで理解したのは大したもんだ。

 いや残念、これで君のお父上が同席していれば、侯爵家全財産から出せるだけ出してもらったんだがね?」

「父は、この決闘裁判を、何とか止めようと、王宮に働きかけてくださっていて……ま、まさか、それがこんなことに……?」


 おどけたように肩を竦めるジャックを前に、パメラは小さく身体を震わせた。

 もしも、父であるデュモンド侯爵がここまで付き添っていれば。

 何とか時間を作ろうとして、それでも王宮から離れることが出来ない父が来るのを座して待っていたとしたら。

 決闘裁判の日に間に合わなかったか、それとも侯爵家の財産をむしり取られてしまっていたか。

 だが、不安を振り切ってここまで自分で辿り着いたからこそ、支払いで家にも領民にも迷惑を掛けることなく済みそうで。

 パメラの表情から、どこまで理解したのか察したジャックは小さく拍手をしてみせる。

 煽りなどではなく、心から。

 

「そういうこと。ささやかながら、君の決断と勇気に敬意を。君がここまで来たことは、無意味じゃない」


 ジャックの言葉に、つぅ……とパメラの目から涙が零れた。

 無意味ではなかった。王都を駆けずり回って代理人を捜し回った日々も、断られ続けて最後の最後、ここにやってきたことも。

 それは、どれだけ救われる言葉だったことだろう。

 ただ、話はこれで終わらない。


「ただしそれも、君が俺を納得させられるだけの依頼料を示せるか次第だがね。君の覚悟を、形で見せてもらおうか」


 そう言われてパメラは、はしたないだなんだはどうでもいいとばかりに袖でぐいっと涙を拭い、強い意志の宿った瞳をジャックへと向ける。

 打ちひしがれていたお嬢様は、今はもうどこにもいない。


「わかりました。ジャック・ノワール様、あなた様にご満足いただけるだけの依頼料、必ずご用意して参ります!」

「良い啖呵だ。楽しみにしているよ、パメラ・フォン・デュモンド侯爵令嬢殿」


 気迫さえ滲むその声に、ジャックは満足そうに頷いた。





 だが。

 その数日後、ジャックは少しどころでなく後悔することになる。


「ジャック・ノワール様、依頼料をご用意いたしました!」


 そう言いながらパメラが差し出してきた袋に入った金貨が、予想を遙かに超える金額だったから……ではない。


「……二つ、聞いてもいいか?」

「はい、なんなりと!」


 何か吹っ切れたかのように快活なパメラの声を聞けば、ますますジャックの顔が渋くなる。

 見れば、パメラが着ているのは侯爵令嬢が着るものとしては本当に最下限のシンプルな、もはやワンピースと言ってもいいようなドレス。恐らく、それまで着ていたドレスの大半は処分して依頼料に当てたのだろう。

 それだけであれば、彼の想定の範囲内だったのだが。


「……一つ目。君が先日着けていたネックレスは、家宝か何かだったのでは?」

「あ、はい、母が生前大事にしておりましたものを譲り受けたのですが……あれが、わたくしの持つ物の中ではもっとも価値が高い物でして。

 流石に手放すのが大変でしたから、父から公爵様にお願いいたしまして、引き取っていただきました」

「お、おう……そうか……」


 つまり、家宝である上に、パメラの母親の形見である。

 そんなものを手放すには当然父であるデュモンド侯爵の許可が要るわけだが、パメラは説得して手放し、依頼料に当てたわけだ。

 もうこの時点でジャックとしては冷や汗ものどころの騒ぎではないのだが。


「二つ目。髪は、どうした?」

 

 ジャックが後悔した一番の理由。

 それは、パメラが長かった髪をばっさりと肩の辺りで切り落としていたこと。

 貴族社会において令嬢が長い髪を切ってしまうのは、出家宣言とほとんど変わらない。

 それを彼女はすっぱりとやってしまったのだ、まだ十代の若さで。


「はい、わたくしの髪に宿った魔力はとても良質で膨大だったらしく、魔術研究所が破格の値段で買い取ってくださいました」

「そりゃそうだろうよ、二度と手に入るとは思えないくらいの希少品だからな!」


 高位貴族女性の魔力が、十数年に渡って蓄えられた髪。

 その魔力を使えば、さぞかし様々な研究が捗ることだろう。

 しかし、前述の社会的風習もあって、そんなものを手に入れられる機会はあまり多くない。

 そこに侯爵令嬢のパメラが髪を売ると言ってくれば、年度予算を使い果たしてでも手に入れたいだろうことは想像に難くない。

 

