真実
僕が初めてここに来たあの時と同じように、サヤトの村は、鬱蒼と茂る木々に覆い隠されるようにして、ひっそりとたたずんでいた。
だけど、あの時と違うのは、村はまだ綺麗なままだということ。
あの時目にした痛ましい光景とは、まるでまったく、別の場所みたいだ。
赤っぽい土がむき出しの道に沿って、石と丸太を組み合わせてできた小さな家々が並び立っている。
村の最奥部には、ノエルと出会った神殿。村の人々が大切に手入れしているのだろう、石造りの神殿はつやつやと輝き、おごそかな美しさを放っている。
僕たちの足音を聞きつけたのか、民家や神殿から、村人がひょっこりと顔を出す。
ノエルと同じ、白い髪、白い肌、そして、白装束の人たち。
これが、ノエルの故郷か。あれが、時の旅人か。
「よかった、まだ、ブラッドは来ていないんだね」
ほっとして、隣を歩くノエルの顔を覗き込む。
――ノエルの表情は、ぞっとするほど、硬く、虚ろに凍りついていた。
「ノ、エル……?」
その、今までに見たことのない表情が、なぜか、言いようもなく、怖くて。
僕はたじろぐ。
ずっと隣にいたノエルが、まるで、ノエルじゃないみたいで。別の知らない誰かみたいで。
刹那、がちゃり、という、重たい鎖を引きずるような音が、のどかな村に不協和を生み出して、僕は顔を上げる。
――そして息を呑んだ。
僕たちの周りにいた兵士たちが携えていた銃を構えていた。
「撃てー-ッッ!」
乾いた発砲音が響きわたる。
時の旅人の真っ白な服の上に、紅い花が、ぱっ、ぱっ、と次々に咲く。
「……ッ!?」
一瞬、息ができなくなる。
「ちょっと!何してるんですか!!」
舌も足ももつれそうになりながら、なんとか側にいた兵士に掴みかかる。
「おわ! いきなりなんだよこのガキ! 危ないだろうが!」
「その銃を下ろせよ! どうして罪のない人たちを……!」
兵士は怪訝そうに顔をしかめながら僕を見下ろし、怒鳴りつけた。
「ほら、お前も戦え! なんだかよく知らないけど、お前、『あの化け物』を殺すのを手伝ってくれるっていう強いガキなんだろ!? 協力しないなんて話が違うじゃねえか!」
兵士は淀みない口調で言い放った。
「こいつらは時間を操る、化け物のような民族だ。こいつらは尊い『時間』を穢しているんだ。だから、俺たちがこいつらに制裁を加えるんだ」
僕はようやく気がついた。
彼らの言う「化け物」は、ブラッドのことを指していたのではなかったのだと。
違和感という名のパズルのピースが繋がっていく。
それと同時に、僕が思い描いていた、ある “事実” が音をたてて崩れ落ちていく。
「緑の民」と部族の名を偽ってまで、力の存在を隠していた「時の旅人」。
――「外の人間に力のことを知られてしまったら、きっとみんな、私たちを放っておかないでしょ?」
悲しげに笑う、ノエル。
あの日、僕たちが初めて出会った日。雨の神殿で聞いた言葉が、途端に別の意味を形作っていく。
――「私たちはただ、平和に暮らしていたかった。だから、森の中で、目立たないようにひっそりと暮らしてきた。なのに、あの日突然、あいつがやってきた……! あいつは……むらを、みんなを!」
ノエルの言う「あいつら」もまた、ブラッドのことを指していたのではなかったのだ。
そうだ。雪降る街で、スバルのおばあさんは、何と言っていた?
