世界終焉ガール ~地球滅亡させるか悩んでる神様が転校してきたけど、僕に惚れてるから何とかなりそう~
秋の終わりも近づいて、雪の気配を感じ始めた今日この頃。
紅色に染まった葉も徐々に枝から離れていき、アスファルトを覆い隠そうとゆったりと舞う。
子供の頃は楽しめた雪も、今では登校を妨げる障害物としか思えなくなってしまった。
あぁどうか今年の雪は、足首以下の高さで収まってくれますように……なんて祈りながら、僕はボーッと空を見る。
教室の窓から見上げる空は、いつも通りに灰色で、代わり映えもない。
とはいえ「平和な日常こそが宝物である」、なんて言葉に感銘を受けてしまう僕には、そんな日常がお似合いだった。
騒がしい祭りごとも嫌いではないが、この僕――紺乃 凪雪にとっては、今の平穏で十分なのだ。
「……何これ、夢?」
だから、こんなの勘弁して欲しかった。
僕は非日常なんて、求めちゃいなかった。
唖然とする僕の正面、即ち教壇上に立っていたのは、一人の美少女である。美少女転校生である。
いや勿論、彼女がただの美少女転校生なら、僕だってこんなに嫌がったりはしない。
むしろ喜んで受け入れよう。
でも、これは違うって。
「初めまして、神様です。この星を滅ぼすか否かを判断するために、このクラスに転校してきました。ちなみ今は滅亡寄りです。よろしくお願いします」
――世界滅ぼすか悩んでる神様は、流石にダメだろ。
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「初めまして、神様です。この星を滅ぼすか否かを判断するために、このクラスに転校してきました。ちなみ今は滅亡寄りです。よろしくお願いします」
そう話す少女はただひたすらに無表情で、感情など一ミリも読み取れなかった。
彼女が地球滅亡に積極的である以上、怒ってる可能性もあるが、しかし憶測の範疇を超えはしない。
彼女の容姿を語るのならば、銀色の髪を肩口で揃えた陶器の人形、なんて表現が一番近いだろうか。
それこそ表情は人形のようにピクリとも動かず、ただ淡々と唇だけが上下する。
しかもその唇の上下運動すら最小限に抑えるつもりのようで、先のセリフを最後に、それ以降は口を開くこともなかった。
『なんだ、あの子?』
『神様とか言ってるよ』
『可愛いけど、流石にやべぇな』
『厨二病って奴じゃない?』
クラスメイトは彼女の言葉など全く信じず、ただ小声で少女の正気を疑うのみ。
あの子転校デビューに失敗しちゃったのかな、みたいな雰囲気すら流れていた。
「…………」
それが当たり前の反応だ、と僕は思う。
むしろいきなり「神様です」なんて言われて、簡単に信じる方が頭おかしい。
しかし僕だけは、その言葉に嘘は無いのだと確信していた。
――なんだアレ。天秤……?