 この二つのトンデモにより積み上がった予想を遥かに上回る金貨を前に、流石のジャックも天を仰いだ。

 それから、ペシンと力無く片手で顔を覆う。


「っあ~ちっきしょう……これだから、若さって奴は怖いんだ……こんなことするかね、普通」


 ぼやくようなジャックの言葉に、パメラは微笑みを浮かべた。


「はい、普通ではないかと思いますが、しかし、ノワール様がお求めだったのも普通ではない覚悟、だったのではございませんか?」


 そう言いながら、パメラは応接室内を見回す。

 以前示された調度品や家具、壁に掛けられた絵や床を彩る絨毯。

 いずれも、当代きっての職人達が手がけた素晴らしいもの。

 そう、魂を込めて作られた、一点もの。


「何人か、ここに置かれている調度品を作った職人と会って、話を聞きました。

 ……皆様、決闘裁判の代理人としてノワール様に依頼していたのですね。

 そして彼らは、持てる財産の全てであなたに依頼した。

 彼らの持つ技術という、何物にも代えがたい財産で。

 ここに置かれている品々は皆、職人の方々が依頼料として作ったものなのでしょう。

 あなたがわたくしに求めていたのも、そういった覚悟だったのではございませんか?

 ですが、わたくしには彼らのような技術はございません」

「だから家宝を手放し、髪も切った、か」


 ジャックが求めたのは、パメラが推測した通り。

 それは、誠意と言い換えても良いかも知れない。

 命がけで代わりに戦う人間に対して、どこまでの敬意を払えるか。誠実に向き合えるか。

 それを計るために、ジャックはこんな依頼料を要求している。

 だが、ここまでやってくるとは思っていなかった。

 彼女の覚悟を、計り損ねたのだ。


「ああもう、俺の負けだ負け! わかったよパメラ・フォン・デュモンド侯爵令嬢殿!

 このジャック・ノワール、君の代理人として全身全霊、ありとあらゆる全てでもって勝利をもぎ取ろうじゃないか!」


 がばっと上半身を起こしたかと思えば、やけくそ気味にジャックは言い放つ。

 こんな年若い令嬢にここまでされて、なお捻くれることなど彼には出来なかった。

 ジャックの宣言を受けて、パメラの顔が喜びに輝く。

 

「あ、ありがとうございます、ノワール様!」

「ったく、とんでもない侯爵令嬢もいたもんだぜ……まあいいさ、こうなりゃきっちり王子様にきっついのをお見舞いしてやるだけだ!」


 パメラが礼を述べるも、ジャックの顔は渋いもの。

 ただ、その唇の端は少しばかり上向きになっていた。





 それから更に数日後、決闘裁判当日。

 二人は、神殿にある決闘裁判用の闘技場に来ていた。


 訴えられた被告としてパメラの名前が呼ばれれば、一斉にブーイングが起こり。

 その彼女がジャックにエスコートされて闘技場に姿を見せれば、途端に静まり返った。

 短く切られた髪、宝飾品の一つも身に着けず、纏うのは簡素なドレス。

 伝え聞く噂話から悪女パメラのイメージしか持っていなかった人々は戸惑うばかり。


 その内の幾人かの視線は、原告として先に入場していた男爵令嬢マノンへと向けられる。

 ただでさえ派手派手しいピンクゴールドの髪で目を引く彼女が身に着けているのは大振りな宝石をあしらったアクセサリー、着ているのはゴテゴテと派手に飾られた豪勢なドレス。

 心清く優しい少女がするような格好だろうか? 首を傾げる者も少しずつ出始めている。


 だが、場内のそんな空気など、全く意に介していない人間ももちろんいる。

 第二王子エリオである。


「逃げずにノコノコやってくるとは、悪女にも貴族の誇りはあったらしい!

 おまけに髪を切ってくるとは潔いことだ!」


 その顔に浮かぶのは、嗜虐的な愉悦に歪んだ笑み。

 なんと、第二王子殿下はこんな人間だったのか。

 王族への忖度なく決闘が行われるようにと国王の臨席がないのもあって、彼を窘める者はおらず、その態度が治まることもない。

 ざわざわと観客が揺らぐ中、すっかり浸りきった顔で王子エリオはパメラに向かって両手を差し伸べた。


「いいだろう、素直に負けを認めるのであれば、その命は免じてやる。俺の愛妾として一生尽くすがいい! 出家させて修道院に押し込むには惜しいからなぁ!」


 最も尊き身分であるはずの王族が見せる、醜悪でゲスな欲望と表情。

 観客はもとより立ち会っている神官達も顔を歪めている者が多い。

 ……その中でこの決闘裁判における儀式を執り行う司祭の表情が変わっていないのは……つまり、そういうことなのだろう。


 そんな醜いものをぶつけられて、しかしパメラは臆することなく一歩前へと踏み出した。


「お断りいたします」

「……は?」

「お断りいたします、と申し上げました。

 わたくしが髪を切ってきたのは、決意の表れ。

 全てを捨ててでも抗い、己の正しさを貫き通そうという覚悟を示すためのもの。

 断じて殿下の言いなりになるためではございません!」


 背筋をピンと伸ばして立ち、決然とした表情で凜々しく言い放つパメラ。

 その姿に、会場はシンと静まり返った。

 二人を見比べれば、最早どちらが正しいかなど明白ではないか。


「な、何よ何よ! 悪役令嬢のくせに、何かっこつけてるのよ!」


 そんな空気を破るかのように男爵令嬢マノンが声を上げる。

 彼女の想像では、もっと取り乱しているか打ちひしがれているかしているはずのパメラが、まるで主役であるかのように凜とした姿を見せているのだから我慢がならない。

 マノンの中では、主役は彼女なのだから。

 そして自分を主役だと勘違いしているのがもう一人。


「よくもこの俺様の寛大な提案を拒みおったな! ならばよかろう、思い知らせてやる!

