王太子殿下に求婚されています〜裏切られた伯爵令嬢のハッピーエンド〜 続編
「お〜いベンガル!もうそろっと着くぞ」
ベンガルは船員の声で窓の外へ目を向けた。真っ青な海が広がるばかりだった向こう側に岸が見えてきていた。そこに建ち並ぶ建物たちの自国とは違う独特の雰囲気は、十年前に訪れた時と何ら変わっていない。
読んでいた書物をローテーブルに置き、ベンガルは外に出て、大きく息を吸う。いつもとは味の違うその空気がベンガルに思い出させるものがあるのだろう。口元に淡い微笑を浮かべたあと、船首近くの手すりにもたれ掛かり、その身を乗り出した。
「さて、俺の可愛い王子様はどこへ行ったのかな?」
彼の名はベンガル・フォン・ルフレシア。レラント王の優秀な補佐官、ロティーネ・フォン・ルフレシアのただ一人の愛息であり、自身も高い能力を王に買われ、十八という若さで王太子の教育係を任されている、レラント王国の脳髄とも呼ぶべき存在である。
◇◇
荷物を持ちながら船を降りてきていたベンガルに、誰かが声をかけた。
その人物は大柄な体格によく焼けた肌、濃い無精髭といった、いかにも悪人面をしている男だが、この男こそベンガルの乗ってきた船の船長であり、レラント王国の貿易に関する事業の第一人者だ。名前をラディクという。
「俺たちはこのまま仕事に移るけど、そっち手伝った方がいいなら、何人か人をよこすぜ」
ベンガルは肩を竦めてから首を振った。
「大丈夫だよ、そっちだって人手が必要なはずだ。こっちは保護されている子供を迎えにいくだけなんだから」
ラディクはがはがはと大きく笑ってから、自身の二分の一程しか幅のないベンガルの肩を抱いて、顔を近づけた。
「それもそうか。お前、再会してそうそう怒鳴ったりするなよ?王子様だって悪気があってやったことじゃないかもしれん。お前は怒ると怖いんだ、王子様が可哀想だよ」
「まだ六つのくせに一人で黙って国を出ていったお子様に、悪気がないことは分かっているけど、だからといって叱らない訳にはいかないさ。また今度同じようなことをされたらたまったもんじゃないんでね」
ベンガルが今回この国へ訪れた理由は、レラント第一王子を連れ戻すことにある。
ベンガルが教育係ならぬ最側近として仕える王子がなんと、たった一人で貿易船に潜り込み、ランドルアディス帝国に渡るというとんでもないことをしでかしてくれたのだ。
レラント王妃は酷く狼狽し、今すぐにでも迎えに行こうとする所をベンガルを始め母や王が必死で宥め、王妃の代わりにこうしてベンガルが迎えに行くことになったというわけだ。
「しかし王子様の行動力も見上げたもんだなぁ、普通一人で貿易船に乗り込むか?誰に似たんだ」
「間違いなくラウル様だね。レティーシア様なわけない」
ちなみにラウルはレラント王、レティーシアがレラント王妃だ。
お前はレティーシア様好きだなぁ昔からと茶化すラディクの腕から逃れ、軽やかな足取りでベンガルは歩み始めた。
このランドルアディス帝国での滞在はいいものになると、彼は幼い頃の記憶から確信していた。この国は、自分と自分の主に幸せを与えた女性の生まれ故郷であるため、ベンガルにとっても大切な国だ。
「直ぐに戻るよ」
ラディクにそう声をかけて、ベンガルは振り返ることなくランドルアディス帝国最大の貿易商、アンバーミッドハウスに足を踏み入れた。
◇◇
「いない?」
「…はい……」
「なぜ」
「…と、言われましても……」
ベンガルの厳しい視線を受けたアンバーミッドハウスの職員は、ただただ体を縮こませるしかなかった。
ベンガルは綺麗に整えられた部屋をぐるりと見回す。レラントの王子を保護していると言うだけあって、かなり上等な部屋だが、肝心の王子の姿は無い。
「確かにここで保護しているという話を聞いていたんだけど?」
「も、申し訳ありません、私は何も知らされておりませんでした。ただここに第一王子殿下がいらっしゃるため、その事実を隠すようにと仰せつかったのみで、その御身さえ確認しておりません」
「この件についての責任者は?」
「殿下と共にいらっしゃった貴国のアリストロという方でございます。殿下がこちらにいらした今日までの二日間、寝泊まりも全てご一緒されて…」
「そうか、その彼はどこに?」
「……ただいま六時間休むことなく殿下の捜索にあたっておられます…」
ベンガルはずきずきと痛む頭を押さえ、ため息をついた。
どうやら一足遅かったようだった。王子が保護されているという部屋に来たところ、なんと王子の姿はなく、今朝から姿を消しているとのことだった。
部屋には一枚の置き手紙があり、そこには拙い字で「夕方には帰ります」と書いてあったそうだ。
どうやって抜け出したのかは分からないが、王子はまだこの国の文字を書けない。誰かが教えたのだろう。
「アリストロ殿は今どこを探しているか知ってる?」
「恐らく職員たちの仕事部屋の方かと思われます。アンバーミッドハウスは検問がある通路を通らない限り出ることができませんが、そこに殿下が通られれば間違いなく止められます。ですのでアリストロ様はまだハウス内か、もしくはすぐそこの港付近におられるとふんで捜索を」
「分かった、ありがとう」
恐縮したように頭を下げる男の横を通り、ベンガルは王子の捜索に踏み出した。
(さすがにあの部屋の扉の前には誰かしらが立っていたはず。それに気づかれないように出ることは不可能だろう。ということは、置き手紙の件も考えると、第三者が関わっているのは確実だな……)
扉の前にいた護衛か、その護衛たちを言いくるめられるような誰かを王子自身が唆したと推測できる。
ベンガルは考えながら来た時に上った階段を下る。様々な衣装で身を包む外国人が多数いるが、さすがに子どもの姿は無い。王子が居ればすぐに目につくことだろう。
とはいえベンガルもこのアンバーミッドハウスに来るのは初めてなので、どこがどこへ繋がる通路なのかすらも分からない。
とりあえずアリストロと合流しよう、と決め、ベンガルは近くにいる中腰になりながら商品の確認をしている、渋いベストを着た男に近づいた。
「失礼、少しお尋ねしたいことがあるのですが」
ベンガルの方を振り返った男は予想よりもずっと若く、ベンガルと同い年くらいのようだった。
ベンガルの持つ茶髪よりも少し淡く、栗色のような髪色をしており、平民にはあまり見ないチャコールグレーの瞳を持っていた。
ここのことについてよく知っていそうな中年男性に声をかけたつもりだったベンガルがしまったと思っていると、男はしゃがんでいたことによりずり下がっていたベストを脱ぎ捨て、ベンガルに向き直った。
「えぇ、なんでもどうぞ」
「おぉ、兄ちゃんお目が高いな、よりによってこいつに声をかけるとは。こいつはこの国の最年少外交官だ」
「よりによってってなんだよ」
ベンガルと同い年であるならばまだ十八と言ったところだろう。その歳で外交官とは、相当優秀でないと有り得ないことだ。
ベンガルは気を取り直して尋ねた。
「このアンバーミッドハウスの職員たちの仕事部屋という所へ案内してもらいたいんだけど…」