銀髪少女の背後に浮かぶ、巨大な天秤。
それが僕に、彼女が本物の神様だと理解させたのだ。
実は僕には、霊感がある。
除霊なんてことは無理だが、ただ見るだけなら問題ない。
道を歩く幽霊が分かるように、寺を巡る怪異を感じ取れるように、僕には少女の天秤が見えた。
片側には、白く輝き優しい光を放つ器。
もう片側には、黒く濁り漆黒なモヤを放つ器。
それが何を意味するかなど、鈍い僕ですら簡単に分かる。
確か彼女は「今は滅亡寄り」と言っていたが、その言葉の通り、黒の器の方には幾つかの分銅が載せられ、僅かに傾いていた。
――これマジだ。誰も信じてないけど、下手するとマジで地球が滅ぶ。
僕は静かに、唾を飲み込んだ。
ザワつく教室の中、ふとクラスメイトの男が声を上げた。
「あの、結局なんて呼べは良いんすか?名前だけでも教えて貰いたいです」
彼は更谷 直臣。
このクラスの委員長だ。
それを聞いて、ナイス質問だ直臣、と僕は思う。
神様だろうがなんだろうが、呼び方が無いのは流石に困るから。
世界を滅亡させ得る神様相手に、クラスメイトが馴れ馴れしく話しかけた、という状況は物凄く恐ろしいが、しかし仕方の無い発言ではあった。
人間と神様のファーストコンタクトは、一体どんな形で行われるのかと見ていると――
「貴方に名乗る名などありませんが……?」
「……は?なんだと」
――あ、ちょっと待ってヤバイヤバイ。
開幕から険悪な感じになるとは聞いてないぞ。
別に神様の口調は、喧嘩を売っているそれでは無かった。
ただ単純に、心の底から「え、なんで教えなきゃダメなの?」と思っているような声色である。
推測するに、彼女は僕らと仲良くする気は初めからゼロで、僕ら人間を観察対象としか考えていないのだ。
だから悪意自体は無いのだろうけど、しかし感情の読み取りにくい表情も合わさって、直臣の火に油を注ぐ形になっていた。
一言で言えば、最悪の展開。
「おいおい。お前が馴染める空気作ろうとしてやってんのに、その言い草はねぇだろ」
「……?」
クラスのムードメーカーである直臣は、決して悪い奴ではない。本当に彼女の為を思って、質問したのだろう。
ただ、相手が悪すぎた。
「いや、首傾げてないでさ。早く教えてよ名前」
直臣がイラつくのも分かる。
分かるけど、ダメなんだ。
その女の子を威圧する、という行為は。
「…………不敬」
ほんの僅かにだけ、神様の瞳が細められたような気がした。
ただの見間違いかもしれない、微妙な変化。
――そのとき。
「……ッ!!」
天秤から、カコンッと小さな音が聞こえたのだ。
それは金属と金属のぶつかるような、鈍い音。
嫌な予感がした。
聞こえたら不味い音だと、反射的に分かった。
僕は恐る恐る、その天秤に目を向ける。
黒器に載せられた分銅が、増えていた。
――ヤバイヤバイヤバイヤバイ。
本当に小さな分銅だ。
傾いた角度も、ほんの誤差程度でしかない。
だが果てに至るのが地球滅亡だと理解すれば、それはあまりにも重すぎる塊だった。
僕は慌てて視線を戻す。
幾ら冷静沈着で有名な凪雪くんであっても、世界が滅びに向かう足音が聞こえれば、そりゃ慌てふためき目も泳ぐ。
すると丁度、直臣が再び口を開こうとしていて、
「おいお前、黙ってんじゃ……」
「ちょっと待ったぁぁぁあ!!!」
僕は反射的に、叫んだ。
こんなのキャラじゃない気もする、が、そんなことを言っている場合でもない。
だって世界が滅ぶんだぞ。
ヤケクソにだってなるわ。
僕の奇行で教室がシンッと静まり返り、皆の視線がこちらへと集まるのが分かった。
――――。
「…………んんっ」
さて、どうしようか。
とりあえず叫んだけど、何も考えてないや。
まさか「その子の言っていることは本当だ!怒らせると地球滅亡するぞ!」、なんて言う訳にもいかないし。
そんな発言をして、僕までクラスで浮いたら困る。
「……えー、みんな。よーく聞いて欲しいんだけど」
頭回せー。
何か思いつけー。
と、僕は必死に脳みそを捏ねくり回す。
わざと声を伸ばして、時間を稼ぎながら、そして僕の思いついた答えは。
「……。その、ですね。僕の記憶が確かなら、下の名前は結婚相手にしか教えたらダメ、っていう宗教があったような無かったような」