 司祭、決闘の儀式を!」

「はっ、かしこまりました」


 いきり立ったエリオが声を上げれば、司祭が取り乱すことなく応じて儀式を始めようとしている。

 まず、この時点でおかしい。

 原告マノンの代理人でしかない第二王子エリオが、儀式の進行を仕切っている。これが普通はありえない。

 あくまでも司祭が中心となって執り行うものなのだから。

 儀式が進めば、神官達が訝しげな表情になり、決闘裁判を見慣れている幾人かのマニアとも言うべき人間達も首を傾げる。

 いくつか、手順が飛ばされていないか? これでは、神の加護を得られないのではないか?

 だが儀式を執り行っている司祭はこの場にいる神官達の中で最も位が高く、儀式にも精通しているはず。

 ならばこれでもいいのか?

 誰も疑問を挟むことが出来ないまま、儀式は進む。


「それではまず訴えを起こされた男爵令嬢様、神への訴えと宣誓を」

「はいっ! あたしはそこのパメラ様にいっつも酷いいじめを受けてましたぁ!

 この前なんか暴漢に襲われて殺されそうに……それも全部全部パメラ様のせいですぅ!

 誓ってこれは嘘じゃありません!」


 マノンの訴えと宣誓に、何人もの貴族達が顔をしかめる。

 甲高い声は耳に煩く、知性を感じさせない口調は頭に痛い。

 あれでいずれは王子妃になろうというのか。

 それでよしとするエリオにも、疑いの眼が向けられるのだが……エリオは残念ながら気付いていない。


「それでは続いて侯爵令嬢様、神への訴えと宣誓を」

「はい。わたくしパメラ・フォン・デュモンドは、マノン嬢が訴えたようないじめなど全くしておりません。

 暴漢を差し向けるなどとんでもないことでございます。何しろ我が侯爵家がその気になれば、暴漢を使う必要などないのですから。

 神に誓い、虚偽など一切申しておりません」


 彼女の言葉に、会場中の人間が背筋に冷たいものが走ったような感覚を覚えた。

 殺る気ならばとっくに、密かに殺っている。そう言っているようにも思えて。

 これこそが高位貴族なのだという圧に、幾人もがゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


「やだパメラ様こわ~い! エリオ様、助けて!」

「大丈夫だマノン、お前には指一本触れさせん!」


 ……その圧を感じ取れなかった二人が茶番を繰り広げているが、最早会場の人間は冷めた目で見ているのみ。

 いや、司祭だけは淡々と儀式を進行しようとしていた。


「よろしい。お二人の訴えと誓いを神はお聞き届けになりました。

 お二人とその代理人達に、あるべき加護を」


 と司祭が告げたと思えば、場内をほのかな光が照らす。

 だが。


「とんだ狸だな、あの司祭。手順をすっ飛ばしたせいでまともな加護なんて発動しちゃいない」

「やはり、ですか……あの光は誤魔化しのため、ですね?」

「そういうこと。もしかしたら、あっちにだけは人間の手による支援魔法がかかっているかも知れないがね」


 ジャックとパメラが、こそこそと言葉を交わす。

 こういったことは、特に高位貴族や王族が絡む決闘裁判ではよくあること。

 だからジャックは、そしてその話を聞いていたパメラはこうなることを予期していた。


「ま、同じ人間同士ってんなら、俺が負ける道理はない。安心してそこで見ていることだ」


 そう言いながら、ジャックがパメラをかばうように一歩前へ。

 それを見た司祭が、王子の方を意味ありげに見た。


「これより、神の御前にて決闘による審判を始める。今回は原告被告、ともに貴婦人であるため、決闘は代理人によって行うこととする。

 両者の代理人、助太刀は前へ!」


 言われて、ジャックが更に前へ。

 そして、マノンの代理人たる第二王子エリオが二歩ほど前へ出たところで……闘技場の入場口から、わらわらと十人ばかりの騎士と思しき男達が入ってきた。

 パメラには見覚えがある。マノンを取り巻き、媚びていた連中だ。


「な、なんだあいつらは!?」

「全員帯剣している……おいおい、まさかあれ全員……」


 会場がどよめく中、第二王子エリオは誇らしげに胸を張る。


「どうだ見ろパメラ! マノンの決闘裁判と聞いてこれだけの人間が助太刀に駆けつけたぞ!

