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精力はしっかり補充でき、魔力でで満たされているのに、どこか空虚なまま1週間が過ぎて。
少年の家だけでなくさらにもう1件成果を上げることができていたフォニー。
今の時点で予定していた戦果が上がっているのが分かっていた。
次回行ってみたい街の場所を物色するために、ここを離れていく必要がある。
明日そうしよう、と思って起きたものの。
暗くなっていく森から離れがたい。翼が重い…。
魔力は足りているから、ただの気の持ちようなのだが。
もう深夜。辺りは真っ暗になっている。飛び立つなら今。
荷物を一通りまとめて肩にカバンをかけ、羽ばたく。
森の向こうに飛んでいく予定だった。
—————あ、違くね?
気が付いた。すぐ傍に、薬屋があることに。
バサバサと羽ばたき、少しその上空に停止する。
多分こんな夜遅い時間なら、ベータはもう眠っているだろう。
入れるだろうか。
例によってベータがお試しで可笑しなレベルの結界でも張っていなければ大丈夫だろうか。
実は起きてたりしなければ…大丈夫だろう。
逡巡しているつもりだったが、自分の体はそうではなく。羽ばたきはゆっくりと、店の前にフォニーの体を運んでいた。
看板はフォニーが出て行った時のまま、『HOREKUSURI 様々な種類の薬の店』となっている。
玄関のドアを見る。
ドアの下らへんに少しだけ血がついている。マルタンとスミスがケンカをしていたときに、這いずってできたものだろう。
こんな不吉な店構えの薬屋、ますます流行っていないこと間違いなし。
暫くぼぅっとしていたが、まっすぐ上に飛び上がり、自分自身が塗った黒々とした屋根を足元に見下ろしてそのまま裏口へ。
あの飲み会で綺麗になっていた裏口周辺には、流石にもうゴミの山が出来ている。
雑草はそんなに生えていない。こっちは宴会の効果がまだ続いているようだった。
—————そういや、今日何日だっけ?
魔界と人間界では時間の流れ方が違う。
フォニー的には出てきて2週間もたっていないが、こちらだと1か月くらいか、いや、もっと経っているかも。
—————カレンダー。
裏口のドアのすぐ横の壁をすりぬける。
見慣れたダイニングと台所に肩の力が抜ける気がしたのは一瞬。
カレンダーにはバツ印が几帳面についていた。
フォニーが最後にバツを付けた日のカレンダーはもうなくなっている。
—————1か月半か。
結構な日数経過しているではないか。通行証を再付与してからの転送で時間を食ったのかもしれない。
台所を見渡すと、フォニーが出て行った時より心なしか綺麗になっている気がする。
そのまま部屋の中空を飛んで、店の中を見ると、こちらも同じく。ベータに何か心の変化があったのか。
—————真面目に商売するようになったとか?
だったら店の入り口下部の血しぶきは洗い落した方がいいと思うが、そういうのに気が付かないところがベータらしい。
ちょっと前なのに懐かしさと安堵感がすごい。
フォニーは自分でもよくわからないこの感覚を見極めたくなった。
—————アタシの部屋は?
正確には、ベータの母親の部屋をフォニーに貸していただけなのだが。
階段の上を飛んで、部屋に入る。
家の中の静けさで、ベータは眠っていることを確信していた。
部屋の中はフォニーが出て行ったときと同じように見えるが、掃除が行き届いており、ベッドメイクもされている。
誰か近日泊る予定があるのかもしれない。
フォニーが来ていた服は、一部まだそのまま畳んだ状態で棚の上に並んでいる。
—————さっさと孤児院に寄付しちゃえばいいのに。
服の需要は大きかったはずだが、そのままここに取っておいてあるのは、優先順位があるからだろうか。どうして??
悶々とした時、フォニーに魔が差した。魔族として正しい。
—————ベータで最後に一仕事できるかトライして、それから別の街を探すのはどう?
最初にここに来たときに全くの暗闇だったベータの夢の中。
が、家の中が綺麗になっているのだ。何かベータの心境にも変化があったりしないだろうか。
精力が取れることは期待していない。でも、今のフォニーには多少の蓄えがある。
あの時とは違う。
あの時はフォニーのコンディションの影響だってあったかもしれないし。
フォニーは自分で自分によくわからない理由付けをしていた。そんなこと、しなくてもいいのに。でも。
フォニーは自分の部屋の壁に指を這わせた。
ここに来た日の夜、すり抜けて、ベータの部屋に入っていった時と同じように。
部屋の中はおおむねフォニーが居なくなったあの日と変わっていなさそう。
—————足の踏み場がそれなりに出来てるとこは違うか。
ベータはベッドに布団もかけずに仰向けに横たわっていた。
珍しくローブを着ていない。上半身裸で、ズボン1枚。
前は寝るときもあの小汚い布一枚で、『マジで? コレずっと着てんの? コイツ』と思ったものだったが、今は洗いざらしっぽい布の寝巻。こんなのあったっけ??
でも、胸の上下動で無防備この上なく眠りこけているのがよくわかる。
前も今も、あんなに日中は危険生物そのもののベータだって、寝ているときはそれほどでもない。
足の踏み場がないのも、飛んでいればそこまで困ることではなかった。
前に部屋に入ったとき、なんでここに来た初日のことを思い出さなかったのかが悔やまれる。
ベータの謎のアイウェアは今日もきっちりベータの目元を覆っているが、熟睡している様子。
ならば。
そっと頭のあたりに指先を差し込む。青白い顔は以前見た時よりも疲れているような気がした。
ここ一週間忍び込んだ男たちに対しては全く考えなかったこと。
—————何故?
でも、フォニーは以前やったときと同じように、自分の体を全てその頭の中に忍び込ませた。
動作は全て感覚的に、儀礼的に出来る。そのぐらい本能にしみこんでいた。
前にやったときは力が衰えていた。今はそうでもない。だから余計にかもしれない。
いつもよりずっと、なめらかに侵入できた気がする。
すぐに孤児院が見え、森が見え、街が見えた。
ベータが良く行く店舗なのか、服屋が見える。
大きな港町と帆船が見え、海賊船が見え、少年が見え、女が見え、この国のものではない軍服が見える。
子どもたちが見え、大砲が見え、兄弟が見え、親が見えた。
その後の女性はおそらく母親だろうか。ベッドに横たわり、ガクリと力なく腕を落とした。
クレアが見え、国王が見え、側近が見え、スミスが見え、マルタンが見える。
街を行きかう人々が斜め上から怪訝な顔をしてこちらを見ている。皆が皆。叫ぶ者もいた。
剣を持ち、ベータを追いかける旅の一行が、そのままベータ自身を切りつけていき。
死体の手を取り、追っ手が来て、逃げる。
そのまま空に逃げると、星空の中で、箒にまたがって高速で飛行する複数の人々。追いまわすその人達に何かを放ち、一人また一人と地面へと落下していく。
崖が見える。少年と女が、宝箱に何かを仕舞っている。何かは泣き声を上げるが、そのままベータは蓋を閉めた。
森が見える。焚火が見える。獣が見える。
また追いまわす人影が一瞬だけ見えるが、パチンという音とともにすぐに蒸発したように消える。
ウサギが跳ねて、その姿が遠ざかると、小屋が見えた。『HOREKUSURI』の看板を掲げる。
次第に暗くなる。溶け合って暗く、黒くなる。
そのまま真っ黒と言っていいほどの暗がりが続く。
ベータの見てきた何か達は全て消え去っていく。
前に来た時と同じように、その先の一点の光。
フォニーはこの後、また暗くなるな、と思っていた。
その光に行き着くまでは。