「「「……宗教?」」」
「そうそう。だからきっと、彼女の名前は『カミサマ・〇〇』さん……なんじゃない?下の名前は、宗教上の理由で教えられない、的な」
「「「……なる、ほど」」」
なるほどて。
マジかよ上手くいったっぽいぞ。
このクラス、バカばっかで助かったわ。
直臣は目を白黒させながら、後列にいる僕の方へと振り向いた。
「どうした凪雪、珍しく名推理じゃねぇか。いつものバカはどこ行った?」
「え?直臣もしかして、いつも僕のことバカだと思ってたの?」
というか僕までバカだとすると、このクラスのバカ率100%に届くけど大丈夫かな。
タダでさえ僕ら2年C組は、成績不良で有名なのに。
僕は己の所属するクラスの将来に不安を馳せるが、しかし直臣の咳払いが聞こえて意識を戻す。
見ると直臣は再び神様と顔を合わせ、そして頭を下げていた。
「すまないカミサマさん。俺としたことが、訳も聞かずに無理やり名前を聞こうとした。しかも怖がらせるような真似までして。……申し訳なかった」
「……いえ」
無表情すぎて分かりにくいが、神様は動揺しているような気がした。
そりゃ全く見当違いな謝罪を、本気の誠心誠意と共に向けられたら、多少なりとも動揺するのが普通だろう。
「いや、それにしてもキツいそこれ……」
まさか自己紹介から、こんな危機に見舞うとは想像していなかった。何もせずにいたら、きっと一ヶ月も持たずに世界は滅ぶ。
それはダメだ。
僕には家族だっている。
大切な友人もいる。
地球を滅亡させられるのは、温厚な僕でも許せなかった。
いや世界滅亡を笑って許す人間は、温厚というかサイコパスと呼ぶべきだけどな。
「……ん?」
気づくとつい先程に載せられた分銅は、静かに消えて取り除かれていた。
恐らくは、直臣の謝罪が受け入れられたのだろう。
どうやら僕の行動は、無意味ではなかったらしい。
僕の言葉が、確実に黒の分銅を減らしたのだ。
「ってことは、僕が神様を守ればなんとかなるか……?」
むしろそれしかない。
天秤を目視できる僕が、さり気なく神様を助けるしかない。
僕の人生史上かつてない重要ミッションを前にして、身体中に寒気が走った。平穏を望むだけの僕にとっては、あまりにも荷が重過ぎたようだ。
このまま行くと、世界滅亡の前にストレス性胃腸炎とかで死にそうだけど、どうしよう。
ふと僕のすぐ横から、椅子を動かす音がした。
「うぇ、おおぅ……。神様」
チラリと音の方を向くと、未知の素材的な雰囲気を放つ銀髪が見えた。宇宙を連想するような煌めきとも言える。
どうやら僕が悩みごとをしている間に、僕のすぐ右横の席が、神様の席に決まったらしい。
つまり最後尾の左から二つが、僕と神様の席になった。
ますます平穏から遠のく音がするが、しかし彼女を悪意から守ることだけを考えれば、都合の良いことこの上ない。
僕は気づかれないように、神様の方を見る。
「…………(ジー)」
「…………(困惑)」
何故か、めちゃくちゃ僕の方を見ていた。
僕の頬を冷や汗が伝う。
え、僕ってばもう何かやらかしてしまったのですか、と。
「……そこの、貴方」
「は、はい」
神様に話しかけられた。
もしかして、地球よりも僕だけ一足先に滅亡させられるのかな、なんて不安と恐怖に駆られるが――
「ありがとう」
「――っ!」
予想外の言葉が、聞こえた。
聞き間違いでなければ、僕は今、彼女に感謝された。
神様に、お礼を言われたのだ。
「…………むむ?」
どうやら、悪い子ではないらしい。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
転校生がやってくる、というのはやはり、凪雪ら高校生にとっての一大イベントである。
案の定と言うべきか、休み時間に入る度に神様の周りには人だかりが出来て、とんでもない質問攻めにあっていた。
だがこればかりは仕方ないか、と凪雪は思う。
この質問タイムは転校生の宿命であり、乗り越えることでクラスに馴染んでいくのだ、なんて説もあるのだから。
故に凪雪は神様を放置して、机にうつ伏せになっていた。
今ならば軽く眠っても、そう大きなアクシデントには繋がらないだろうと。