 だというのに貴様はどうだ、代理人がたった一人だけではないか!」


 己の正しさを微塵も疑っていない様子に、会場は困惑し、あるいは憤っている。


「なんと恥知らずな……決闘をなんだと思っているのだ!」

「一人を相手に十人以上? 二対一ですら屈辱的だというのに、あやつらは何故ああもニヤニヤしていられるのか……」


 特に年配の者ほど、憤りを隠せない。

 彼らが心に刻んでいた騎士道精神が汚されたも同然なのだから、それも当然のことであろう。

 二対一の決闘を受けられるということは、その程度の腕しかないと言われるも同然。

 だというのに、彼らはにやついている。

 誇りなどどこへやら、勝利を確信して相手を見下しているその態度は、実に醜い。

 ましてそれを、彼らの背後に立ち得意げに誇示している王子と令嬢など。


 そんな連中を相手取る事になった騎士、ジャックへと同情の視線が向けられ……すぐに驚きに変わる。

 彼は、笑っていた。


「おいおい、聖歌隊じゃなかったのか? ゾロゾロ出てきたもんだから、てっきり賛美歌でも歌いに来たのかと思ってたんだが。

 いや、ないか。賛美歌を嗜んでる顔にはまるで見えやしない」


 おまけにその口から飛び出したのは、挑発の言葉。

 理解が及ばず会場が一瞬静まり返り。

 それから怒号のような、歓声のような、そんな声が飛び交った。


「き、貴様!? 王子たる俺の助太刀に対して、なんと不敬な!」


 特にエリオなど得意げにひけらかしたところで水を差されたのだ、顔を真っ赤にして憤慨しているのだが……ジャックはまるで意に介した様子がない。

 それどころか、嘲るような笑みを向ける始末。


「不敬も何も、決闘裁判の闘技場じゃどんな身分も関係なく平等って大前提があるでしょうよ。

 そうでなくても敵同士、おべっか使ってどうするってんです」

「はっ! そんな建前を真に受けてどうする、俺は王子だぞ!」


 王子という身分を振りかざしても手応えのないジャックに、僅かばかりの焦りがエリオの内に生じる。

 なんだこいつは? という疑問は、ある意味ですぐに払われた。不幸なことに。


「だから、ですよ。王子様を気兼ねなくぶん殴れる機会なんて、そうそうありゃしない」

「は!?」 

「な、なに言ってんのあいつ!? ば、ばっかじゃないの!?

 

 あまりの発言に、エリオの思考が止まる。その後ろで、マノンが騒いでいるが、それこそ最早誰も気にしていない。

 王子だから、容赦しない。そうとしか取れない発言に、彼の常識からしたらありえない言い草に、脳が理解を拒否している。

 そんなエリオを気遣わしげに司祭が見るも、事ここに至っては進行を止めることなど出来ない。


「それでは、両者の代理人、助太刀は以上でよろしいですかな」

「おうともさ」

「はっ?! あ、ああ、いいぞ!?」


 呼びかけられて、太々しく応えるジャック。

 一拍遅れて意識が戻ったのか、慌てて応えるエリオ。

 もしも彼らの一騎打ちであれば、最早この時点で勝負はついていたことだろう。


 だが、決闘は十人あまりの王子側に対してジャック一人。どう考えても絶望的な数字だ。

 それでもなお揺るがずに立つ勇敢な騎士へと、会場の多くの者が憐れみの視線を向けるなか、司祭が手を挙げて。


「それでは、決闘を開始いたします。……はじめ!!」

「い、いけ、お前達! 奴を囲んで、嬲り殺せ!!」


 開始の合図と共に、エリオがとんでもない言い草で指示を出す。

 最早決闘でもなんでもないではないか。

 多くの者が憤る中、剣を抜き放った助太刀達が、横一列になりながらジャックへと向かって突進。

 途中で真ん中の者達が減速、左右の端が速度を上げ、逆アーチの形で包囲を開始。

 程なくしてジャックを囲む形が完成する……はずだった。


「……え?」


 正面に位置して向かっていた男の視界から、ジャックが消えた。

 いや、消えたとしか思えぬ速さでジャックは右へと跳び、剣を抜き様、右端の男へと斬りつけてその額をかち割った。

 

「ぎゃ、ぁ??」


 何が起こったか理解出来ぬうちに崩れ落ちる右端の男には一瞬だけ目をやり、致命傷であることを確認するとすぐさま最小限の動きで刃を返し、目の前に迫っているさっきまで端から二番目だった男の首を薙ぎ払う。