「構わないが、なんにもないぞ?そこには。職員の誰かに用があるなら呼んで来るけど」
「いや」
ベンガルが否定しようとした時、男が突然納得したように頷いた。そして悪かった、と頭を下げてから歩き始める。
ベンガルが虚をつかれていると、早く追いかけな〜と後ろにいた男から言われる。
「………」
普通なら一般の客が入ることの無い場所へ黙って案内するということは、ベンガルの事情に気づいたのだろう。
レラント第一王子が行方不明になっていることについては知っていた、そして仕事部屋付近が捜索されていることにも気づいていた。そこへ行きたいという異国の男がいるならばレラントの人間である可能性が高い。となれば並々ならぬ事情をこんな場所で説明させる訳にも行かない。黙って案内しよう。
と、そういうことなのだろうなと推測したベンガルは人気が無くなり始めたところで口を開いた。
「助かるよ」
「いやいや。あまり詳しくは知らないが、話は聞いてるよ。一人で乗り込んできたんだって?」
乗り込んできた、というとなんだか戦いを挑みに来た者のように聞こえるが、ベンガルはため息をつきながら頷いた。
「普段から好奇心旺盛な王子なんだけどね、まさかここまでのことをしでかすとは想像していなかったよ。ご丁寧に変装までしてくれてさ」
王子がいなくなったのは二日前のことだ。ランチをとったあとは必ず王妃の部屋で時間を過ごすはずなのに、姿を見せないことに違和感を覚えた王妃が空の部屋を見つけたと言う訳だ。
王子がいないと大騒ぎになっている王宮のそばをたまたま通り掛かった漁師が、そういえば船に乗り込む子供を見た、と証言したものだから一同大仰天である。
その漁師はと言えば、確かに王子様に似ていると思ったが、まさかあんなにみすぼらしい格好をしているわけは無いと思ったし、港にいるだなんて誰が想像できるかと弁明するようにまくし立てていた。
そんなことをせずとも彼に全くもって非は無く、そこにいたのがベンガルかその母か王子の父母でなければ気づかなくて当たり前である。
「王子殿下の側近なんだな。そんなに若いのに」
男が感心したように笑いかける。ベンガルはその笑顔に苦笑で返した。
「本当に優秀なのは母さ。僕はそんな母を持ったからこの立場にいるだけ。それを言うなら君も、最年少外交官だって?」
「まだ半見習いだけどね。俺は今十八だけど、お前は?」
「あぁ、僕も十八だ。同い年じゃないか」
そうだな、と笑う男の横顔を、ベンガルはじっと見つめた。
貿易商で働いている割には、姿勢がよく、歩き方にも品がある。髪もよく整えられており、瞳も珍しい色をしている。
この特徴を見れば、この男はただの平民でないことはすぐに分かった。
「名前を聞いても?」
「あぁ、そうだな。名乗ってなかった。俺はリトレル・リスト・アルカディル」
「ベンガル・フォン・ルフレシアだ」
自国の大切な友好国であるランドルアディス帝国の重鎮たちの名前は全て完璧にベンガルの頭に入っていた。
アルカディル。それはランドルアディス帝国のかつての英雄、リスト・アルカディルの末裔が名乗る名前だ。
どうやらリトレルがアルカディル伯爵家の人間であることは間違いなさそうだった。
このような下町で簡単にその名前を出せるということは、ここでは家柄など関係なく、皆平等であるという証なのだろう。貴族であるという事実は、時には弊害を受ける原因となる。このアンバーミッドハウスではそれがないということだ。
「アロストリ様…だったか?」
「アリストロ殿だ」
ああそれだ、とリトレルが頷く。伯爵家を出て外交官として働いているあたりから想像できるが、大変肝が座っている男のようだ。いつでも堂々と、自分の意思を固く持っているように見えた。
アリストロはレラント王国の子爵の地位に就く男であるが、王がまだ王太子であった時代に目をかけられたようで、王直々に様々な仕事を任されている。
今回の帝国訪問にも、貿易とは別の仕事でたまたま船に乗っていたようだが、王子が乗り込んだとなればその保護に彼以上の適任者はいない。
「アリストロ様はまだ殿下がハウス内にいると踏んでいるのか?捜索している範囲が限られている」
「そのようだね。ここは検問があるから、王子が外へ出られることは無いと」
「……だからといってハウス内に視野を狭めるのは避けた方がいいかもな」
順調に歩を進めていたリトレルが急に足を止めた。一瞬何かを考えるような様子を見せたあと、ベンガルの方を振り返る。
「行き先を変えても?」
元々アリストロの元へ向かおうとした理由は、現在の状況把握のためだ。と言っても、まだ何の手がかりも見つけていなそうな雰囲気をしているため、王子はまだ見つかっていない、という程度の報告しか受けられないだろう。
そう分かっていたベンガルは頷いた。何か考えがあるのであればそちらを選択した方がいい。
「心当たりがあるんだ。確証は無いけど」
そう言って今来た道を引き返した。
「朝からあれだけの人数で捜索して見つからないのなら王子は一箇所に留まりひっそりと隠れていることになる。だけど、状況から見てそんな行動をとるわけが無いだろう?」
それはベンガルも同じ考えだった。
協力者を得てまで抜け出した目的がただ隠れることであるわけが無い。何かしら行動目的があって今回の事態を引き起こしたはずだ。だとすればハウス内に隠れている可能性は消え去る。王子は何らかの方法で既にハウス内から出ていると考えるのが妥当だ。
そしてどのように出たのか、その方法を知っている王子の協力者の正体に、リトレルは心当たりがあると言っているのだ。
ベンガルはレラント王国の中でもかなり頭の切れるほうだった。その能力を買われ、生まれとは関係なく王から寵愛を受けていることは紛れもない事実。
ベンガルは人の心を読むことを得意としていた。相手とある程度の会話を交わしただけでその者の性格を理解し、どのような状況に置かれればどのような思考に辿り着くのか、その想像を当たり前のようにこなすことができる。そして、それは外れない。
だがレラントの脳髄と呼ばれるほどのベンガルの思考と、全く同じくリトレルの思考は展開されていた。
最年少外交官という地位に就くだけある。
「検問を通らずにここから出るには、少し危険な道を通る必要があるんだ。俺はその道をその人に教えてもらった。そして、このハウスの職員の中でその道を通れるのは、俺とその人だけ」
「…そう。だけど、その人の元に僕を案内していいの?」
その者は王子に協力しているが、ベンガルはその王子を引きずり戻そうとする身だ。つまりその者とは敵対する立場にある。
「理由もなくそんなことをする人じゃない。それにその理由を知ったベンガルは適切な行動をとるに違いない。これは俺の偏見だ」
ベンガルにとって有利すぎる偏見だが、何故だかベンガルの腹に心地よく落ち着いた。ベンガルにとってリトレルとの会話は正直に言って楽なものだった。