しかしあの嫌な音が、突如響いた。
耳障りで心臓に響くような、黒器の音だ。
凪雪は慌てて起き上がり、天秤を探す。
――分銅の数、は……増えてるね。
「……ごめんなさい。少し、離れて貰えませんか」
見れば神様の顔色は僅かに青ざめていて、どうやら人混みが苦手なのだと分かった。
対処に入らなくてはと凪雪は焦り、クラスメイトを散らすべく腹の底から声を出す。
「おいお前ら!神様が困ってるのが分からんのか!?そこ一列に並べテメェらオラ!質問は一人ずつ順番に、休憩時間につき一人一回までだぞ!」
「は?なんで凪雪の命令に従わなきゃならねぇんだよ」
「秘蔵のエロ本一冊やるから黙れ」
「凪雪様の指示が聞こえねぇのか!?さっさと一列になれや!!」
あぁなんて欲望に忠実なんだ、マイフレンド。
クラスメイトが相変わらず単純であることに感謝をしつつ、凪雪は己の席へと戻るのだった。あわよくば、この程度の騒ぎだけで済みますように、とお祈りしつつ。
――このときも凪雪は神様に見つめられていたのだが、結局気づくことは無かった。
そんなこんなで昼休み。
時間の経過とともに、どうにか神様の居場所も生まれつつあったが、しかしそれは彼女がクラス全員に受け入れられた、ということではない。
考えても見れば、神様には厄介事に巻き込まれるだろう要素が多すぎる。
常識外れの無愛想さ。
相手の感情を読み取る能力の欠如。
そして何よりも、女子に忌み嫌われるレベルに整った容姿。
むしろ何も起きない方が不思議である。
だからこそ、もっと警戒すべきだった、と凪雪は後悔していた。
「あははっ。……何か文句でもあんの?」
凪雪の目の前には、制服を水に濡らした神様の姿がある。床には大きな水溜まりができ、綺麗な髪からは水が滴り落ちていく。
そして神様の横には、逆さになった花瓶を神様の頭上に構える一人の女子。
凪雪は口をあんぐりと開けて、その様子を見ていた。
――あの、お前……何してくれてんの?
こうなるまでの話の流れは単純だった。
神様に花瓶の水をぶっかけた女――逆成 鳴海は、神様に対して恋愛の牽制をしていたのだ。
私はあの男のことが気になってるんだー、と、言葉の裏に「手を出すなよ?」なんて威圧を込めながら。
神様がそこまで可愛くなければ、そんな牽制なども必要なかった筈だが、しかし残念なことに神様は超絶美人に分類される。
逆成が不安になるのも分からんでもない、というのが凪雪の感想だった。
女同士の牽制などよくある話だろうと凪雪は思うが、しかし神様にとっては違うらしい。
そもそも恋愛感情が存在するのか、すらも怪しいところである。
つまりは逆成には神様の返事が、煽りか或いは無関心に思えたのだろう。
「あんたさ、少し調子乗りすぎじゃない?」
元から不良集団バカ集団である二年C組は、行動に移すまでのストッパーが非常に緩い。
知り合ったばかりの相手の頭に、花瓶の水をぶちまける、なんて普通であれば抵抗のある行為にも、軽いノリで手を染めるのだ。
凪雪は頬を引き攣らせ、逆成を見る。
考えるべきは、一秒後に訪れるだろう神様の怒りを、どうにか防ぐ手段だった。
必死に平和な着地地点を探す。
己がクラスで浮かない範囲の選択肢に、どんな行為が許されるのかと線引きをしながら。
あーでもないこーでもないと、まるでゴミ屋敷を漁るような感覚で、ゴミみたいに使えない発想を蹴り飛ばしていく。
せめて未開封のポケットティッシュ、くらいの存在意義がある発想が欲しいものである。
要するに凪雪の脳みそはゴミ屋敷くらい散らかってるね、という比喩表現なのだが、そんな話は置いてといて。
全く整理整頓の出来ていない思考の中から、凪雪はついに一つの解を見つけることに成功した。
見つけはしたが、しかしそれは賭け以外の何物でもなかった。
――これ、上手くいくのかな……。
凪雪は悩みながらも、悩む時間は無いからと、速攻で行動に移すことに決める。
「え、楽しそうだね!僕も混ぜてよ!」
笑いながら。
己の水筒を手に取って。
笑顔のままに、蓋を開け。
そして。
逆成の顔面に、その中身をぶちまけた。
………………。
本日二度目の、教室内の沈黙である。
つい数秒前まで逆成に向いていた、何してんのアイツという視線が、みんな揃って凪雪に向かう。