 と、剣は振り抜かず、その切っ先をぴたりと次なる標的、最初の配置で右から三番目に居た男へと向けて。


「ひぐっ!?」


 放たれた矢よりも早く踏み込みその喉を突いて、三番目だった男へと変えた。

 瞬く間に、三人。

 そんな離れ業を見せた男は、さも当然のごとく悠然と立っている。


「おいおい、茹ですぎたパスタより歯ごたえがないぜ。

 これじゃ軽すぎて、ランチにもなりゃしねぇ」


 煽るような口調で言うも、反応する者はいない。

 いや、反応出来る者がいない、と言うべきか。

 軍隊においては、三割も被害が出ればその部隊は壊滅状態に陥ると言われることがある。机上演習であれば全滅扱いとなることすらあるほど。

 そんな被害をこの一瞬で与えられたのだ、何が起こったのか理解出来ず硬直してしまうのも無理はない。

 だた、そんな彼らが動き出すのを待ってやる義理は、ジャックにはない。


「まったく物足りねぇ。せめて歌うくらいはしてくれよ、なっ」

「うわっ、うわああああ!?」


 そんな軽口を叩く間に、四人、五人。

 あっという間に半数が討ち取られ、残る助太刀達は恐慌状態に陥った。

 何しろ十人で囲んで一人を嬲り殺しにする簡単なお仕事のはずだったのだ、命を賭ける覚悟などしているわけもない。

 だというのに、目の前にいるこの男はあっという間に五人を刈り取った。

 であれば、残る半数はどうなるか。

 

