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最後の旅

 肌に触れる風が、どこからか森の匂いを運んできた。きちんと整えられたベッドの上の冷たいシーツのような、ひんやりと気持ちのいい風だ。


 目を開ける。


 ノエルはちゃんと、近くにいた。

 僕の右手を、両手で包み込むように握りしめながら、眠っている。


「ノエル」


 そっと肩を揺らしてみても、「うーん……」と寝言を言うだけで、全然起きない。

 僕は苦笑しながらその頬に手を伸ばす。

 つるつると滑らかな肌の感触と、手の甲に触れるかすかな寝息。


「こらー!」


 大きな声に肩が跳ねた。

 見下ろすと、エプロン姿の女の人が、フライ返しを片手に、窓から顔をだけ出して僕たちを見上げていた。


「うちの屋根の上で、何してんの!」

「すみません! すぐ降ります!」


 僕はすぐに、眠ったままのノエルを抱きかかえて立ち上がる。屋根の傾斜のせいで一瞬足元がふらついたが、オレンジ色の瓦の上に足を踏ん張って耐える。


「降りますってあんた、それで降りられるの? ハシゴいる? まったく、どうやって登ったんだか……」


 呆れ声でぶつぶつ言う女性を横目に、僕は二階建ての家の屋根からひょいと飛び降りた。



「びゃっ」


 眠りから覚めたノエルは、僕に抱えられていたことに気づいて奇妙な声を発した。


「わ、ごめん!」


 慌てて降ろすとぺこりと頭を下げられる。


「お手数おかけしました」

「いえいえとんでもございません」


 笑いあって、街の中を進む。

 石畳が敷き詰められた道路と、オレンジ色の三角屋根の家々が美しい街だった。

 家々のバルコニーには色とりどりの花が植えられている。

 道の少し向こうには、美しい装飾の時計台が見える。


「かわいい街……まるで絵本の中みたい」


 ノエルが声を弾ませる。


 いつまでも街の散策を楽しんでいたいが、ここは()()()だ。


 ブラッドが暴れ始めたとされる、五年前。

 ブラッドがこの世界に生まれたであろう、五年前。


 僕はここで、ブラッドを創り、統べている者――書のブラッドが言っていた、「主様(あるじさま)」――を倒し、この世界を救わなければいけない。

 それが果たされた時、僕たちの長く短い旅が終わるのだ。


 胸が高鳴る。

 やっとここまでたどり着いた。

 この旅が終われば、僕たちはまた、ありふれた幸せの中で平和に暮らす日々に戻れるのだ。


 その時、時計台の鐘が鳴った。


「パレードがはじまるぞ!」


 街の人々が沸き立ち始める。


「息子が兵士としていくのよ!」

「あらおめでとうございます!」


 にぎやかになった通りで僕たちは顔を見合わせる。


「なんだろうね」


 すると、近くにいた青年が興奮した様子で教えてくれた。


「『例の化け物』を倒すための部隊が明日、出発するんだよ。それを激励するためのパレードが今からこの通りで行われるんだ」

「『例の化け物』……!?」


 ピンときた。ブラッドだ。

 おそらくこの街にはブラッドを討伐するための部隊がいるということなのだろう。


 いいことを思いついた。


 僕はノエルに耳打ちする。


「……その部隊に、僕たちも入れてもらえばいいんじゃないか?」


 ノエルが笑う。


「またユーマが突拍子もないこと言い出してる」



 パレードでは、軍服とをまとった兵士たちが列をなしてゆっくりと歩いて行った。戦車や馬に乗っている人もいる。

 通りに集まった人たちが小さな旗を振って声援を送る。

 高らかに生演奏されている軍歌は、兵士たちにだけでなく、観ている僕たちにも体の底から湧き上がるような力をくれるような、力強い曲だった。


 パレードが終わると、僕は沿道にノエルを残し、去っていく兵士たちの後ろ姿に、思い切って声をかけた。


「あの!」

「なんだね」


 迷惑そうに振り向いたのは壮年の男性だった。


「悪いけど、サインなら今度にしてくれ。明日からの大事な任務で今忙しくて……」

「明日、僕たちもついていっていいですか」


 かぶせるように言った言葉に、壮年の兵士は「は?」と薄く笑った。


「あのね、坊ちゃん。わかってると思うけど、遊びじゃないんだよ。子供を連れて行けるわけないじゃないか。俺たちと同じくらい強くならなきゃ、俺たちと一緒に来ることはできないんだ。君くらいの歳なら、もうそれくらいわかるよね」


 それでも僕が引き下がらないでいると、兵士はため息をついて、投げやりに言った。


「わかった。じゃあ坊ちゃん、今から勝負してみよう。俺に勝てたら、明日、ついてきてもいいぜ」


 どうやら彼は、自分が勝利する未来しか想像していないらしい。

 僕は頷く。


「わかりました」



 一人で待たせていたノエルの元へ、急いで戻る。

 植込みの花を観察していたらしいノエルは、僕に気づくと大きく手を振った。


「ユーマおかえり! どうだった?」


 僕は、にやりと笑ってみせる。


「『是非、ご同行お願いします』だってさ」

「やったね」


 ノエルはくすくす笑った。


「こてんぱん?」

「いや、手加減したよ。明日、大事な任務があるって言ってたから」

「さすがあ」


 部隊の行き先は、「東の森」。

 くしくも、僕が最初にノスタルジアで受けた任務と、同じ文言だった。

 もちろん、本当にあの時と同じ目的地・「サヤト」ではないだろうけど。



 翌朝早く、部隊は街を出発した。

 ノエルも連れて行きたいという僕の要求はあっさりと受け入れてもらえた。

 まだ薄暗い中、街を抜け、森に入っていく。


 僕は驚いた。それは見覚えのある山道だった。


 僕が初めてブラッド討伐の任務に向かった時。ノエルに出会い、初めてブラッドを倒した時。

 あの時に使った道とそっくり、いや、まったく同じ道だった。

 ノエルも気づいたらしく、表情をこわばらせている。


「この先にあるのって……」

「うん……」


 僕たちが向かっているのは、これからブラッドが現れるのは、たぶん、サヤト。

 ノエルの故郷。

 ノエルにとっての「あの日」に、今、僕たちは向かっている。


 緊張した面持ちのノエルに、そっと言葉をかける。


「大丈夫。君の故郷は僕が救ってみせる。この世界にブラッドを創ったやつだって、僕が倒してみせるよ」


 ノエルは硬い表情を崩さなかった。


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