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笑って

「王女様、逃げて!!」


 ノエルの悲鳴が谷底に響きわたる。


 青い目のブラッドが剣を振りかざす。

 見ていられなくて、思わずぎゅっと目を瞑る。


 ぶん、と、刃が空を切り裂く音。


「……っっ! 王女様!」


 そっと、目を開ける。


 青い目のブラッドは剣を振り下ろしていた。


 ――そして、少し間合いを取ったところに、ドレスも甲冑も泥だらけにした王女様が立っていた。


 僕はほっと息を吐く。心臓が破裂しそうなほど、鼓動が早鐘を打っている。


 間一髪のところで王女様は立ち上がり、青い目のブラッドの一撃をかわしたのだ。


 王女様は剣を構えていた。


「王女様……!」

「私は大丈夫! だから行って!」


 王女様が、目だけで僕たちを振り返る。


「この国を、救ってください!!」


 王女様の足は、相変わらず震えている。だけどその声は、城で聞いた時と同じ、凛とした強さを帯びていた。


「……わかりました」


 涙を流して対峙する二人を背に、僕は槍を構える。


 そして、ようやく開けたブラッド本体へと続く道を、一直線に駆け抜けた。



 バカ。そんなに震えてたら、まともに剣も振れないよ。

 笑って言いたいのに、上手く言葉が出ない。


 体が言うことを聞かない。

 王女を守りたいのに、体は王女を容赦なく殺そうとする。


 頼むから早く、僕を殺してくれ。

 手遅れになる前に、貴女の手で。早く。


「なんで私がそんなことしなくちゃいけないの……?」


 このまま放っておいたら、僕は貴女のことも、国に残っている貴女が愛し貴女を愛するたくさんの民のことも殺し続けてしまうだろうから。

 その前に、早く。


「やだっていってるじゃない!!」


 いいか、貴女は王女なんだぞ。街で貴女を待っている人がたくさんいる。貴女がここで死んだら、これから誰が彼らを導くんだ。誰が彼らを守るんだ。……貴女はここで死ぬわけにはいかないんだ。


「そうだけど! でも!!」


 わがまま王女様だな……。そういうところ、昔から変わらない……。


「わがままはどっちよ!!」


 なんだと?

 ……まぁたしかに……。

 僕は身勝手だ。貴女を独り占めしたいなんて、思ってしまったんだから……。


「お願い、元に戻ってよ! 私、ひとりじゃわかんないよ!みんなの期待に応えられているのか、ちゃんとみんなを守れているのか、不安でしかたないの! ひとりぼっちはさみしいんだよ……。だからあなたが、ずっとそばにいてくれるって、あの時言ったじゃない! 守ってくれるって、言ったじゃない!! 私にはあなたしかいないのよ!」


 ああ……。

 貴女は今も、あの頃と同じように、僕を無条件に頼ってくれるんだね。


 約束を守れなくてごめん。貴女をこんなにも悲しませてしまってごめん。


 自分の青い目から、透明な雫がぽろぽろとこぼれ落ちるのがわかる。

 王女の青い目からも、透明な雫がぽろぽろとこぼれ落ちる。


 だけど、僕の体はもう止まらない。

 僕の石とは無関係に、腕は剣をぐっと構え、脚は強く踏み込む準備をし始める。

 まっすぐに王女に切りかかろうとする。


 貴女だって、本当はもうわかっているはずだよ。さあ、剣を構えて。ちゃんと立って。


 悔しいけど、たぶんあの頃から、剣術は貴女の方が上手だったよ。


 つらい思いをさせて、ごめんね。

 僕はこれからもずっと、貴女の側にいる。約束するよ。僕だけは、いつだって、貴女の味方だから。

 それじゃあ、またね。


 貴女の手で、僕を終わらせてくれるなら、僕はそれだけで、十分だ。



「その気持ち、わかるよ」


 少女が言った。


「最後の最後に、私のためにだけ、大好きなものの手が汚れるのなら、それでいいかも、なんて思う気持ち、わかるな」


 頬を桃色に染めるその少女の左目には、僕の左胸に収まったものと同じ、紅の石が埋め込まれている。


 大好きなものの手が、僕を殺すためだけに汚されるのなら。

 その汚れを独り占めできるなら。

 いちばん星を見つけたのも、いちばん星を撃ち落としたのも、他ならない僕だから。

 その事実だけで僕は。

 これ以上ないくらいに、幸せだった。



 王女様は一人ぼっちで泣いていた。


 誰かの血と泥でぬかるんだ谷底にへたり込んで、ドレスの裾は真っ黒に汚れていた。


 彼女のそばで涙を拭く役目を負うはずの人はもう、この世界にはいなかった。


 僕は王女様になんと声をかけたらいいのかわからない。王女様の顔も、真っ直ぐに見られない。


「ごめんなさい……僕がもっと強ければ……」


 王女様はそっと首を横に振る。


「あなたは悪くない……。あの怪物を倒してくれたんだもん……」


 かすれて力ない声だった。


「みんなわざと私を頼って、尊重することで、私を外に出さないようにして、私を守ってくれていたのね。私は守ろうとしていたものに、守られてた……。そのことに気がつかないまま、ずっと。なんて私は、バカだったんだろう。どうして……どうしてそのことに、全部終わってからしか気がつけないんだろう……!」


 王女様は崩れ落ちる。胸が痛かった。


「ねえ、」


 王女様は僕を見上げた。濡れた睫毛が、陽光を受けてきらめいた。


「私はこれからどうすればいいの……」


 少し考えてから、僕は言った。


「笑ってください」


 もうすぐ、ノスタルジアの調査隊がブラッドの情報を聞きつけて、この国にやってくるだろう。


 王女様は、城の中に避難していてわずかに生き残った国民たちと一緒に、ノスタルジアに行って、そこで暮らし始めるのだろう。


 その時にはもう、王女様なんかじゃなくなっているのかもしれない。


 普通の女の人として、おそらく、ブラッドバスターのギルドの受付カウンターででも、働くんじゃないだろうか。


 僕は言った。


「泣いてるだけじゃ、何も始まらないですよ」


 こんな境遇に置かれた人には、少しきつい言葉かもしれない。


 だけど、僕も、あの時この言葉に救われたから。


 彼女はハッとしたような顔をして、すぐにまた泣き出す。


「……泣くのはこれが最後にするから……っ!」


 言いながら、死者を弔うように、一生懸命、泣いていた。


 僕は頷いて、彼女に背を向ける。


「あなたは笑っていなくちゃ、だめなんです」


 その笑顔に救われる人が、その笑顔から始まる何かが、きっと未来にあるはずだから。




 王女様だった人の名前は、“エミリエール・アルストロメリア”。




 彼女のきれいな金髪が、陽光を浴びて、きらきら輝いていた。

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