「た、助けっきゅぶぅ!?」


 慌てて命乞いをしようとした男は、剣を捨てる前に喉を潰されて絶命した。

 逃げようとした男は背中を向けた瞬間に斬られ、倒れ臥した。

 心を折られ、降伏を申し出るより早くジャックの刃が彼らの命を奪っていく。


 決闘開始から、一分経つか経たないか。

 闘技場に残るのは、ジャックと第二王子エリオ、ただ二人になってしまった。


「な、なぁ……? 何が、起こって……?」


 エリオは、目の前で繰り広げられた瞬殺劇に、何も言えなかった。

 むしろ理解が及んでいなかった。

 それも仕方なくはあるだろう。たった一人が、十人もの騎士を、一分かそこらで片付けてしまう光景など、現実と思えるはずがない。

 ただ、残念なことに。

 それは、動かしようのない現実だったのだが。


「さ、決着を付けましょうか。なぁに助太刀連中と違って殿下には神の加護がかかっているんだ、正しければ俺に勝てるはず。でしょう?」

「ひ、ひぃぃぃ!?」


 ジャックが笑いかけながら一歩エリオへと向けて進めば、甲高い悲鳴を上げながら彼は今にも腰を抜かさんばかりの情けない足取りで後退る。

 誰よりも彼が知っている。加護などかかっていないことを。

 司祭を抱き込み、儀式を不完全なものとしていたため、ジャックには加護がかかっていない。

 自分達には加護などかからないこと……即ち、虚偽の告訴でもってパメラを陥れようとしていたことを、彼は知っていたのだから。

 だから、司祭に不完全な儀式をさせた。

 その上で、どんな相手が来ても勝てるようにあれだけの助太刀を集めた。


 結果、エリオは加護もなしにたった一人で、ジャックという人間とは思えぬ強さを見せた騎士と向き合う羽目になっている。

 全ては彼の自業自得……いや、彼らの、というべきだろうか。


「マ、マノン! お、お前っ、聖女候補なんだろう!? だったら支援魔術の一つや二つよこさないか!」

「そ、それはぁ、えっとぉ」

「そうしたら、魔術を使った奴も決闘に参加すると見なされますが……よろしいか?」


 口籠もるマノンに言葉を被せるジャック。

 それは確認する口調ではあったのだが……まるで、マノンが口籠もる理由を看破したかのようであり。


「もちろんだとも!」

「絶対いやぁ!!」


 同時に振り向きながらエリオと真逆の内容を言い返してきたマノンの態度が、全てを物語っていた。


「マノン、お前何言ってるんだ!? 俺一人で、あんな奴に勝てるわけないだろ!?」

「だ、だって、無理無理、あたしまで死んじゃうぅぅ!!」

「お前っ、自分だけ助かるつもりか!?」


 醜い言い争いを続ける二人を見やり、ジャックは肩を竦めながら溜息一つ。

 それから、カツン、カツンとわざとらしくブーツの音を響かせながら二人へと近づいていく。


「ま、どっちでもいいんですがね。俺のやることは変わらない」

「ま、待て、待ってくれ! そうだ、今から俺の方に付かないか、金でも地位でも女でも、なんでもくれてやるぞ!」

「いらねぇよ、そんなもん」


 心底興味がないとわかる口調で言いながら、ジャックは更に歩みを進める。

 いつの間にやら左手に剣を持ち替え、右の拳を握り固め。


「金も女もどうとでもなるし、地位なんて欠片も興味がねぇ。

 あんたが差し出せるのは、そのお綺麗な顔面だけなんだよっとぉ!」

「ぎゃぁぁぁぁ!?」

「ぐひぃぃぃ!?」


 そう言いながらジャックが拳を振り抜けば、過たずその鉄拳はエリオの顔面を捉え。

 あまりの威力にエリオの身体が吹っ飛び、マノンを巻き込んで地面を転がった。

 そのまま、二人はぴくりとも動かない。


「……ふむ。司祭殿、これは続行なのかね、決着なのかね?」


 わざとらしく問えば、言葉を失っていた司祭ははっと我に返り。

 数秒、それでも何も言えず。

 ようやく、苦渋の表情で手を挙げながら宣告した。


「勝負あり。神はパメラ・フォン・デュモンドの訴えを正しいとお認めになられました……」


 弱々しい声ではあったが、それでも静まり返っていた闘技場では十分通り。

 次の瞬間、歓声が爆発した。





 こうして、決闘裁判は決着した。

 虚偽の訴えを起こしたマノンは、それだけでも重罪な上に侯爵家の人間を陥れようとした事が特に重視され、極刑。男爵家も財産没収の上お取り潰し。

 第二王子エリオは、侯爵家に対して冤罪をふっかけた上に決闘裁判を汚したことによって侯爵家、神殿の双方からその責任を追及され、毒杯を賜ることに。

 もちろん王家は侯爵家に多額の慰謝料を、神殿には多大な寄付金を納めることとなった。 

 なお、助太刀に入った騎士達はその軽率さに対して神から下された罰が落命であるとされ、それぞれの家にまでは累が及ばなかった。この辺りは、決闘裁判の慣例によるところもある。

 逆に言えば、エリオとマノンはあの時落命しなかったからこそ人間の法で裁かれ、その家にも責任が及ぶことになったわけだ。

 当然、歴戦の決闘代理人であるジャックはそのことを知っていたから、ぶん殴るだけにとどめたのである。

 また、不正な儀式を行った司祭は当然神への不敬とされ、火あぶりの刑に処された。


 それぞれに裁きが下され、少しは落ち着きを取り戻してきた頃。

 パメラは、再びジャックの家を訪れていた。


「ノワール様、本当に、本当にありがとうございました。改めてお礼を述べさせていただきます」

「なぁに、これくらい朝飯前ってね。むしろ楽な仕事過ぎて申し訳ないくらいさ」


 決闘直後にも繰り返し礼を言われたのだが、律儀にもパメラは改めて礼を言いに来た。もっとも、それを受けたジャックは笑って返すばかり。

 実際にその場を見ていたパメラとしても、本当に楽だったように見えたのだから、困りものである。

 十人からの騎士を相手に一人で立ち回るなど、どう考えても至難の仕事だと思うのだが……そう思わせないのが、このジャックという男の底知れないところなのだろう。


 しばし近況などを語り合った後、不意に何かを思い出したような顔でジャックが立ち上がった。


「そうそう、ちょうど良いところに来てくれた。君に渡しておきたいものがあってね」

「わたくしに、ですか? それは一体……?」


 パメラは依頼主であり、ジャックは依頼を受けた代理人。

 であれば、何かを渡されることなどあるわけもないのだが。

 不思議に思っていたところに差し出されたのは、ビロードで覆われた小さな縦長の箱。

 それは、パメラにも見覚えのある……いや、むしろ彼女こそ一番よく見知っていた物。

 