幼い頃から常に人との会話をする際、ベンガルは先に立っていた。どのような言葉を発すればその者が愉快になるのか、どうすれば自分が気に入られるのかが分かっていたからだ。かと言って必ずしもその道を選んでいた訳では無い。気に入られる必要がある人間なのか、時と場合なのか、ベンガルにとって他愛のない会話というのは存在しなかった。
そんな会話が成立する相手がいるとすれば、両陛下と母だけだ。そこに今日、リトレルも加わることになる。
「少しここで待っててくれ」
そう言ってリトレルはある男のもとに駆けていった。何やら一言二言交わし、ベンガルの元に戻ってくる。
「やっぱり居ないみたいだ。この時間帯は必ずハウスに来ているはずなのに。ということはやっぱり王子殿下と共に街へ…」
「リトレル?」
その時後ろから声がかかった。
ベンガルが振り向くと同時に、リトレルが声を上げる。
「ル、ルイス、お前…いたのか!」
ルイス、とそう呼ばれた男は、かなり筋肉のついた、がっしりとした体躯をしている。髪は茶髪と平凡だが、瞳はエメラルド色に輝いており、絶世とまではいかないものの、人目見ただけで好印象を持つような爽やかな顔立ちをしていた。
リトレルのこの驚きようからして、話していた心当たりがこの男であることはすぐに分かった。
「いたのかって…どういうことだ?」
「あぁ…いや、姿が見えなかったから」
ルイスは怪訝そうに目を細めていたが、ベンガルの存在に気づき、背を伸ばした。どうやらベンガルの身なりを見て、レラントから来た者だと直ぐにわかったようだ。
「こいつはベンガル。さっきそこで会って、ハウス内を案内してるとこ」
「ルイス・コンバットだ、よろしく」
「こちらこそ」
ベンガルは手を差し伸べられ握る。すると、少し汗ばんでいることに気づいた。
筋肉が浮き出てしまうような薄いシャツも、よく見ればところどころ汗じみができている。まるでついさっきまで走り回っていたように。
「実は、今うちの王子様を探しているところなんだけど…何か知ってる?」
ベンガルが聞くと、ルイスは僅かに考えるような間をとったあと、首を振った。
「いや、知らないな。力になれなくて悪い」
「…そう。王子様の服装は真っ白なシャツに黒色のサロペットだ。もし見かけたら教えて欲しい」
その時、ルイスの目が僅かに見開かれたのを、ベンガルは見逃さなかった。正直な男だ。今まで他人に嘘をつくようなことが少なかったのだろう。
今、ベンガルが挙げた服装は、ベンガルが最後に見かけた王子の姿だ。つまり、そこから変装をして国を出たのだから、その服であるはずがない。
王子に協力している者ならば、服の特徴が違うことに関して何かしらの反応を見せるだろうと、ベンガルは踏んだのだ。
「ああ、もちろんだ。それじゃそろそろ仕事へ戻るよ」
「あぁ。引き止めて悪かった」
ルイスが首を振って来た道を戻っていく。それを見届けた後、リトレルが手を後頭部に回しながらため息をついた。
「悪い、あてが外れたみたいだ。ルイスが怪しいと思ったんだけどなぁ」
「……」
ベンガルは黙ったままリトレルに向き直る。だがその視点は定まっておらず、ただ目の前の空間を見つめているように、静止していた。
今ベンガルの頭の中ではある推理が展開されていた。それがまとまった頃、訝しげに眉をひそめるリトレルと視線を合わせた。
「いや、今の男は間違いなく王子様を匿っている」
「……は?本当なのか?」
目を丸くして尋ねるリトレルの顔を、ベンガルがじっと見つめる。リトレルがたまらず戸惑うように顎を引いた時、ベンガルはふっと微笑を零した。
そして、それまで背筋を伸ばし、骨盤を真っ直ぐに立っていた姿勢を崩し、簡単に腕を組む。
「リトレル、お前の芝居はなかなか上手いよ。演劇も向いているんじゃないのか」
「……はぁ?いきなり何の話だよ」
一見何も変化のないように見えるが、ベンガルの目にはリトレルが動揺していることが手に取るように分かっていた。元々ベンガルの能力とは、人の僅かな感情の変化でさえも読み取るようなものなのだから、リトレルが一瞬でも動揺した今、もう芝居は通用しない。
「王子様の協力者。お前もそうだろう」
「…………」
リトレルはしばらく黙っていたが、ベンガルの余裕そうな笑みを見て、もう誤魔化せないと分かったのだろう。はーあと大きくため息をついて、右手で頭を押えた。いたずらっ子のような得意げな表情をしてベンガルを見上げている。
「やっぱすごいな、王子様の側近は。いつ気づいたんだ?」
「たった今」
「今?今ルイスが王子様を匿ってるって気づいたとこだろう?」
「それに気づければ十分さ」
そもそもが無謀すぎる行動なのだ。
王子の置き手紙はあるにせよ、自分の国で隣国の王太子が行方不明になりもすれば、国際問題に発展しかねない。もし本当の誘拐でもない限り、そして、余程の阿呆でない限り、何も対策をせずに王子を連れ出すわけが無い。
少なくとも常識のある者たちばかりだということは分かっていた。ならばルイスが始め王子を連れ出した者だと仮定して、アリストロに話をつけているはずだ。だが許可を得たはいいものの、アリストロは大変真面目で融通が利かない男であるため、ベンガルが会えてさえいれば、直ぐに気づけていただろう。
それを防ぐためにリトレルの登場というわけだ。ベンガルがリトレルに声をかけた時着ていた渋いベスト。リトレルが着るにはもちろん古臭いデザインであったし、ベンガルと共に行こうとする際に脱ぎ捨てているため、リトレルの物でないことくらいは簡単に予想が付く。大方ベンガルから声をかけられるための変装だったのだ。まさしく長年ハウスに務めている中年男性だと思わせるために。
そうしてベンガルと合流してしまえば、あとは何かと理由を付けてアリストロと出会わせないように誘導し、あとは時間を稼ぐ。ルイスに引き合わせたのは、ルイスのアリバイ作りだろうか。
ざっとここまでをリトレルに説明したベンガルは、そばにあったベンチに座った。苦笑いをしながらその前に立ったリトレルは、腰に手を当てながらベンガルの顔をのぞきこんだ。
「お前それ……、この一瞬で推理したのかよ」
「推理じゃなくて妄想かな。いや、妄想にしては辻褄があっているから、推理なのかも」
だめだこりゃ、とリトレルが首を振る。ベンガルはさすがにレラント王国の脳髄と呼ばれる男。その洞察力と思考の展開の速さは、それを仕事とする職人でさえも敵わない。
「…で、俺らを捕まえたりしなくていいわけ?」
「なんで」
「俺たちは王子様を誘拐したかのような真似をしたんだぞ」
「それはないね。この作戦は、あまりにも僕という人物を知りすぎている。アリストロ殿が動揺している最中にそんなことを伝えられるわけもないし、大方王子様が教えたんだろう。つまり、王子様は君たちのことを信頼した。一応僕の教え子なんでね。見る目は確かなはずだし」
けろっとして言ってのけるベンガルを、リトレルは気持ち悪そうに見つめた。その口は、こいつやば、と動いている。
とりあえず座れば?と手で合図されたとおりにリトレルはベンガルの横に座る。相当気を張っていたのだろう。完全に背もたれに身を預け脱力している。
