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船の上

 強烈な陽光と、嗅いだことのないにおいに、まぶたをこじ開けられる。


「おっ、目ぇ覚めたか」


 男の声が降ってくる。話し方から伝わるのは、どこか野生的で豪快な雰囲気だ。


「やれやれ。無事で何よりだよ」


 視界に飛び込んできた空は青く、太陽が照りつけているものの、吹く風は強くて冷たい。そして、さっきからずっと、めまいを起こしているみたいに視界が揺れて平衡感覚が保てないでいる。


「ユーマ!!」


 顔をほころばせたノエルが視界にぴょこっと現れる。なぜか濡れていくつもの束になった、ノエルの長い髪が、僕の鼻先にこぼれ落ちてくすぐったい。

 そっと体を起こす。


 ――広がっていたのは、見渡す限りの青。


「ここは……」


 目を見開く僕の顔を覗き込んで、男はガハハ、と声を上げて笑った。話し方から想像した通り、がっしりとした体形の大男だった。体中に立派な筋肉がついており、あぐらをかいていても体が大きいことがわかる。短く刈りこんだ赤髪の上に無造作にバンダナを巻いていて、むき出しの太い腕は真っ黒に日焼けしている。


「ここは船の上だよ」


 男は言った。


「ふねの、うえ……」


 船って、あの、「海」を渡るための乗り物だという「船」のこと? 僕は今、海の上にいるのか?

 改めてあたりを見回す。そこには本の中でしか見たことのなかった景色が広がっていた。

 真っ青に晴れ渡った空に浮かぶのは、もくもくと城のようにそびえる雲。空の青を映す海は、陽光にきらきらと輝いていて、想像していたよりもずっと果てしなく、そして、揺れる。海自体が生きているかのように、どこからか波が立って、僕たちが乗る船を大きく揺らす。

 船は頑丈そうな木でできていて、大きな白い帆がはためいている。船の縁には魚を捕るためだろうか、大きな網やロープが引っかかっている。

 開いた口が塞がらない僕を見て、男は怪訝そうに言う。


「どうしたんだよ、初めて海を見たみたいな顔して」

「――本当に、初めてで」


 ノエルがおかしそうにぷっと吹き出す。ノエルだって、あの山間の村育ちなのだから、海を見たことなんて無いのではないかと思うけれど。実際、ノエルもそわそわしたり、目を輝かせたりしているし。

 男は器用に片眉を上げた。


「海を見るのが初めてだって? じゃあ、どうしてこんなところで溺れてたんだよ」


 僕はそこでやっと、自分が全身ずぶ濡れであることに気づいた。風が吹くと濡れた体がひやりと冷たくなるのはそのせいだったのか。ノエルも同じように濡れていて、肩に男のものと思われるぶかぶかのコートが掛けられている。

 ノエルが僕の耳元でささやく。


「私たち、海で溺れていたみたい。過去に飛んだ先が、偶然海の上だったんだと思う。このおじさんが偶然私たちを見つけて、引き上げてくれたんだって」


 ノエルは僕より少し先に目覚めていたのだと言う。


「俺の名前はレノだ。お前らの名前は?」


 僕たちがおずおずと自分の名前を言うと、男――レノは微笑んだ。


「ユーマ、ノエル。いい名前だ。うちにも、お前たちと同じくらいの年のチビがいるんだよ。それで、守ってやらなきゃと思ったんだよな」

「そうだったんですね……ありがとうございます」

「死にかけてる奴がいたら助けるのは当たり前よ。……だけど、海を見たことがないってのはどういうことだ……? 俺はてっきり、お前らがどこかの町から船で来て、ここらで転覆しちまったんだと思ったんだが……」

「えっと……」


 隠さなければならない事情があるわけではないけれど、本当のことを言っても信じてもらえないかもしれない。スバルと出会ったときのことを思い出す。嘘をついていると思われて警戒されてしまったら困る。この広い海で今僕たちが頼れるのはこの男だけなのだ。見捨てられたら最悪の場合、海の底に沈む。

 口ごもる僕たちを前に、レノは「まあいいや」と、話し続ける。


「俺たちは船乗りだ。このあたりで魚や貝を採って、町に持ち帰り、みんなに食わせる。それが俺たちの使命だ。……ほら見えるか? 向こうの岸に見える町。あれが俺たちの町だ」


 レノの指の先では、麦粒ほどの大きさにしか見えないものの、確かに赤い屋根が密集しているのがわかる。


「俺たちがみんなの毎日の食卓を守っているんだ。大げさに言えばみんなの命を背負っている」


 船にはレノの他に数人の男性が同乗していた。みんな、屈強な体つきをしている。まとう雰囲気は寡黙そうだ。丸太のような太い腕で、黙々と海面から網を引き揚げている。男たちは僕たちとレノの話には口を挟まず、時折レノに何か小声で報告しては船の縁に戻って、またこちらに背を向けては網を引き始める。


「今日漁をしているのは俺たちだけだが、もっと大勢で来ることもあるし、船を何台も出すこともある。俺たちの町では船乗りの組合があるんだ」

「町のみんなで協力して漁をしているってこと?」


 ノエルの言葉にレノは「ああ」と頷いた。


「俺はその組合のボスをやってる。……それに、俺たちはただ漁をするだけじゃない。海の安全も守るんだ」

「海の、安全?」

「そうだ。このあたりの入り江にはいくつもの小さな港町が点在している。……ほら、向こうの対岸にも、あっちの対岸にも」


 再びレノの指さす先に目をやると、水平線の彼方、かすかに別の町が見えた。


「それぞれの港町は、まあいろんな事情から、すっごく仲が悪いんだ。町同士の戦争が起こらないように、海の上でバランスをとるのも俺たちの仕事。どっかの町の悪い奴らが俺たちの資源を略奪するのを防ぐのも、俺たちの仕事」

「なるほど……」

「それから、最近じゃ、『ブラッド』とかいうバケモンが出るって話だろ。そいつらに町が襲われないように、海側を守るのも、俺たちの仕事だ」


 遠くを見つめていたレノが、僕たちに向き直る。


「で、お前たちはどこからの侵入者だ?」


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