「そいつはお釣りだ、とっておきな」


 促され、震える手で箱を開ければ、中にあったのは予想通りの物。

 侯爵家の家宝、そして何より母の形見であるネックレスだった。


「いやぁ、仕事が楽だったってのもあるんだがね。そいつは元々侯爵家の家宝であり君のお母上の物。ってことは、純然たる君の財産とは言えないだろう?」

「だ、だからってこれはっ、公爵様に引き取っていただいたものでっ、い、いくらあなた様といえどもっ」

「それが幸運なことに、公爵様にはいくつか貸しがあってね。その一つをチャラにするって言ったらあっさりと買い戻させてくれたよ」


 あっけらかんとしたジャックの様子に、返す言葉もない。

 一介の自由騎士が、公爵相手に貸しを作っているなど荒唐無稽にも程があり。

 それでも、ジャックならばありえると思えてしまう。

 目の前で笑っている彼は、そんな男だ。

 知らず胸と目頭が、熱を帯びてくる。


「ということで、こいつは君の……もとい、君と侯爵家の物だ、大事に持って帰りな」


 促され、箱ごとネックレスを胸に抱きしめる。

 覚悟と共に手放しはしたが、それでも未練は残っていた。

 このネックレスには、母との思い出が宿っているのだから。

 そのことが、こうしているとこれでもかと実感出来てしまう。


「ありがとう、ございます、ノワール様……本当に、本当に……」


 よかった。

 本当に、よかった。

 彼に依頼して。こうして、大事なものが守れて。

 本当に本当に、よかった。

 ポロポロと涙を零すパメラへと、ハンカチが差し出される。

 ジャックからそれを受け取ったパメラは、しばしくぐもった嗚咽を漏らし続けたのだった。




 それから、数分だろうか、十数分だろうか。

 パメラが泣き止むのに十分な時間が経った。


「さ、これで依頼料の清算も完了、依頼は無事完遂ってわけだ。

 おめでとう。そして、お疲れ様。ここまでよく頑張ったな」

「ノワール様……」


 言われて、パメラは顔を上げた。目に入ってくるのは、初めて見るジャックの優しげな笑み。

 どくん、と心臓が音を立てて。

 それから、急激に頭が回る。

 これで、終わり。

 決闘裁判に勝ち、依頼料の清算が終われば、彼との関係はそこまでだ。

 ……それは、嫌だ。

 ならば。


「いいえ、まだ終わりではありません」

「ん? いや、他に処理するものなんて何かあったか?」


 怪訝な顔をするジャックを前に、パメラはすっくと立ち上がる。

 確かに、もう何もない。ならば、作り出してみせる。無理矢理にでも。


「はい。よくよく考えてみれば、わたくしの全財産から払えるだけ、というお話でしたのに、大事なものを差し出しておりませんでした」

「へ? いやいや、もう十分に……」

「そう、わたくし自身です!」


 ジャックの言葉を遮るように、パメラが決然と……この場合、これが正しい態度なのかはわからないが、確かに決然と、彼女は宣言した。

 ……少々、その頬は、赤い。


「……は? い、いやちょっとまて、何を言い出してるんだ君は!?」


 何を言われたか一瞬理解出来なかったジャックが、慌てて声を上げる。

 だが、怯むことなくパメラはジャックを見据え、ずい、と一歩踏み出した。


「考えてみれば、これでもわたくしは侯爵令嬢ですから、縁続きとなって得られるコネクションの価値は計り知れません。

 今回の件で王室にも貸しを作れましたから、むしろ利用価値は右肩上がり!

 加えて、その、殿方は若い娘を好むと聞きますし、身体は清いままでございますし」

「まて、ストップ、ストーップ! 何を口走ってるのかわかってるのか君は!?

 身売りするような真似をしようとするんじゃない、もっと自分を大事にしろ!」

「そうはおっしゃいますが、わたくしは今回の件で貴族令嬢として死んだも同然!

 であれば、そんなわたくしをそれでも尊重してくださったあなた様にこの身を捧げたく!」


 グイグイとくるパメラへと悲鳴のような声で反論するも、パメラは怯まない。

 捨て身とも言えるその勢いに、流石のジャックもタジタジである。


「いやいや、さっき自分でも利用価値が右肩上がりとか言ってたよなぁ!?」

「まあ酷い! わたくしに、利用することだけを考えている人間のもとに嫁げと!?

 いえ、もしかしたら妾として囲われるだけかも知れませんのに!」

「くっそ、ああ言えばこう言う! しかも否定しきれないってのがまた!」


 決闘裁判の代理人なぞで世を渡っているジャックだ、当然貴族や金持ち達の汚い面も色々と見てきている。

 その中には、パメラが言っていたような扱いを、妾どころか正妻に対してしている貴族もいるのはいた。

 だから否定しきれず、押されっぱなしで押し返すことが出来ない。


「それとも、わたくしにはそんなに魅力がございませんか……?」

「いや、君は十分魅力的な女性で……って、あっぶな! 乗せられるとこだった!」

「むう、今ので我に返られるとは……流石ジャック様、手強いですわねっ」

「さらっと名前呼びしてるし何この距離の詰め方!? こっわ! 貴族令嬢こっわ!」


 うるうると涙目のパメラに上目遣いで迫られ、一瞬絆されそうになったジャックは我に返る。

 すると、不満げな顔になるパメラ。

 涙すら使ってくるのかと、その末恐ろしさにジャックは戦慄を覚えたのだが。

 その末恐ろしいパメラが、表情を改めた。


「わかりました、もうこうなったら正面突破で挑みます。

 わたくし、ジャック様に心を射止められました!

 出会った最初の頃から心惹かれるものがございましたが、あの闘技場での立ち居振る舞いには心の底から見惚れてしまいました!

 あなた様の強さ、権威におもねる事のない自由な心、それでいて垣間見える優しさと包容力……その全てに、わたくしの心は魅了されてしまっております!

 お慕いしております、好きです、結婚してくださいまし!」

「まてまて! 頼むから落ち着け!」


 怒濤の直球勝負に、最早ジャックは言い返すことも出来ない。

 何しろそれはパメラの感情、あるいは主観。

 それ故に、違うと言い返せる論拠もない。全ては彼女の中にあるものだから。

 

「一度家に帰って、素数を紙に書き取って落ち着け! それからお父上に話を聞いてもらえ!