それは凪雪のメンタルを針刺しのように見立てて、好き放題に突き刺した
あーもうやだこっち見んなよ……というのが凪雪の本音だが、しかし凪雪は、何も理解していないような演技と共に、続けざまに口を開いた。
「どうしたの皆!逆成さんがウォサバ開始の合図を出したぜ!!」
ウォサバ――それはウォーターサバイバルの略である。
それは互いに水を掛け合う、2-C恒例の夏場に行われるバカ騒ぎ。
各々が水鉄砲やらバケツやらを持ち寄って、教室内を水浸しにするという、教師陣ブチ切れ必死の恒例行事だ。
誰かが誰かに水をかけることで開始の合図となるのだが、しかしこんな冬口に始めるバカはそう居ない。
だからこそ、乗ってくれる奴がどれだけ居るのか、という賭けになると凪雪は踏んでいた。
2-Cであれば或いはと考えた凪雪だったが、しかし、
――あー、ダメだこれ。失敗だ。
周りの目は、冷ややかなままだった。
そもそも冷静に考えれば、こんな寒い日に水鉄砲など持って来ているはずも無い。
凪雪の中には、ただ焦りだけが募る。
この後の展開は、きっと怒った逆成に引っ叩かれる流れになるのだろう、と予測しながらも何も出来なかった。
ただ、待つ。
全員が飽きて、己から視線を外すのを、凪雪は静かに待っていた。
「な、凪雪……お前」
そんな中、一人の男の声が聞こえてくる。
一瞬遅れて、直臣の声だと気づく。
奴は一体何を言い出すのかと、凪雪は直臣に視線を向けると、
「……まさかお前、俺が偶然にもクラスメイト全員分の水鉄砲を持ってるのを知った上で……?」
――知らねぇよ。
そんな情報は微塵も得てないし、むしろなんで持ってんだよと問いただしたいくらいではある。
しかし凪雪にとっては渡りに船。
「――っ!!あ、あったり前だろ直臣!早く全員に配れよ!!」
乗るしか無かった。
『なんだ?水鉄砲を握った瞬間、俺の内なる本能が……』
『くそっ、血が騒いで仕方ねぇ……っ!』
『冬のウォサバ。……悪くねぇな』
直臣の謎ファインプレーによって、クラスの空気は完全にウォサバ色に染まる。
チャンスと判断した凪雪は天に指を立て、全員の注目を一身に集めた。
「全員、武器は持ったな!!」
「「「おう!!!」」」
「説教される覚悟は出来てるか!!」
「「「おう!!!」」」
「水はちゃんと入ってるか!!」
「「「コーラ入れた」」」
「ん?……まぁいいか。全員、構えろ!!!」
予想外の返事に驚きつつも、凪雪は気にせず指揮を執る。
やらねばならないことが、もう一つだけあった。
「――狙いは、逆成さんだ!!」
「「「了解!!!!」」」
それは、逆成の怒りを忘れさせること。
神様が「今見ている光景は、人間には当たり前のものなんだ」、と思えるように。
そして「水をかけられるのは、人間にとって大したことではないんだ」と思えるように。
びしょ濡れの神様が全く目立たない程度には、全員に濡れてもらう必要があった。
「――――撃てぇぇぇえ!!!!」
「「「喰らえアバズレ女ぁぁぁ!!!」」」
そこまで言えとは指示してないぞー、と凪雪は小声でツッコみながらも、爆笑は止められない。
コーラまみれになった逆成を見て、クラスメイトも全員笑っていた。
そしてベタベタにされた逆成と言えば、
「……。ねぇ更谷。私にも水鉄砲貸して」
鬼のような形相で、
「――こいつら全員、風邪ひかす」
ブチ切れていた。
結局「逆成の怒りを沈める」という凪雪の狙いは外れたが、しかし神様に対する苛立ちは完全に消えている。
つまり、目的自体は十分に果たせたのだ。
「はは……っ!」
教室内はカオスに染まり、凪雪が抜けても全員が暴れ回る。その様子を見て、凪雪は改めてこのクラスのバカさ加減を感じていた。
全員バカだが、ノリは良い。
そんな2-Cを、凪雪は割と気に入っているのだ。
ふと凪雪は、すぐ横に神様が立っていることに気づく。
恐る恐る横目に様子を伺うと、宝石のような青い瞳をじっと此方を見つめていた。
「貴方」
「は、はい」
凪雪は背筋を伸ばして、必死に平静を装いながら返事をする。
凪雪の緊張は、相手が世界を滅ぼせるからという理由だけではなく、その姿があまりにも可憐だった、という部分にも起因していた。