――「私がまだ若いとき、私たちの能力を狙う民族に、村が襲われたことがあってね。村が危険になったから、女子供の何人かだけ、この街へ逃げてきたんじゃよ。」
悲劇はまだ、終わっていなかった。
ノエルの故郷を奪ったのは、得体の知れない怪物なんかじゃなかった。
彼女を絶望させたのは、他でもない、人間だったんだ。
時計台の街の兵士たちは、時の旅人のぐたりと垂れ下がった両腕を無理やり抱え上げて、ズルズルと引きずり、そのまま放り込むみたいにして、次々と、彼らの体を持ってきた荷車に詰め込んでいく。
「これだけあれば、いい研究ができそうです」
「ああ。こやつらの能力の原理を解明して同じものを搭載した装置を作れば、世界中で爆発的に売れること間違いなしだ。もう過去を悔やみ、未来を案じることもしなくてよくなる。革命が起きるぞ」
「我らの街も、発展すること間違いなしですね」
軍人たちの中で、白衣を着ていた集団が嬉しそうにささやきあうのが聞こえる。
負傷者を救護させるための軍医かと思っていたけれど、どうやらそうではないみたいだ。
ノエルの表情は硬くこわばったままだった。精緻な陶器の人形にでもなってしまったかのように、ノエルの周りだけ時間が止まってしまったみたいに、光のない目で、突っ立って、それを見つめていた。
「……行こう」
僕はノエルの手を引いた。自分の足が震えているのがわかった。
これ以上ここにいたくない。いてはいけない。
しかしノエルはまばたきもせず、僕の声なんて聞こえていないみたいに、じっと、その光景を見つめたまま、動こうとしない。
再び銃声が轟く。
乾いた音が山々に幾重にもこだまして、耳をふさぎたくなる。
「ノエルっ!!」
僕はもう一度、今度は強くノエルの手を引っ張って、無理やり木立の中へ逃げ込んだ。兵士たちは追ってこなかった。それよりも、時の旅人を殺すことに必死だった。
「見ちゃダメだ、ノエル」
「どうして……?」
「ダメなんだって」
ノエルは、感情をすっぽり抜かれてしまったような、からくり人形が喋るみたいな声で言った。
「ユーマ、ブラッド、倒さなきゃ」
胸が苦しくなって、僕はそっとノエルの華奢な肩に手を添えた。
「何言ってるんだよ……。ここにブラッドはいないじゃないか。いま君の故郷はブラッドじゃなく、人間に襲われてるんだ。早くあの街の人たちを止めないと……!」
「やめて!! お願い!」
その時、ノエルが叫んだ。
僕はびっくりして、すぐそばにいるノエルをまじまじと見つめる。
彼女は口を開いていなかった。
僕の隣にいるノエルは、黙り込んでいた。
声は、遠くから。
木立の外、村の方から聞こえていた。
「もうやめて!!」
そこにいたのは、ノエルだった。
5年前のノエル。過去のノエルだ。
今と全然姿が変わらない。真っ白な肌も、長い髪も、白いワンピースも、そこから伸びる細くしなやかな手足も。
ただ一つ、未来と違うのは、両方の目がきちんとあること。
彼女は涼やかで綺麗な声が掠れて裏返るほど、死に物狂いで叫んでいる。
彼女の足元は、紅い水たまりだった。彼女が両の足を踏ん張って全身で叫ぶたび、その水たまりに波がたって飛沫が跳ねた。
僕の隣にいるノエルが、ぎゅっと僕の左手を握る。
今までずっと、そうしてきたように。
悲しいとき、苦しいとき、怖いとき、それでも立ち向かわなければいけないとき、ずっとそうしてきたように。
「ユーマ、見てて。これが、ユーマの、最後の戦い。ユーマはこの世界の運命を変えるんだ」
ノエルはまっすぐに前を――泣き叫ぶ、過去の自分の姿を見つめている。
「最後の一人ですか」
「可愛らしい女じゃねえか」
下品に笑う兵士たちを前に、華奢な少女がなすすべは、もはや何もない。
「女神様……助けて……!」
過去のノエルが、ついに膝から崩れ落ちる。血だまりが跳ねて、白いワンピースの裾が真紅に染まる。
「ノエルっ!!」
衝動的に駆け出しそうになる体を、繋いだままのノエルの手がぎゅっと引き戻す。
「だめ。行かないで」
その手は、その瞳は、震えて、潤んでいた。
「……」
僕は何も言えなくなる。
木立の向こうに視線を戻す。仲間たちの血潮で真っ紅に濡れたワンピースの裾を握りしめ、僕の隣にいる大切な人と瓜二つの少女は、泣き叫び、ただ祈っていた。
「運命を、変えてください……変えたいの……!ねえ!!」
兵士が少女に、銃口を向ける。
「どうして!! どうしてこんなことになっちゃったの! 誰が決めたの!! こんな運命、変えたいよ!! ねえ!!」
少女の声は、山脈にこだまして、広い世界に大きく響きわたっていく。
世界はこんなに広いのに、その声を受け止めるものは何もない。
声はただ、虚しく森の静けさに吸い込まれて消えていくだけ。
「ピーピーうるせえな」
「……一人くらいは、生かしておけとのご命令です」
「わかってる。ちょっと静かにしててもらうだけだよ」
兵士が引き金を引く。
少女は絶叫した。
「こんな世界、なくなっちゃえばいいのに!」