「やっぱ初めから無理な作戦だよなぁ」
「いや、悪くはなかったよ。僕じゃなければ日没くらいまでは持ったかも」
「はいはい、お前は天才だよ」
そこからベンガルの人間離れした能力に対する、賛辞とも罵倒とも取れないリトレルの攻撃が始まるのだが、ベンガルはそれをのらりくらりとかわし、とにかく落ち着くようにとリトレルに言った。
「探しに行かなくていいのか?大事な王子様」
「まぁ…、ここまで俺を遠ざけてまでやりたいことがあるっていうのならやればいいと思うし、連れている人間たちも有能みたいだし」
そして、王子の目的もある程度予想が着いていた。
気長に待つか、とベンガルがベンチに座り直した時、軽やかな足音をたてながら一人の女性が二人の元に近づいてきた。
その音がする方と反対側を向いていたリトレルは、体ごとねじってその方向を見る。すると、目の前に金色のお下げが垂れる、今にもボタンが弾け飛びそうな程膨らんだ女性の胸元があった。
ぎょっとして仰け反るベンガルの後ろで、リトレルが声を上げた。
「ツェツィーお前な、少しは」
「あらあら初めまして〜、ツェツィーリエと申しますわ。あなたがレラントから来た方?一度会ってみたかったのよ〜」
少し距離をとって落ち着いて観察すれば、随分と若い、ベンガルやリトレルと同じ歳頃のような少女がいた。と言っても、体の肉付きは成人女性のそれだ。
陽に当たる向日葵のように黄みの強い金髪は二つに編まれているが、それでも相当長く、へその下あたりで揺れていた。いかにも好奇心旺盛そうな丸い瞳は見事なサファイア色に輝き、すれ違った男が皆振り向いてしまいそうなほど、華やかな顔立ちをしている。
「初めまして、ベンガルとい」
「まぁ!帝国語がとてもお上手ね、私もレラント語を学んでみたいわ」
とても、勢いがある。
「あ、そう。どうして私が声をかけたかと言うとね、さっきそこでレラントの王子様みたいな子供が…」
「ツェツィー、もう、いいんだ」
へ?と少し間抜けな顔で、遠くを指さした姿勢のまま止まるツェツィーリエに、ベンガルは苦笑いを返すしか無かった。リトレルがベンチに座ったまま、申し訳なさそうに言った。
「もう、全部ばれたから」
「…………」
「……さ」
「…………」
しばらく沈黙が続く。おそらくツェツィーリエは、ベンガルに芝居をしてみせることを心待ちにしていたのだろう。しかし、楽しみにしていたことが、もう既に終わってしまっていた。
不服そうに唇を尖らせたあと、リトレルを睨みつけた。そして一言。
「…はや」
「悪かったな!」
だがしかしこれはベンガルが悪いのだと言い連ねるリトレルを放置し、ベンガルは立ち上がった。
ツェツィーリエも協力者の一人だったのだろう。元々最低三人は必要な作戦になっている。先程ルイスと対面している時、王子を相手していたのはツェツィーリエという訳だ。
「どこへ行くんだ?さっき王子様は放置って」
「うん、アリストロ殿の所へ行くよ。もう作戦は終わったのに、いつまでも王子様を探すふりをさせるのは不憫だからね」
ああ確かに、と納得したように頷いたあと、リトレルが立ち上がる。
「じゃ、今度こそ案内してもらおうかな」
「…はい」
僅かに目を逸らしたリトレルに知らん顔をして歩き出す。直ぐに追いついてきて三人並んで歩くのだが、少しするとツェツィーリエがリトレルの袖を引っ張った。
「ねぇねぇ、さっきルイスに会ったのよね?」
「ん?あぁ」
ツェツィーリエの顔は心配げに歪んでおり、ベンガルの方をちらちらと見ながら言った。
「大丈夫だった?彼……、ほら、ベンガルに、会っちゃったから」
ベンガルに……からの件は本人に聞こえないようにしたかったのだろう。かなり小さな声だったが、ベンガルはしっかり聞き取っていた。
ツェツィーリエの言い方だと、まるでルイスとベンガルに面識があるようだ。だがベンガルにルイスの記憶はなかった。
先程顔を合わせた時も懐かしさなどは感じなかったし、自然に初対面の人として接した。
十年前、この国にベンガルが訪れた時見た顔の中で、印象に残っている者達の中にルイスは入っていなかったのだ。
ベンガルの印象に残っている顔とすれば、主が妻として連れて帰った、元この国の伯爵令嬢レティーシア。当時彼女に仕えていて、今でもレラント王妃付きの侍女をしているアリエル。それと、迷子になった際、母の元まで抱き抱えて送ってくれた中年の騎士。今頃は剣を置き、若い芽を育てているのだろうか。
そして、今やレラント王国の国母となり王の最愛の妻となったレティーシアを、陥れようとした悪女。
そういえば、その悪女の隣に茶髪の男が立っていたような、と考え始めた時、隣を歩いていたはずのリトレルの姿が見えなくなった。
「やっぱり私だけルイスのところに行ってこようかしら。絶対辛いはずだわ。あぁでも、私が行ったって…もう、どうしたらいいの…」
「な、泣くなって。今ツェツィーが行ったってどうにもならないさ。ルイスを信じて待とう。な?」
「でも…」
「お前が辛くなるだけだから。ほら、泣きやんで」
ベンガルが振り返ると、涙を零したツェツィーを、リトレルがあわあわとしながら慰めているところだった。
話を聞く限り、そして、ツェツィーリエの表情を見る限り、ツェツィーリエがルイスに思いを寄せていることは一目で分かった。
「あー…悪い、ベンガル。簡単に説明すると、ルイスは昔殿下の母君、つまりレラントの王妃様のことが好きだったんだよ。それで今、愛していた人の子供と共にいるから、辛いんじゃないかってツェツィーは心配してるんだけど…」
なるほど。ツェツィーリエ自身がルイスに恋をしているわけであるから、ルイスが王子を可愛がる姿を見るのは辛く、それ以前にまだルイスが王妃を好いているのだとしたら、少なくとも王妃がレラントへ嫁いできた十年前から変わらない思いを抱いていることになる。その大きな愛に乗り込むことはできないというわけだ。
王妃に恋をしていた男。その条件がついても尚、ベンガルにルイスとの記憶は蘇ってこなかった。
「それでもっ……それでも何かしてあげたいと思うのよ。私だってルイスを…。もう!リトレルなら分かるでしょう」
「分かるのか」
「分っ…からなくはないけど」
耳を僅かに赤らめ、口を閉ざしてしまう。
分からなくはないということは、リトレルも届かない思いを抱いているということか。
ベンガルが興味深そうにリトレルを眺めると、リトレルは仕方なさそうに口を開いた。
「俺の場合は、義姉なんだ。兄さんと結婚してまだ新婚で、兄さんを深く愛してる」
「リトレルったら可哀想なのよ。お兄さんとその人の結婚式で、惚れてしまったんですって」
「惚れたわけじゃ…!だから違うっていつも言ってるだろ!別に恋とか愛とかじゃ……。あぁほらだから泣くなって」
今の会話でまた何を思い出したのか、ツェツィーがまた涙を浮かべ、そんな彼女をリトレルが慰めている。ベンガルも苦笑いしながらそこへ加わろうとした時、聞きなれた笑い声が聞こえた。
