嘘
僕は青い目の兵士の、ノエルは額に傷あとのある兵士の馬にそれぞれ乗せてもらう。彼らを含めた何人かの兵士たちと共に、「そこ」へ向かう。
豪奢な住宅や、宿屋、飲食店、雑貨屋などで栄えている城下町は、先ほど王女様が言っていた通り、高い壁と、豊かな水をたたえた堀に囲まれていた。
門を抜けると緑が多くなる。きちんと舗装されていた道も、土がむき出しになった。見渡すと一面畑が広がっており、古ぼけた民家や、水車をつけた小屋のようなものが点在している。都市部とは違う、のどかな風景が広がっている。
「故郷を思い出します」
思わず言うと、
「そう」
青い目の兵士の優しい声が返ってきた。
ただ、家も畑もあるのに、なぜか人の姿は一切見えないのが不思議だった。
「この平野のずっと向こうに、山が見えるでしょ。あれがちょうど、隣国との国境 。あのあたりに、深い谷がある。そこに、あの怪物がいる」
やがて馬は森に突入した。
薄暗い獣道を、手綱を握る兵士たちは迷いなく進めて行く。通い慣れているのだろう。
「あれだ」
深い谷の前で、馬は止まった。
傷あとのある兵士が、谷底を指さす。
そこには、禍々しい姿をしたブラッドがいた。
濁ったピンク色の柔らかそうな表皮はぼこぼこと沸騰するみたいにあわ立っている。動物の臓器のような、弾力がありそうなつやつやの集合体がぼこぼこ、ぐちゃぐちゃと複雑に絡み合っているのだ。昆虫のような下半身では、ムカデみたいな足がうようよと動いていて、正面には目も口も、落ちくぼんで虚ろな、まるでがいこつのような顔がついている。
「わっ」
なにかに気づいたノエルが手で口元を抑える。
よく見ると、ブラッドの体の表面からは、人間のものにそっくりな顔や、腕や、脚が生えているのだ。
「気持ち悪い……」
思わず呟く。
しかし、こんなに禍々しい見た目に反して、ブラッドは一向に動かない。
「あいつ自体はほとんど攻撃してこない。してきたとしても殺傷能力はとても低い」
青い目の兵士が言う。
「あいつ、自体は……?」
ブラッドの周りでは、親分を守るように、人型の小さなブラッドが暴れまわっていた。禍々しいブラッドの手下だろうか。僕たちより先に来ていた兵士が応戦している。
「待って、何かおかしいよ」
ノエルが僕の服の袖を引っ張る。
「あれ、人だよ!」
ぞっとした。
兵士たちと戦っているのは、どう見ても人間だった。手足や顔、腹など、体の一部をブラッドに変えられている。
そして、
「たス……けて……」
「こんなこト……したくナぃ……」
おそらく人間としての自我を持ったままでいる。
自分の頬がひきつるのがわかった。
青い目の兵士が僕の隣で同じように谷底を覗き込み、落ち着いた口調で言った。
「あのピンク色の怪物に食べられた奴は、怪物に変えられちゃうんだ」
「そんなこと……」
ノエルが両手で口をおさえる。
「信じられないだろうけど、ほんとだよ。……ある日、あの怪物が農村部にやってきた。何も警戒していなかった人々は、あっという間に全員食べられてしまった。お腹がいっぱいになった怪物は、この谷で少し休むことにした。そして農村部の異変に気付いた都市の兵士団が、この場所を暴いた……ってわけ。実際に現場を見た人は城下町にはいないから、あくまで想像だけどね」
「ブラッドは……あの怪物は、倒せそうなんですか」
青い目の兵士が王女様の前で言ったことを思い出しながら、僕は問う。
ブラッドを「追い返した」と言っていたということは、彼らはこの怪物たちと戦えているということなのか。
しかし青い目の兵士はゆるゆると首を横に振った。
「それが、全然だめだ。怪物は僕たちが怪物本体にたどり着く前に、怪物になった人間を次々吐き出して、自分の盾にするんだ。僕たちはあの怪物と戦う前に、まず同胞を殺さなきゃいけない」
「そんな……!」
青い目の兵士の口調は淡々としているが、よく見ると、彼の拳は、悔しそうに、強く握りしめられている。
「……僕らは生粋の戦士ってわけでもなきゃ、人殺しのプロでもないんだ。長年の間、戦争とは無縁の国だったからね。せいぜい王城の警備兵が、付け焼刃の訓練をしただけ。僕だってそうだけど、みんな、戦いの経験が浅い上に、はなから人を殺す覚悟なんてないんだ」
青い目の兵士の言葉に、他の兵士たちも暗い表情で俯く。
「それに、農村部が故郷の兵士だって大勢いる。自分の母親が苦しみながら、助けてって言いながら、襲い掛かってくるんだ。それを、普通、殺せる? ……みんな、耐えられなかった。そして、ためらっているうちに、怪物にされてしまった人間に殺されてしまう。殺された人は、あの怪物本体に食べられて、新しい怪物にされてしまう。……終わらないんだ。僕たちが全員怪物になるまで」
「全員、怪物に、なるまで……終わらない……」
言葉を聞くだけで、全身が粟立った。
「このことを、王女様は知って……?」
「まさか。王女は甘ったれで、とても心清らかで、優しい人なんだ。こんな光景を王女に見せるわけにはいかないよね。ていうかそもそも、王女にこの化け物は殺せないよ」
青い目の兵士はおかしそうに、そして寂しそうに、笑った。
「王女には嘘をついて、毎回怪物を追い返していることにしてる。王女を国の希望の象徴として、守り続ける。そのために、敢えて王女を頼ることで、城壁の中にい続けてもらう。これは、僕たち兵士だけじゃない、この国のみんなで、決めたことなんだ。王女だけは、きれいなまま、世間知らずで素直で純真なあのまま、守り続けようって」
宿屋の主人のことを思い出す。彼も、きっとこの現状を知っていたのだ。彼だけじゃない、この国の、王女様以外のみんなが、現実を知っているのだろう。すべて、人々が王女様を愛するがゆえの決断なのだろうけれど、王女様が真実を知った時どう思うのだろうかと考えると、なんだか胸が苦しくなった。
青い目の兵士は殺気のこもった目で、谷底を見下ろす。
「あいつらは、殺すしかないんだ。放っておいても怪物になり果てていくだけ。他の者に危害を加えるだけだ。あれはもう、人間じゃないんだよ」
谷底では、兵士が絶叫しながら、人の姿をしたブラッド――いや、ブラッドの姿をした人を斬りつけている。
青い目の兵士は悲しそうに呟いた。
「僕たちが、人の心を保ったまま生き残るのは、たぶん、もう無理なんだよ」