 話はそれからだ、今の君じゃ話にならん!」

「……わかりました、そこまでおっしゃるのでしたら、出直して参ります!」


 ならばと論理も何もなく、帰れという言葉に装飾を付けて言い放てば、数秒ほど考えたパメラは存外素直に頷いた。

 そして、簡単に身繕いをしてからスカートの裾をさばき、深々と淑女の礼の形を取る。


「改めまして、心からお礼を申し上げます、ジャック・ノワール様。

 あなた様のおかげで、わたくしは命も、心も救われました。

 本当に、どれだけ言葉を尽くしても足りませんが……ありがとうございました」

「あ、ああ、こちらとしてもそこまで言ってもらえたら受けた甲斐があったよ」

「それでは、本日は失礼いたしますね」


 先程までの騒動が嘘だったかのように楚々とした仕草で一通りの挨拶を済ませたパメラは、淑やかな足取りでノワール邸を後にした。

 玄関先で彼女を見送ったジャックは、扉を閉じるなりそれに背を預け、大きく息を吐き出しながら座り込む。


「『本日は』ね……ほんっと怖いわ、若さって奴は……まあでも、侯爵閣下からお説教されでもすれば目も覚めるだろうさ」


 ジャックはそうぼやきながら、はぁ~……と大きく息を吐き出す。

 もちろん女を知らないわけではないが、あんなにも真っ直ぐで純粋な若い娘から感情を向けられるなど、とんと記憶にない。

 彼女の様な存在は、それだけ彼が居る世界とは縁が遠かったのだ。

 だからきっと、住む世界が違うことがわかれば、気持ちも冷めてしまうことだろう。

 半ば自分に言い聞かせるように、ジャックはそう結論づける。


「それにしても、やけに聞き分けよく帰ったな……ま、いくら娘を溺愛する侯爵様だからって、こればっかりは首を縦に振らんだろうよ」


 所詮ジャックは無位無官の自由騎士、高位貴族が縁を求めることなどないだろう。

 と、彼は自分自身を評価しているのだが。


 彼は気付いていなかった。

 公爵ですら彼に借りを作ることをよしとする、己の価値に。

 まして娘の命を救われた侯爵が、どう考えるかなど。






 そして、それから。


「お助けください、『最後の騎士』ジャック・ノワール様! 私はあの伯爵様に騙されたのでございます!」

「まあまあ……確かにあの伯爵様はあくどい商売をしているとの噂が絶えませんものね……」


 今日もまた、ジャックの邸宅に依頼人が駆け込んでくる。

 だが、少しばかり違うのは。


「まて、なんで君が応対してるんだ、デュモンド侯爵令嬢?」

「あら堅苦しい、どうかパメラと呼んでくださいと申し上げておりますのに」

「わかった、ならパメラ嬢、改めて聞くがどうして君がここで応対してるんだ!?」

「だって、わたくしの方が貴族の事情には詳しいのですから、依頼人様のご事情をヒアリングするには向いているかと」


 パメラが入り浸り、時として依頼人の応対をするようになったこと。

 そしてこれがまた聞き上手であるため、依頼人の裏取りまで随分と楽になっているのだから悩ましい。

 また、それだけでなく。

 幸か不幸か、全てのドレスを処分した今のパメラが身にまとっているのは、騎士爵であるジャックの邸宅内に居ても違和感のない装い。


「デュモンド侯爵令嬢様でいらっしゃいましたか!? な、なるほど、ジャック・ノワール様と婚約なさったという噂は本当だったのですね……」

「おいまて、なんだその根も葉もない噂は!」

「あら、わたくしとしては今すぐにでも、と思っておりますから、全くないわけでもありませんわよ?」


 パメラの混ぜっ返しに、ジャックは勢いよく彼女へと振り返る。

 その目に飛び込んできたのは、悪戯な笑みを浮かべる淑女の姿で。


「……君か。君がそんな噂を社交界で流したのか!」

「いえ、わたくしは何も。この髪ですから、社交界からは足が遠のいておりますし」

「え、そうなのか? いや、言われてみればそうか……」

「はい、噂を流しているのは父でして」

「何やってんだ侯爵閣下!!」


 ジャックが天を仰ぎ叫んでしまうのも無理はない。

 高位貴族であるデュモンド侯爵がそんな噂を流しているのだ、外堀はどんどん埋まっていっていることだろう。

 いや、逃げ出そうと思えば逃げ出せなくもないのだ。彼には仕える主も、王都にいなければならない理由もない無位無官の自由騎士なのだから。


「……そんなに、わたくしとの婚約は嫌ですか?」

「くっ……そ、そういう問題じゃなくてだなぁ……」


 嫌かと問われれば、嫌ではない。

 以前口を滑らせかけたように、ジャックから見てもパメラは十分魅力的だ。

 その上これだけグイグイと来るのだ、絆されかけている自覚はある。

 かといって簡単に受け入れることも出来ないのが、拗らせた男の悲しいところである。


「だぁっ、話が逸れてる! で、依頼の話を聞かせてもらおうか!」


 だから彼は強引に話を打ち切り、依頼人へと向き直る。

 こんな日々を、楽しいと心の片隅で感じながら。

※ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

 ……かなり趣味走ったキャラクターにしてしまいましたが、お楽しみいただけたでしょうか。

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― 新着の感想 ―
痛快。 脳内映像だとDevil May Cryのダンテの顔と声で再生されてます。
[一言] あれだよなぁ。 ただでさえ娘が惚れた相手ってのがあるのに、さらに自由騎士とは言え公爵相手に貸しを作ってるような人物が相手なら、貴族としても父侯爵が娘を応援しないはずがないのだよなぁ。 ジャ…
[良い点] すごく面白かったです。 ジャックの強さにスッキリするし、常にジャックの予想の上を行くパメラがめちゃめちゃ可愛い! ジャックが押し切られるのが楽しみです♪ シリーズ化したりしませんか?したら…
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