かすかだったがそれは確かにベンガルの耳へ届き、ベンガルは近くの窓に走りよった。
「王子様…!」
そこには、ルイスに抱き抱えられる、三日ぶりの王子の姿があった。とにかく無事を確認できたわけなので、安堵するところなのだが、ベンガルは目を見開いた。
ルイスの顔は、遠くから見ても分かるほど強ばっており、両脇をレラント王国の者達が囲むようにして歩いている。だがそれはベンガルと同じ船に乗っていた護衛でもなければ、ベンガルが見たこともない男たちだった。
しかもその数は二十を超えるかといったところで、見るからにただ事では無い。
もしや、レラント王太子がこの国にいると聞きつけたレラントの貴族が、王の弱みを握るために王太子を誘拐しようとしているのでは。
自然とベンガルの思考はそこに行き着いた。
「リトレル!」
「……!こっちだ、早く来い!」
リトレルも直ぐに気がついたのだろう、さすが帝国の貴族なだけある。ツェツィーリエにここにいるよう言い残し、走り始める。
ベンガル達がいるのはハウスの二階だったため、通り過ぎる窓から王子の姿を確認しながら全力で階段を駆け下りる。
ベンガルは王子の教育係である上に、帝国へ来る際、王妃から必ず無事で連れ戻してくれと頼まれてきていた。そうでなくとも、まだ赤ん坊の頃から見てきた王子に、怪我ひとつさせる訳には行かない。
勢いよく外へ出たベンガルの目に、ルイスの腕に抱かれる王子に手を伸ばす女性の姿が映った。日傘で隠れて顔は見えないが、宝石の多く付いた豪華なドレスを身にまとっている。
王子はぽかんとしてその女を見上げているが、ルイスは唇を噛んでいるように見える。
ベンガルは勢いを止めることなく、突然のベンガルの登場に驚く男たちを押しのけ、王子を抱えたルイスの前に滑り込んだ。
肩で荒い息をつきながら目の前の女性を睨みつけ、その瞬間その場に立ち尽くした。
「?………え?…」
「あらベンガル。どうしたの、そんなに怖い顔をして」
傘の影に入っても尚滑らかに輝く新緑の髪。もうすぐ二歳になる王女が掴んでしまうからと最近は結い上げていたが、今はそのまま肩に流されていた。優しげに細められる目の中央には、琥珀色の瞳が据えていた。
「レ、レティーシア様!?」
王子を自ら迎えに行こうとして、ベンガルの母や王を始めとした周りの人間たちに食い止められた筈のレラント王妃の姿がそこにあった。
まさかそれらを振り切って来てしまったのか、と青ざめるベンガルの後ろから、王子が手を伸ばした。
「お母様!」
「もう、心配したのよルーカス。一人で寂しくなかった?」
「…じゃなくて、レティーシア様!どうやってここまで来たんですか!?」
細い腕でもうそこそこ体重のある王子を抱き上げながら、王妃はケロッとして言った。
「それがね、ベンガルが行ってしまって直ぐに、貿易船では無い別の船が帝国へ向けて出航するって聞いたのよ。だから、思わず乗り込んだの」
道理で見たことの無い護衛達ばかりだ。王宮で仕える者たちではないのだろう。
語尾が上がるほど軽やかに言っているが、今王国は大騒ぎになっている頃だ。
「……ラウル様はどうしたの?」
「挨拶してこなかったわ。言ったら止められるもの。あ、ロティーネにはちゃんと言ってきたわ」
ラウルというのはレティーシアの夫、つまりレラント王の名前で、ロティーネというのは、ベンガルの母の名前だ。ロティーネは王がまだ王太子であった頃から仕えている補佐官で、王妃が帝国へ行くと言ったのならそれなりに反対したはずなのだが。
「最初は凄く反対されたけど、割と直ぐに許されたわ。ついでにあなたのことも見てきてくれと頼まれたの。やっぱり心配していたのよ」
もう十八になるんだけど、と思いながら、ベンガルはため息をついた。
そこへ男たちに止められていたリトレルが駆け寄ってくる。どういう状況なのかという顔をしているが、王妃と王子の姿を見て、直ぐに頭を下げた。
「楽にしてくださいな。ベンガル、友達ができたのね」
「えぇ、まぁ…」
「リトレル・リスト・アルカディルの申します」
「まぁ……というと、リスト・アルカディル様の子孫の…」
「はい」
そう、と王妃は微笑んだあと、ベンガルとリトレルを交互に見つめた。
「仲良くしてやってくださいね」
ベンガルの能力に理解のある数少ない人間である王妃は、ベンガルがなかなか周りと馴染めないことを昔から心配しているところがあった。
自分が育った国で、幼い頃から見てきたベンガルが友人を作ったことに、喜びと安堵を感じているのだろう。
と、王子が王妃の胸元を叩いた。
「お母様、僕、お渡ししたいものがあるんです」
「あら、なぁに?」
すると王子は身を捩り王妃の腕から抜け出すと、少し離れたところで見守っていたルイスの元へ駆け寄った。
王妃の視線も自然とそこへいき、瞳に切なげな色が浮かんだ。
「ルイス、あれをちょうだい」
「あぁ」
ルイスは王子の請われるままにしゃがみこみ視線を合わせたかと思うと、持っていた鞄から小さな箱を取りだし、王子に渡した。と言っても王子の手には少し大きいようで、両手で大事そうに抱えながら王妃の方を振り返る。
「お母様あのね、これ、ルイスが一緒に探してくれたんだ。お母様が喜びそうなもの」
「…そう、ルイスと…。…………開けても、いいかしら」
王子がこっくりと頷く。その次に、ルイスがぎこちない笑みを浮かべて頷いた。
それを見た王妃が、ゆっくりと箱にかけられたリボンを解き、蓋を開ける。
中から姿を現したのは、鮮やかな緑の地に金で装飾を施された、箱型のオルゴールだった。右側の側面にネジ巻がついており、さらに蓋を開けると、中には髪の長い女性が、たくさんの動物たちと戯れる彫刻が隠れていた。
そしてその地面には、帝国語で"レティーシアに祝福を"と彫られている。
「………」
口元に手を当てた王妃の腕に掴まった王子は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「…勝手に国を出てごめんなさい。僕、お母様が最近故郷や、残してきた家族をさみしがってるってアリエルから聞いて、なにかできることは無いかなって…。お母様はご公務があるから帝国へは行けないけど、だったら僕が行って、何かお母様に持ち帰れないかなと思ったんです」
一人で王国を飛び出すという前代未聞の事件を起こしたにしては、年齢にそぐわず賢い言葉遣いをする。優秀な王と王妃の子供に生まれ、そして教育係にはベンガルがついているのだから優秀で当たり前なのだが、それでいてここまで母親思いであるというのだ。周りの人間に可愛がられないわけは無い。
この王子は、国でも未来の聖君だともてはやされるほど賢く立派な王太子だった。
「…っ……ルーカス…。ありがとう、とっても嬉しいわ…」
堪えきれずに涙を零した王妃の頬を王子が拭う。
王妃も異国人ではあったが、王国中の国民に愛される王妃だ。そんな彼女を守ろうとする者は沢山いる。王や王妃に仕えるアリエル、そしてベンガルの母ロティーネが、今まで彼女の涙を拭う役割を持っていたが、この幼いながらに優しさに溢れる王子ももう、その涙を拭うことができよう。
