ひなた
「時の旅人たちはね、時を旅することができるの。つまり、時間を巻き戻すことができるのよ」
「えっ……?」
驚かないと決めていたにもかかわらず、僕はしっかりと驚いてしまった。
何かの冗談だろうか。笑い飛ばしてあげるべきなのだろうか。
「自分自身がとある時間に飛ぶ事だけじゃなく、別の人を飛ばしたり、特定のものにかかった時間だけを巻き戻したりもできるよ。さっき、私がユーマの傷を治したのも、実はそれなの」
ノエルはまっすぐに僕を見つめてくる。
澄んだ右目と無機質な左目が、揃って「信じて」と訴えかけてくる。
冗談なんか言わない顔だ。それにあの不思議な治療を体感していながら、嘘だろうとは思えない。
「本当、なのか…?」
僕も真面目に返してみる。
「本当だよ」
ノエルは大きく頷いた。
「わかった……信じる」
その瞬間に、ややこわばっていたノエルの表情がやわらかくなった。子どものように、くしゃっと、無邪気に笑う。
作り物めいた外見とは対照的だった。表情がコロコロ変わり、素直な笑顔がよく似合う。
「……でも、だとしてもなんで、部族を偽ってまでそのことを隠していたんだ?」
答えは尋ねながらわかってしまうくらいに、簡単なことだった。
「外の人間に力のことを知られてしまったら、きっとみんな、私たちを放っておかないでしょ?」
ノエルは悲しげに笑った。
きっと、時の旅人の力を求める人たちは、ごまんといるのだろう。もしもあの日に戻れたら。そう思い続ける人たちは、いつの時代もたくさんいる。僕だってそのひとりだ。ノスタルジアにはそんな人たちが僕の他にもたくさんいる。
そんな人たちに時の旅人の存在が知られたら。どうしてでもその力を自分のものにしたくなるに違いない。そのために、時の旅人を捕まえて、研究して……。最悪、殺されてしまうかもしれない。民族がばらばらになることは確実だ。
「そう。私たちはただ、平和に暮らしていたかった。だから、森の中で、目立たないようにひっそりと暮らしてきた。なのに……」
ノエルはそこでいったん口をつぐんだ。僕は雨に打たれる、悲惨な村の跡地を思い出す。
「ブラッドが、来たのか…」
「ブラッドっていうんだね……あの怪物は」
僕の言葉がスイッチになったかのように、ノエルの片目から大粒の雫がとめどなくあふれだす。
ノエルは肩を震わせ、嗚咽をあげながら、一生懸命泣くのをこらえようとしていた。溢れる涙を手のひらで必死にぬぐっていた。それでもぬぐいきれなかった涙は頬を伝い、やがてぽとりぽとりと神殿の床をぬらす。
「あの日……っ、突然、あいつがやってきた……! あいつは……むらを、みんなを!」
「ごめん。もういいよ……!」
気づけば僕はノエルの言葉を遮っていた。その声はあまりに苦しそうだったから。
「もういいよ。ごめん、思い出させて」
僕の目に彼女はもう、作り物めいた人形のような少女とは映らない。
「君は……」
言葉は自然と出てきた。
「君は僕と同じだ」
ノエルが涙でぐしょぐしょになった顔を上げる。
僕はノエルの、光が宿るほうの目を見つめる。その奥に、何か大切な……僕が求めている「なにか」があるような気がして。
今、僕はどんな顔をしているのだろうか。
「僕はね、とある村に住んでいたんだよ」
初めてだ。
「森があって、風があって、空がきれいな。とってもいいところだった」
この話を人にするのは。初めて。
「でも、あいつ……ブラッドがやってきた。あいつは僕の村をめちゃくちゃにした。みんな殺された。父さんも母さんも、友達も、みんな死んだ」
不思議なことに、話していても記憶は僕を苦しめなかった。
「僕にはね、妹がいたんだ。エリルっていって、甘えん坊で泣き虫な、僕の大切な妹だった。だけどあの日、あの子も、死んだ。僕をかばって飲み込まれていったんだ……」
あ、あれ…?
突然、視界が歪んだ。両方の目から熱いものがじわりとにじんで、こぼれる。
僕、泣いてるのか…?
「僕はひとりになった。ひとりでずっと生きてきた。悲しいし、苦しい。だから君の気持ちが痛いくらいにわかるんだよ。……だから、」
ぽろぽろと涙が落ちる。泣いたのは何年ぶりだろう。ノエルも泣いている。
僕は泣きながら、泣いているノエルに向かって言った。
「だから、僕と友達になってよ!」
それは本来なら絶対に、泣きながら言うべきではない言葉だった。ノエルは少しの間、ぽかんと僕を見つめていたが、やがて、ぽろぽろと涙をこぼしたまま、太陽のように笑った。
「うん!」
大きくうなずくノエル。
その瞬間、僕の中で何かが動いた。優しいものが胸の中に広がって、見えていた景色が色づいて、綺麗になって見える。
いつの間にか、雨は止んでいた。やわらかな風が青空に溶ける。ひだまりのようなあたたかい光が僕の心に空いた穴を埋める。
「ふふ、変な顔!」
ノエルの笑い声が光の中に、流れて消える。
僕は相変わらず泣いている。
なのに僕はノエルにつられるように心の底から。
「君、笑うの下手だね!」
笑っていた。
ぐしゃぐしゃの顔で、ぼろぼろに泣きながら、それでも僕は笑っていた。
こんなに思いっきり笑ったのも、いったい何年ぶりだろう。
陽の光が僕たちふたりを包んでいた。
顔を出した青空にはささやかな虹がかかっていた。