ダイブ
僕たちの船の上には、今朝家に残してきたはずのミチの姿があった。
「ミチ! どうしてここに!? まさか勝手に乗ってきたのか!?」
「ごめ……な……さ……」
ミチは謝ろうとしているのか、必死で口を動かしているが、恐怖に震えて歯の根が合わず、うまく言葉になっていない。
「それより早く! こっちに来い!」
祈るように叫んだレノの言葉もむなしく、ブラッドが体を大きく波打たせると、船が大きく揺れた。ミチがバランスを崩す。
「ミチーーーーっっ!!」
時が止まったみたいだった。ミチの恐怖に歪んだ表情が、暗い海に落ちていく。
「ここは私が!!」
さっと前に躍り出たのはノエルだった。
「この前と違って、今回は私の時の旅人の力が使える! この魚のブラッド一体だけなら、何とか動きを止められるかも!!」
そう言って両手をさっと前に突き出し、目をきゅっと瞑って念じる。
しかし、ノエルはやがて目を開け、すがるように僕を見つめてゆるゆると首を振った。
「……だめみたい! 効かない!」
「そんな……どうして!」
「力はちゃんと使えるはずなのに……」
「まさか、ブラッドには時の旅人の力が効かない……とか?」
「そんなこと……」
ありえない、とは言い切れない。ブラッドは未知の生物なのだ。食物連鎖のてっぺんにいたはずの人類を、いとも簡単に滅ぼしてしまった。人間が持つどんな力にも何らかの耐性を備えている可能性は十分にある。
ノエルは悔しそうに唇をかんだ。
「俺が行かなきゃ……」
レノが虚ろな目をして、船の縁から身を乗り出す。それを、先代と金髪の男が引き留める。
「待て! こんなに荒れた海に丸腰で飛び込む奴があるかよ!」
「そうですよ! 今このまま飛び込んだら海の藻屑ですよ! それに海の中はきっと、あの魚の土俵だ……!」
「じゃあミチはどうなんだよ! あいつはあんなに小さな体で、この海に……!」
レノは両手で顔を覆う。
「俺は行くぞ。今行かなきゃ後悔する」
「僕が行きます」
レノたちは驚いたように一斉に僕を見た。かまわず僕は続ける。
「ミチは必ず連れ戻して見せます」
「待て、それなら俺も」
「レノさんはここに残ってください」
「どうして!」
「ここは紅石の力がある僕が行くべきです。普通の人が立ち向かってどうにかなる相手じゃない」
言い切るとレノは押し黙った。
「あいつのことは僕に任せてください。レノさんは船の上のみんなのことをお願いします」
「だけど……」
何か言いかけて、しばらく考え込んだレノは、やがて、
「わかった。頼んだぞ」
苦しげな表情で、頷いた。
「一人で本当に大丈夫なのか……?」
なお僕のことを心配そうに見つめてくれる先代と金髪の男を、ノエルが説得する。
「大丈夫。私がユーマを助けるから」
「どうやって?」
「時の旅人の力をユーマに使う。ユーマが水の中でも息ができるように、ユーマの呼吸をつかさどる臓器に流れている時間だけを巻き戻す。これを定期的に繰り返せば、水の中でも息が続くはず」
具体的に想像すると、体の奥底がもぞもぞするので、深く考えるのはやめる。
「そんなこと……できるのか?」
「うまくできるかわからないけど、こうするしかないよ」
若干顔を引きつらせる金髪の男に、ノエルは頼もしく微笑む。
僕を振り返ったノエルの髪が海風にふわりとなびく。
「私の力を、ユーマに貸すよ」
「ありがとう。君がいてよかった」
ノエルははにかんだ。
「これを持っていけ。これで水の中がよく見える」
レノが手渡してくれたのは、目の周りをすっぽりと覆うゴーグルだった。普段海に潜って漁をする時に使っているものらしい。
「それから、これもつけて行きな」
そう言って彼は、僕の槍に丈夫そうな漁業用の紐をくくりつけてくれる。
「ミチを見つけたら、この紐を引っ張ってくれ。そうしたら、俺たちが引き上げるから」
もどかしそうで、しかし、どこか覚悟を決めた様子のレノの目を真っ直ぐに見て、頷く。
「わかりました。いってきます」
僕は冷たい海に飛び込んだ。