王子を抱きしめたあと立ち上がった王妃は、ルイスをじっと見つめた。
「……ルイスも、ありがとう」
「…いえ」
ルイスが深く頭を下げる。その拍子に胸元から何かが零れ落ち、ルイスが大事そうにそれを拾い上げた。
落ちたと言っても首からかけられているそれは、鎖の変色具合からかなり年月が経っているようだが、それでも余程丁寧に磨かれているのか、まだ輝きを失わない、金色の懐中時計だった。
それを見た王妃が目を見開く。そして、胸が締め付けられたかのように苦しげに眉を引き絞った。
そして直ぐにベンガルを振り返って言った。
「ベンガル、少しの間ルーカスをお願い。私、…ルイスと話すことがあるの」
「分かった。王子様、こちらへどうぞ」
「…や。ベンガル怒るもん」
「……怒りませんから。ほら」
それでもなかなか王子はベンガルの腕に収まらず、四苦八苦しているうちに王妃はルイスと共に歩いていってしまった。
ようやくベンガルが王子を抱き上げた時には、もう二人の姿は遠くにあり、ベンガルはため息をついた。
「王子様?あまり僕を困らせないでください」
「……やだ」
「反抗期ですか。仕方がない子ですね」
「…ベンガル怒るもん」
「怒られるのが怖かったら下手なことしなければいいでしょう。今回のことだって、言ってくれればどうにかしましたよ」
「そうなの?」
「当たり前です」
王妃はベンガルにとっても主の大切な奥様だ。いやそうでなくても、幼い頃からベンガルに優しく接してくれた王妃はかけがえのない存在だ。
「じゃあ何もしてくれなかった代わりに、一週間分授業はなしね」
「迎えに来たでしょうが。それに、授業とこれは話が別です」
「…やっぱりベンガルは意地悪だ」
拗ねてしまったようだが、それでもベンガルの胸元に顔を埋める王子の背中を摩ったあと、ベンガルはどうしたらいいのか分からないと言ったように立ち尽くす男たちを振り返った。
「君たちはもう船に戻るなり観光するなり好きにしてていいよ。もう護衛の任務は終わったから」
そう言うと、散り散りになっていく。もともと王妃の護衛として船に乗っていたわけではなかろう。それ相応の仕事があってこの帝国に来ているはずだ。
「ベンガル」
王子をあやすベンガルに、リトレルが近づいた。
「どうする?ルイスと王妃様のあと、追いかけるか?」
「……それは野暮ってやつじゃないかな。ルイスは、変なことするようには見えないし。…それより、レティーシア様とルイスはどういう関係なんだ?見た感じ、ただ一方的にルイスが懸想していたようには見えない」
「さぁ……俺も、詳しくは聞いてないんだ。ツェツィーリエは知っているようだけど」
その時、かつんとヒールの音が鳴った。二人が振り向くと、そこには俯いたツェツィーリエの姿があった。
ベンガルとリトレルが降りてしまったあと、一人でここまで追ってきたのだろう。だが、その表情は暗く、今にも泣き出しそうだ。
「ツェツィー…、お前、大丈夫か?」
ベンガルがたまらず声をかけたと同時に、ツェツィーリエが顔を上げる。
「ルイスとお姉様は、本当は、…お互いをすごく大事に思ってたのよ。だけど……あの女が、二人を引き裂いたの」
その言葉と同時に、橙色に染まってきた太陽の光を受けバイオレットへと色を変えていた瞳に、ぶわりと涙が浮かんだ。
赤く紅が引かれた唇もわななき、ベンガルとリトレルは息を呑んだ。
お姉様、というのは状況的に見て王妃のことなのだろう。ただ、ツェツィーリエが王妃のことを姉と呼ぶ理由が分からない。
「お姉様がレラントへ嫁いだことはおめでたいことだったわ。王太子様と愛し合っていたし、今、とても幸せそうになさっていたし。…でも、………でもルイスは、ずっと自分を責めながら生きているのに…っ」
泣きじゃくるツェツィーリエの肩を、ベンガルが抱くことは出来ない。なぜなら王子で埋まってしまっているからだ。代わりにリトレルが歩み寄って手を握った。
「落ち着けツェツィー、な?深呼吸しよう」
相当取り乱しているようで、しばらく荒い息をついていた。綺麗に整えられた髪も乱れ、その瞳はルイスが王妃と共に消えた方を見ている。
「…ごめんなさい、驚かせたわよね」
しばらくして息を整えたツェツィーリエが顔を上げた。ベンガルが首を横に振ると、静かに微笑んだあと、ツェツィーリエがベンガルの腕の中にいる王子を見た。
王子はいつの間にか眠ってしまっていたようで、くったりと頭をベンガルの腕に預けながら穏やかな呼吸を繰り返していた。
「可愛い…。この子がお姉様の子供なのね」
王子は父親から白金髪の髪を、母親から琥珀色の瞳を受け継いでいた。誰が見ても直ぐに二人の子供だと分かる容貌をしている。
「お姉様、って、どういうことなの?」
「本物のお姉様ってわけじゃないわ。…私、レティーシア様が建てた孤児院で育ったの。だから、レティーシア様によく遊んでもらっていたのよ」
確かに、王妃は王国でもよく孤児院の子供たちの話をしていた。だがまさかここでその子供の中の一人と出会うとは、とベンガルは驚いた。
「…確か、ルイスがその孤児院を継いだんだよな?」
「えぇ。ルイスはお姉様と一緒によく孤児院へ来ていたから。でも、ルイスは直ぐに孤児院をお姉様のお母上に引き渡して、どうしても連れて行ってくれと泣きわめく私だけを連れてこのルーランチェへ引っ越したの。…実家に破門されてまで」
「あの女、というのは?ルイスとレティーシア様を引き裂いた…」
ツェツィーリエが再度顔を俯け、しばらく深呼吸していた。余程嫌な記憶に残っているのだろう。
「結構今でも有名よ。シエラ・フォン・バイオレット。舌抜きの刑を受けて、平民落ちした悪女」
その女のことはベンガルもよく知っていた。当時のラウル王太子と、レティーシア伯爵令嬢が初めて出会ったパーティー会場で、あろうことかベンガルの存在を使ってレティーシアを陥れようとした張本人だ。
ラウルは酷く激昂し、シエラのみならずバイオレット男爵家の者達を全て断罪したあとに、レティーシアを自国へ連れて帰った。
「あの女さえいなければ、お姉様とルイスがすれ違うこともなかった。こんなに悲しい十年を過ごす必要なんてなかったのよ」
ベンガルはようやくそこで思い出した。ルイス・コンバットという男のことを。シエラの悪事が顕になったあのパーティーで、レティーシアが人々に痛めつけられたあの会場で、ルイスは、シエラの隣に立っていた。その女の恋人として。レティーシアを守るために自らシエラに近づき、そして薬を盛られ、意識が朦朧としている状態で。
「…ルイスが、わざわざ危険を犯してまで王子様に協力した意味が分からなかったんだ。ルイスの人柄だと言ってしまえば、それで終わりかもしれないけど…」
「…これは、贖罪なのよ」
ツェツィーリエの声が静かに響いた。もう涙は零れておらず、ただその美しい横顔を、夕日に照らされていた。