「私も、馬鹿ではありません」
「え?」
「あの女が、悪意を持って水を被せたことくらい、人間の常識のない私にも分かります」
「…………」
「そしてここの人間が誰一人として、私が神であることを信じていない、とも理解しています」
「…………」
凪雪には、正しい返事が分からない。
人間味を感じさせないその瞳が、一体己の何を試そうとしているのか、全く読み解けなかった。
「……まさか貴方も、世界が滅ぶなんて本気にしている訳では無いでしょう」
それに関しては本気にしてますよ、と凪雪は思うが、口にはしない。
もし天秤か見えていることを正直に話したら、それだけで殺される、なんて可能性すら凪雪は考えていたのだ。
「……一つ、質問をしてもいいですか」
「な、なんですか?」
凪雪は、神様から目を逸らさないだけでも必死だった。
色んな意味で、心臓の高鳴りがヤバかったから。
息を呑んで、胸を抑えて、どうにか声を震わせないように、言葉を返す。
神様は、相手の心を全て見透かすかのような瞳で、その質問を口にした。
「何故、貴方は私を助けるのです?」
「……っ」
その質問の答えは、簡単だ。
世界を滅ぼされたくないからですよ、と一瞬にして頭に浮かび上がった。
しかしその答えを、口にする訳にはいかない。
本気で滅亡を信じていると、明かすことになってしまうから。
そういう訳で凪雪は、それ以外の答えを探すために、必死に頭を悩ませる――ことは無く。
驚くべきことに、悩むまでもなく答えがあった。
「世界を滅ぼされたくない」という答えを取り除いたら、そのすぐ下に、もう一つの理由か見つかったのだ。
もしかすると初めから、神様を助ける理由の半分くらいを、それが埋めていたのかもしれない。
凪雪はニッと笑いながら、その答えを口にした。
「楽しく、過ごしましょうよ。神様がいつまでここに居るのか分かりませんけど、せめてその間くらい、仲良くしたいじゃないですか」
「楽、しく?」
「そうです。友達は一人でも多い方が良いですよ。……僕は、神様とも友達になりたいんです」
この2-Cは、男も女も全員揃って仲が良い。
短気でバカな奴ばかりだが、代わりにイジメが出来るほど賢い奴は一人もいないのだ。
ここの連中はイラついたら誰からも隠れず、そのまま行動に起こす。だから陰湿なんて概念は存在しない。
逆成の件に関しても、もし凪雪が何もしなければ、恐らく他の女子たちが他クラスから花瓶を持ってきて、「逆成、お前転校生ちゃんに何してんの?」と花瓶の水をお見舞いしていただろう。
そんな光景を神様に見せる訳にも行かないから、凪雪は今回のような行為に走った訳だが。
「僕らと仲良くするのは、嫌ですか?」
「……嫌、ではありません。必要ないと、判断していただけです」
神様はただ事実を、淡々と、無表情に、無感情に、語る。
「あはは、良かった……。嫌だとか言われたらどうしようかと」
凪雪は神様の言葉に、ほっと息を吐く。
それは神様とは対照的で、溢れんばかりの安堵を、心の奥底から表現して見えた。
神様は、静かに凪雪に目を向ける。
どんな感情を抱いているのかを、一切を読み取らせない無のままに、凪雪をジッと見つめていた。
そのとき、である。
――ふと、心地よい金属音が響いた。
それは黒器の響かせる不快音とは、正反対の澄んだ音。
即ち、白器に分銅が載せられた音だった。
いきなりの出来事に、神様すらも目を丸くする。
劇的な理由があった訳でもなく、ただ唐突に、さり気なく、白の分銅は現れた。
「……どうして、急に」
凪雪もまた、口にはせずとも神様と同じような反応である。
え、なんか急に世界平和が一歩近づいてきた……、と。
凪雪と神様の抱いたものは、違わず二人とも疑問だが、しかし神様は凪雪と違い、白器に分銅が載せられた遠因までは知っていた。
神様の背後に浮かぶ天秤、その名を『審判の天秤』。
『審判の天秤』には白の器と黒の器が存在する。
白へと完全に傾けば地球の滅亡は見逃され、そして黒へと傾ききればその瞬間に地球は滅ぼされる。
そしてこの天秤が量るのは、神様自身が人間に与えられた、幸福と失望だった。
――つまり私は今、この男を見つめて幸福を感じた……?
