「うまいから」
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ノスタルジアには、ブラッドにすみかを奪われた世界中の人たちが集まる。そのため、ノスタルジアの人口は増え続けているのだが、現在、それをまかなうだけの食料の生産が追いついていないのだそうだ。それには、旧来土地が瘦せていたことや、急激に開発を進めたこと、建物が密集しているせいで広大な土地が確保できないことといった、いくつかの理由があるらしい。食べ物は、生き物の命の源だ。食べ物が足りなければ、人々は神経質になるし、争いが生まれる。だから、ノスタルジアの喫緊の課題は、食べ物を確保することだった。
そんな中、最近ノスタルジアに来た人の中に、故郷で作物の大量生産技術について研究していたという人物がいた。ブラッドに滅ぼされ廃墟となってしまった彼の故郷には、その研究成果である、痩せた狭い土地でも大量に生産できる作物とその農法について記した書物がまだ残っているはずだった。
「……それを探して、ノスタルジアに持ち帰るための調査任務に行く途中だったんだ」
「ふうん……」
正直なところ、難しい話はよくわからなかったが、適当に相槌を打ってみる。
「じゃあ私のことは放っておいて、任務? に合流すればいいでしょう。雨も止んだんだし」
何度もそう言ったのに、彼は頑なに、私を最後の街に連れて行くと言って私の手を引っ張った。
「どうせ今行っても、隊はかなり遠くまで行っているだろうし、もしかしたらもう調査も終わっているかもしれない。今回は諦めるのが得策だ」
彼は歌うように言う。
「それに、単独行動をして、ブラッドにでも出くわしたらたまらないからね」
何日かかけてたどり着いたノスタルジアの街は、私が想像していたよりはるかに、活気があった。
みっしりと小さな住居が立ち並び、その間を縫うように石畳の路地が血管のように張り巡らされている。
荷車を引く人、道端に屋台を構えて果物を売る人、買い物かごを下げた夫婦、かけっこをして遊ぶ子どもたち。
すれ違う人は皆、幸せそうな笑みを浮かべている。
ここが、何もかもを奪われた人たちが集う、最後の街だなんて、思えなかった。もっと、陰鬱な空気が漂っていると思っていた。
人混みをかわし、路地をするすると抜けて、風のように進むユーマに、はぐれないよう早足でついていく。
目立つ左目の石は、包帯でぐるぐるに巻いて隠した。
「どこに行くの?」
「 僕のお気に入りの場所だよ」
やがて、進む道に坂道や階段が増えてきて、小高い丘を登っているのだとわかる。
「この丘の上に、ギルドがあるんだ」
ユーマは言った。
「ブラッドバスターっていう、この街で、いちばん強い人たちが集まる場所。ブラッドバスターたちは何年も訓練を重ねて、街の外へ冒険に出るんだ。ブラッドを討伐するためにね」
ユーマも、ブラッドバスターを目指してギルドの道場で訓練中の身らしい。
ギルドはブラッドを討伐する任務のほかにも、さまざまな仕事を斡旋しており、今回ユーマが参加する予定だった廃墟の調査任務も、このギルドで受けた依頼なのだそうだ。
「……あなたは、ブラッドを倒しに行きたいと思うの?」
胸の奥に靄がかかったような気持ちになって、思わず問う。
ユーマは、少し考えてから、私の目を見て力強く頷いた。
「いつか僕も、強くなって、家族を守れるようになりたいんだ」
それからいたずらっぽく、ニッと口の端を上げる。
「それに、もしブラッドを討伐して帰ってこられたら、莫大な報酬が貰えるんだよ。そうしたら一気に億万長者だ。生活がかなり楽になる。……まあ、僕にはあまり才能ないみたいで、訓練してもからっきしなんだけど」
不服そうに口を尖らせるユーマに、
「あんまり強そうじゃないもんね」
と言うと、軽く小突かれてしまった。
「お気に入りの場所」とは、丘の中腹にある小さな喫茶店だった。
「お腹空いたでしょ」
彼が薄い木の板でできた扉を開けると、ふわりと香辛料の匂いが鼻腔をくすぐる。
どこかなつかしい、「家の食事」の匂い。
「ここのお店、サービスしてくれるんだ」
彼は私に耳打ちした。
店主に促されて席に着くと、隣の席に座ってドンブリをがっついていた髭もじゃのおじさんに声をかけられる。
「ユーマお前、もう帰ったのか」
「ええっと……」
ユーマは視線をさまよわせる。
「それが、途中で離脱してきちゃって」
「なに。お前は相変わらずへたれだな。ちゃんとギルドに正直に報告してこいよ」
「わかってますって」
ユーマは苦笑する。彼らは、ギルドでの知り合いなのだろうか。それとも、この店の常連どうしで仲よくなったのだろうか。
「その子は?ガールフレンド?」
おじさんが、私にちらりと目をやる。あわてて私はうつむく。袖のない、薄手のぼろぼろのワンピースが、やけに肌寒く感じる。
「途中で出会った子です」
「ふうん」
おじさんは、そのまましばらく何も言わなかった。うつむいたままの私にはわからないけれど、きっと、私をじっと見ている。
コトン。
音がして、目の前に、おじさんが食べているのと同じドンブリが置かれた。
咄嗟に顔を上げると、店主だろうか、黒いぼろぼろのエプロンを引っ掛けた初老の男性が微笑んでいた。ユーマの前にも、同じものを置いて、店主はカウンターの中へ戻っていく。
「まあ、なにがあったか知らねえが、これでも食って元気出せ」
おじさんが言った。
「うまいから。な」
そう言って、おじさんは自分のぶんのドンブリに向き直る。
「ブラウンさんが作ったみたいな言い方」
苦笑するユーマに、
「馬鹿、俺のおごりだ」
おじさん――ブラウンさんは下手なウインクをしてみせた。
「ガールフレンドにかっこつけるチャンスを奪っちまうかな」
「いえ、ありがたくいただきます」
ごはんの上に載った大きな肉の塊と目玉焼きが、てかてかと輝いている。
ぐう、とお腹が鳴った。
「おいしいよ」
ドンブリとにらめっこを続ける私に、ユーマがそっと言った。
「私がこれを食べてもいいのかな。これを食べる資格があるのかな、って」
私は、スプーンを取れずにいる。
そんなこと考えてたの、とユーマが小さく笑う声が聞こえた。
「そんなことって……」
「君だって、たくさん傷ついたじゃないか」
顔を上げると、ユーマの目が、まっすぐに私を貫いていた。故郷を破壊された絶望が、よみがえってくる。
その瞬間、とうの昔にわかっていたことだけど、ああ、私はもうひとりぼっちなんだ、と、そう思った。ここは知らない街だ。
ひとくち、口に運ぶと、言葉と一緒に涙まで出そうになる。もう一度、お母さんの温かいご飯が食べたいと思った。