「ルイスの、お姉様を守れなかったことに対する精一杯の謝罪なの。…ルイスは、まだお姉様のことを愛しているのよ。……だって彼、この街を離れようとしないもの。帝国最大の貿易港ルーランチェ、ここが、お姉様の最も近くに居れる場所だから」
◇◇
「…改めて、久しぶりね。元気そうでよかった」
「…王妃様も」
「堅苦しいのはやめて」
レティーシアが微かに笑うが、その顔から硬さは抜けない。それはルイスも同じで、何をするでもなくその場に立ちすくみ、レティーシアの足元をじっと見つめていた。
「…オルゴール、ありがとう。ルーカスは帝国語は話せるけれど、まだ書けない。あの文字はルイスが彫ってくれたんでしょう?」
「……あぁ」
再び沈黙が二人を包む。
かつては、笑いの絶えない二人だった。恋人まで発展しなかったものの、確かにお互いを思い合い、時を過ごした。けれど、悲しい思いのまま流れた十年の月日は、二人の間に確かに高い壁を作ってしまっていた。
「私…私ね」
レティーシアは愛する男の妻となった。二人の子宝に恵まれ、幸せな毎日を送っている。けれど、ルイスはどうなのだろうか。レティーシアには何も分からない。十年間、どのようにルイスが過ごしてきたのかなど分からない。
それでも、分かってしまった。今日、ルイスと再会し、自分を見つめるルイスの目を見た瞬間、彼はまだ、あの時のことを引きずっているのだと。
「レティー」
なかなか言葉にできないレティーシアを、ルイスは遮った。十年前と同じ、柔らかい声で、レティーシアを酷く大事に思っていることが手に取るように分かる、甘い声で。
「…すまなかった」
「……っ」
それは、十年分の謝罪だった。
「ちがっ……、違うの。謝るのは私。あなたを信じられなかったから。確かに笑い合った時間はあったのに、私が…」
「いいんだ。謝らせてくれ。俺は、守る方法を間違えた。レティーの気持ちを考えていなかった。俺が悪いんだ。…許して、くれるか」
「許すも何も……っちゃんとすぐに分かったの。ルイスは…」
両手で溢れ出す涙を押さえるレティーシアに、ルイスが一歩近づいた。そしてボタンを一つ外し、首にかけてある懐中時計を取り出す。
それは、かつてレティーシアがルイスへ贈ったものだった。ルイスはそれを、ずっと肌身離さずに持ち歩いていた。
「俺は、目を閉じれば笑顔が浮かぶほど、レティーを愛していたよ。…心から。……でも俺は、間違えた」
レティーシアが力なく首を振る。その拍子に宝石のように光る涙が頬を伝って溢れ落ちる。ルイスは笑った。レティーシアのその涙を拭えるのはもう、ルイスでない。そして、ルイスの手が拭える涙はもう、レティーシアのものでは無い。
「レティー」
その声にはもう、愛する女性に向けられる熱はこもっていない。
「もし、俺を許してくれるのと言うのなら、懐中時計を返させて欲しい」
レティーシアは微笑んだ。
夕日が影を作り出し、爽やかな初夏の風が二人の髪を弄ぶ。その風はまるでルイスの新しい一歩を祝福するかのように、辺りに散らばる花弁を吹き上げ、二人の空間を彩った。
「守りたい女性ができた」
二人の間に止まっていた十年の時が今、動き始めた。もう二人の間に悲しい愛のすれ違いはない。ただ温かい友情だけが、そこにある。
レティーシアはゆっくりと懐中時計を受け取った。重い金属の重量と、まだほのかに残るルイスの体温がレティーシアの手のひらに伝わる。
「彼女に向き合うのに、懐中時計を持っていたら失礼だろう、かと言って捨てることもできないから」
「…えぇ。今まで、大切に持っていてくれてありがとう」
レティーシアは微笑んだ。
「…守りたい女性って、ツェツィーのことよね?……あの子も大きくなっててびっくりしたわ。あんなにお姉さんになってしまって」
「…話し方が中年になってきたなレティー」
「…失礼よ」
「いや、……ごめん、俺もそうだよ。もう三十路だ。ツェツィーは十二も歳が離れてるのに、俺でいいと言ってくれる」
「それは違うはずよ、ルイス」
きょとんとしたルイスに、レティーシアは心から安心したような笑顔を向けた。
「あなたがいいと、あの子はそう言ったはずだわ」
その得意げな顔を見て、ルイスも思わず笑顔を零した。
「お見通しだな」
「ほらやっぱりそうじゃない。羨ましいわぁ。あんなに可愛らしくて一途で素直で魅力的な子を嫁に貰えるなんて」
「レティーだって、子供が二人いるにしては肌だって綺麗だし、体型も崩れてないじゃないか」
「……ルイス、なんだか視点がおやじ臭いわ」
「……悪かったな」
◇◇
「…あ、ツェツィーほら、帰ってきたよ」
ベンガルの声にばっと顔を上げたツェツィーリエは、その目にルイスを認めたあと、また涙を溢れさせながらベンチから降りた。
ツェツィーリエは三人、寝ている王子を含め四人で王妃とルイスを待っている間、ずっとルイスが王妃と愛人関係になってしまったらどうしようと心配していたのだ。
それはそれで王国で一人帰りを待っている王に申し訳が立たないので、ベンガルとしても困るところなのだが、日頃からその夫婦を見ているベンガルにとってしてみれば、それは有り得ない。
ルイスと王妃の間には適度な距離があり、二人が談笑して歩いている姿も、愛人関係と言うよりは仲のいい友人同士と言った感じだ。二人共飾る様子もなく、時には大きく笑い転げながらベンガル達の方へ歩いてくる。
その姿を見てようやく安心したのか、ツェツィーリエがその場に立ち尽くしたまま嗚咽を繰り返す。
いや、ツェツィーリエが安心したのは、ルイスが王妃と愛人関係にならずに戻ってきたからではない。自分が心から慕う二人がまた、笑える関係になって戻ってきたためだ。
まだはるか遠くにいたが、ルイスはそんな距離からでもツェツィーリエが泣いていることに気づいたのか、ものすごい速さで駆け寄ってくる。
「ツェツィーどうした?なんでそんなに泣いている?」
「ル、ルイス……っ!わた、わたし、」
王妃と愛人関係だなんてとんでもない。ルイスとツェツィーリエの二人の方がよっぽど恋人同士として様になっている。
二人を微笑ましげに見つめながら王妃が息子の元へ歩み寄った。
「レティーシア様、おかえりなさい」
「えぇ。あらあら、眠ってしまったのね」
「疲れていたんでしょう。あのオルゴール、街のはずれにあるオルゴール専門店でしか買えない物ですから」
リトレルが解説する。ということはやはり、リトレルが時間を稼いでいる間にハウスから出ていたのだ。
「まぁそうなの…。リトレルにもお礼を言わなくてはね」
「いえ、俺は何も…」
「そんなことないわ〜。聞いたわよ。ベンガルを騙すために、みんなで一芝居打ったって」
「……」
リトレルが絶句する。隣国の王妃に王国の重鎮を騙したと知られれば青ざめて当たり前だろう。
だが、王妃は楽しそうにくすくすと笑った。
「よくやったわ。いつも澄ましてるベンガルが騙されるだなんて」
「…すぐに気づいたよ」
「それでもしばらく歩き回っちゃったんでしょう?」
ぐうの音も出ないベンガルである。
