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槍と金槌

 ブラッドがミチを囮にしている……?


 氷を飲み込んだみたいに、お腹の底が冷たくなる。

 まさか。

 だって、もしそうだとしたら、ブラッドの目的が何なのか、わからなくなる。

 人間を殺すことが目的なんじゃないのか?

 そういう本能か、あるいは書のブラッドが言っていた「主人」の命令に従って行動しているだけなんじゃないのか?


 こんなのまるで、ブラッドが人間の苦しむところを見て楽しんでいるみたいじゃないか。


 ブラッドは相変わらず口を半開きにしたままこちらの様子をうかがっている。

 僕が構わず突進していけば、ミチはたぶん、あのまま食べられてしまうだろう。

 かといって、このままじっとしていても、僕の呼吸が持たない。苦しくなって弱ったところを襲われて、僕もミチも両方やられてしまうだけだ。

 僕がここで武器を捨てるとしても、ミチが解放されるかどうかはわからない。丸腰になったところを襲われるだけかもしれない。


 じゃあどうする。


 必死で考える。

 考えている間にも、どんどん苦しくなる。


 僕は意を決する。


 ――仕方ない、か。


 少しでも、ミチが助かる可能性がある方に懸ける。


 僕は、握っていた槍から、手を離した。

 槍は自らの重みでどんどん水底に落ちていく。


 魚はそのぎょろりと飛び出た大きな目を下に向けて、槍が闇の中に消えていくのを見ている。


 それから僕に向き直る。

 ブラッドは、今度ははっきりとわかるくらい、ニチャ、と満面の笑みを浮かべた。


 その不気味さに、背筋が粟立つ。

 趣味の悪いやつ。心の中で悪態をつく。


 魚はぐったりしたままのミチを口から吐き出した。そのまま自分の鱗のうちのひとつに彼女の服の裾を器用に引っ掛けると、今度は嬉しそうに、じりじりと僕との距離を詰めてくる。


 ミチより先に、僕を食べることにしたようだ。


 せめてもの抵抗をと思い、全身の力を抜く。


 かろうじて空気を蓄えたままでいる僕の体は、ふわりふわりと水面に向かって浮かんでいく。


 こうすれば、少しずつではあるが、魚と距離をとることができる。


 昇っていく僕。詰め寄る魚。

 きらめく水面が、もう手の届きそうなところにある。

 ばっくりとあいた、魚の口。のぞく白い牙の数々。喉の奥の暗闇。


 そっと瞼を下ろし、もうろうとする意識を手放す。


 その直前、――捨てたはず槍が猛スピードで水面に吸い寄せられていくのが見えた。


 バキッッ!!!


 続けざまに、水中でもわかるほど大きな、ガラスのくだけるような音が響く。


 そっと目を開ける。

 魚のブラッドが、僕の目と鼻の先で、白目をむいていた。

 口を開けたまま、ピクリとも動かない。


 死んだ……のか?


 わけがわからない僕のもとに、上から何かが投げ込まれてくる。


 漁業用の網だ。


 必死でそれに捕まる。

 ぐいと一気に船の上に引き上げられる。


「はぁ、はぁ……!!」


 荒くなる呼吸を整えながら、顔を上げる。

 いつの間に海に飛び込んでいたのだろうか、全身を濡らしたレノも、同じように息を荒らげていた。

 その腕の中にはしっかりと、ミチが抱きかかえられている。


「レノさん! どういうことですか……? いったい何が……。ミチは!?」


 詰め寄る僕に、レノは優しく笑いかけてくれた。


「大丈夫。ちゃんと生きてるよ。さすが俺の娘といったところだな」


 大きく頷く、レノのその声は、かすかに震えていた。


「よ、よかった……」

「ユーマ!!!」


 力が抜けて甲板に大の字になる僕を、ノエルが覗き込む。


「ひどいけが!! すぐに手当てを……」


 なにかに気づいたノエルがきゃっと悲鳴を上げる。


「紅石にひびが……!」

「ああ。そうなんだ。さっきやられちゃったみたいで……それより、誰がブラッドを?」


 穏やかになった波に揺られる魚のブラッドは、もうピクリとも動かない。

 ノエルは手当てをしてくれながら、かすかに顔をほころばせた。


「レノさんだよ」

「そっか……」


 さすが、船長だ。

 ほっと息を吐くと、ノエルは頬を膨らませて僕の額に人差し指を押し付けてきた。


「びっくりしちゃった。ユーマが槍を引っ張って合図してくれて、『ミチちゃんが助かったんだ!』って思ったら、槍には誰も捕まってないんだもん」

「ご、ごめん……」


 そういえば、「ミチを保護出来たら槍を引っ張って合図する」って、決めていたんだっけ。実のところ、自分の槍に合図用の紐がついていたことすらも忘れていた。

 謝ると、ノエルはぷぷっと吹き出し、微笑む。


「きっと、ユーマがピンチなんだって思った。何か、武器を捨てなきゃいけない理由があったんだって。だからその対ブラッド用の槍を使って、レノさんにあのブラッドの頭の上の石を砕いてもらうようにお願いしたの。タイミングよく、あのブラッドが水面に上がってきていたし」

「そういうことだったのか……」


 ノエルの機転に、ただただ感謝だ。


「『そういうことだったのか』って、あれ、わざとじゃなかったの?」


 ノエルがきょとんとした顔をするので、そっと目をそらす。


「わざと、っていうことにしておいて……」


 ノエルは「なんだぁ」とくすくす笑い始める。

 追い打ちをかけるように、彼女は言った。


「ところで、泳げた?」

「……」


 ひょっとして、全部見抜かれてるのか?


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