そんな筈がないと否定するが、しかし凪雪と目を合わせると、胸が苦しくなるのもまた事実。
理解が、追いつかなかった。
「神様。もし僕と友達になってくれるなら、一つお願いがあるんですけど……」
考え事の最中に凪雪の声が聞こえて、神様はビクリと身体を震わせる。
「……お、お願い、ですか?内容によりますが」
聞くだけ聞きますよ、と。
神様の言葉を受け取った凪雪は、恐る恐る問いかけた。
「……敬語、やめたら怒ります?僕これ苦手なんですよね」
「お好きに。私は気にしません」
「……っ、よかった。じゃあこれから宜しくね、神様」
「ええ、こちらこそ。……長い付き合いになるかはどうかは、貴女次第ですが」
怖いこと言わないでくれ、と凪雪は思う。
だがほんの半日共にしただけで、凪雪の抱く神様に対する恐怖心は、かなり和らいでいた。気難しい性格ではない、と分かっただけでもかなりの収穫だった。
「ところで貴方、確か凪雪と呼ばれていましたね」
「?……うん」
「私も、そう呼んでいいですか?」
「……も、勿論」
あまりにもトントン拍子に話が進むことに、凪雪は動揺すら覚えていた。どういう訳か物理的な距離すらも、若干減っている気がするが、はて勘違いなのか何なのか。
凪雪は相変わらず――むしろ最初以上に大きく跳ねる心臓を抑えつけて、どうにか返事を口にしていた。
「…………テレイサ」
「え?」
「テレイサ。……私の、名前です。私だけが凪雪と呼ぶのは、不公平でしょう」
テレイサ。テレイサ。凪雪は口の中で、何度か整える。
唐突に教えられた神様の名前に、身体が、喉が、瞼が震えて仕方がなかった。
嬉しさと驚きと困惑とがごちゃ混ぜになって、いつの間にか凪雪の目には、薄らと涙が張り付いていた。
凪雪は噛み締めるように、その名前を呼ぶ。
「うん。よろしく、テレイサ」
そう凪雪が口にした瞬間。
――白の器が音を立てた。
「……?」
「……?」
二人は無言で天秤を見つめる。
え、何?なんでまた急に、と。
凪雪は何か知ってるだろうテレイサの様子を伺うべく、その名を再び口にした。
「……テレイサ?」
――白の器が音を立てる。
「テレイサ?」
――白の器が音を(ry
「ねぇテレイサ」
――白の器(ry
「テレ……」
「黙りなさい」
テレイサの表情には、羞恥や動揺――ましてや恋する乙女の要素は欠片も無い。相変わらずの無表情だ。故に何の感情も読み取れない。
しかし何か、ほんの僅かに何かが違う、と凪雪は思った。
「……凪雪。やはりその名を呼ぶのは、やめなさい」
「どうして?テレイサって名前、可愛いのに」
「――――ッ」
鐘のような音が、響いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ブクマ評価に感想、お待ちしておりますのでぜひ是非!特に感想貰えるとめっちゃ嬉しいです!