眠ってしまっている王子を王妃が引き取ろうとし、重いでしょうし俺が、とベンガルが断る。そんなことを繰り返している間に、泣き止んだツェツィーリエとルイスが近寄ってきた。
「ごめんなさい…一人で取り乱してしまって」
「気にするなって」
リトレルの言葉にベンガルが頷く。
息子を腕に抱くことを諦めた王妃が立ち上がり、ツェツィーリエに歩み寄った。
「久しぶりね、ツェツィー。こんなに綺麗になっててびっくりしたわ」
「…お久しぶりです、おね、王妃様」
いいのよお姉様で、と王妃が笑うと、ツェツィーも嬉しそうに王妃に抱きついた。甘えん坊で人懐っこい性格は昔から変わらないようだった。
まるで猫のように頭を擦り付けるツェツィーの頭を撫でる王妃に、ルイスが尋ねた。
「いつ帰国するんだ?今日は泊まっていくだろう?」
「えぇ、そうするつもりよ。明日の朝一番の船で帰るわ。そうしないとさすがにラウル様にも怒られるし、アメリアはぐずってるだろうし、あ、二番目の子なんだけど。…アリエルは相当怒ってると思うし」
正直に言うと、レラント王国で一番怖いのはアリエルだろう。王はめっきり王妃に弱いし、レティーシアが頼めば大抵のことは許される。だが、アリエルはそうはいかない。
「そうか。アリエルも元気にしてるか?」
「えぇ。三年前に結婚して、来月子供が生まれるの。だから今回の旅にも連れてこられなかったのよ。本人は来る気だったけど」
二人で話が弾んでいる間に、リトレルとベンガルは立ち上がった。
「じゃあ今日はハウス内の客室に泊まるか?普段は解放していないけど、相当偉い人が来た時だけ使う場所なんだ」
「あぁ。そうして貰えると嬉しい。レティーシア様もあまりストレスのたまらない場所の方が好ましいからね」
「あぁ、そうだな。普段王宮で過ごしてるんだもんな」
「いや、そうじゃなくて…」
ベンガルが王妃の方へ視線を流すと、ばっちり目が合った。王妃はまさか、というように口を開けているが、ベンガルはけろりと言ってのけた。
「三人目、懐妊してるから」
しん、と辺りが静まり返る。ツェツィーリエが王妃の腰に回していた腕を解き、呆然とその腹部を見つめている。
リトレルでさえもあんぐりと口を開けているが、王妃本人はまた別のことで驚愕していた。
「な、なんで知っているの!?みんなを驚かそうと思ってまだ誰にも言ってないのに」
「あぁ、いつも体温が少し高かったし、御手洗に行く回数が増えていたし、なにより最近ずっとご機嫌が良かったから」
「お前よくそんなことまで分かるな、もう気持ち悪いぞ?」
「レティー、お前、そんな不安定な体で船に乗ってきたのか」
「だって、ルーカスが心配だったし…」
「お、お姉様…」
もう収拾がつかない事態になっているが、それを引き起こしたベンガルは、一人軽い足取りで歩き始めた。
「ほら行くよ、リトレル。君が案内してくれないと分からないだろう」
「いや、だったらなんで先に行くんだよ!」
◇◇
空は青く澄み渡り、気温も丁度よく、海風の冷たさも酷くは無い。ブランケットを羽織る必要は無さそうだ。
昨夜リトレルと夜中まで語り明かしたベンガルは、寝不足で下がる瞼をこじ開けながら、船に乗り込んだ。妊婦ということもあり早めに就寝した王妃と、久しぶりに母親の腕の中で眠れた王子は元気いっぱいだ。
この船はあと十数分後には出発してしまう。王妃とツェツィーリエは別れを惜しんでいた。
「お姉様、絶対、お手紙出しますから」
「えぇ、私もよ。約束するわ」
「元気で。体に気をつけろよ」
「あなたもね」
王妃は滅多にこうして海を渡れる身ではない。下手したら、これが最後になる可能性もある。そのため、長い時間ああして言葉を交わしていた。
一方ベンガルとリトレルはと言うと。
「だから、そんなこと君に言われる筋合いないからね」
「相手が理解できない言語で話したらそれはもう会話じゃないだろうが。いいから早く言えよ、なんて言ったんだよ」
「だから、分からないならレラント語、勉強すればいいでしょ」
「今分からなかったら意味ないだろ」
喧嘩をしていた。
「…なんで?」
「さぁ…昨日の夜はあんなに楽しそうにじゃれ合っていたのにな」
首を傾げるツェツィーリエの隣でルイスが苦笑いした。二人も日付が変わる程度の時刻まではベンガル達と共に会話に花を咲かせていたが、有り余る体力をふりかざす二人の前に敗北を喫し、睡眠を優先したのだ。
だが、朝起きてみたところ、仲が深まっていたはずの二人はご覧の有様だったというわけである。
「だからしか言ってないぞ、理屈人間」
「だから、勉強してから意味を知ればいいでしょ感覚人間」
「「…………」」
と、その時、睨み合う二人の間に王子がてくてくと割って入った。そして、リトレルにしゃがむように指示した後、耳元で囁いた。
「なんて言われたの?」
リトレルは必死に深夜に言われた言葉を思い出し、王子の耳に囁いた。
「確か…ルヴェラ・オリシエ?だったかな」
「………」
だが、正確に伝えたはずのその単語は王子には理解されず、王子は眉をひそめ首を傾げるばかりだった。自分が聞き間違えたのかとリトレルが悩んでいる間に、王子は母の元へ駆け寄り、またも耳に囁いた。
「お母様、ルヴェラ・オリシエって、意味なんだったっけ」
「あぁ…。まだ古代語は習ってないものね。…リトレル!」
王子を抱き上げながら、王妃はリトレルを呼んだ。その顔には嬉しそうな笑顔を浮かべており、恐らくベンガルが隠したかった言葉だったのだが、大声で言ってしまう。
「ルヴェラ・オリシエは、レラントの古代語で、"また会おう、友よ"って意味よ」
途端にベンガルは赤面し、リトレルは驚いたような顔でベンガルを見上げた。
そして、口元に嫌な笑みを浮かべる。
「かっこつけすぎだろ」
「…うるさいよ」
出港の合図である鐘の音が鳴り響く。王妃と王子ももう別れを済ませ、船室に降りていた。船員達が慌ただしく走り始める中で、リトレルが輝かしい笑顔を見せた。
「あぁ、また会おう!ベンガル」
「……」
それまで恥ずかしさと僅かな怒りとがまじった複雑な表情をしていたベンガルは、その笑顔につられて自身も吹き出した。
船がゆっくりと動き始める。リトレルとルイス、そしてツェツィーリエの姿が小さくなっていく中、ベンガルは大きく手を振った。
「またな!リトレル!」
きっとすぐにまた会える。二人の間の距離はそう遠くないのだから。
親友との別れの時だというのに、空は憎らしいほど晴れ渡っていた。
まだ見慣れない異国の街並み。空の色を反射する輝かしい海。高らかな鐘の音。そして、リトレルがもたらしたベンガルの胸の温かさ。
ベンガルはこの日のことを、一生忘れないだろう。
ここまで読んで頂きありがとうございました!
前作の感想に、「ルイスが幸せになるところを見たい!」というお声が多かったため、書き下ろさせて頂きました。
実はこの作品の主要人物、ツェツィーリエとルイス、そしてリトレルとベンガルがhttps://ncode.syosetu.com/n8383ha/
↑こちらの小説に今後登場してきます。
もしよろしければ覗いて見てくださいm(_ _)m