夢の中
「ユーマ」
刹那、あの涼やかな声が降ってきて、僕は思わず、
「夢……?」
呟いてしまう。
「夢じゃないよ。ここにいるよ」
ノエルは僕の手を取り、起こしてくれる。
「だけど夢だよ。ここはユーマの頭の中の世界。書のブラッドがユーマを知識の世界に引きずり込んだんだよ」
僕の、頭の、中。
つまりこの真っ白な空間は、僕が眠るときに見る夢の中のようなものだということなのか。
「じゃあどうして、ノエルがここにいるんだ」
「それは――、それだけ君が私に心を開いてくれているってことなんじゃない?」
ノエルははにかむ。
辺りのブラッドクローンはすべてぴたりと動きを止めていた。飛び上がったまま空中で静止しているものもある。
「これは、君の、時の旅人の力か……?」
ノエルはうなずいた。
「体がまだ治りきってないんじゃないのか!? こんなところでこんなに力を使って……」
「ユーマ……」
ノエルは僕の言葉を遮った。
「ばか!!!!!!」
まさか怒鳴られるとは思っていなかった僕は、しばらく固まってしまう。
「しっかりしろ! 私のこと、守ってくれるんでしょ! 助けてくれるんでしょ! 一緒に世界を救おうって、ユーマ言ったじゃん!!」
多分僕は、間抜けな顔をしていた。
「置いてかないって、言ってくれたじゃん!!」
潤んだ瞳と、真っ白な肌を赤く染めて激高しているノエルを、まじまじと見つめる。
「こんなところで、迷わないでよ……!」
ノエルも、こんな顔するんだ。
気づいた時には、ぷっと吹き出していた。
「なに笑ってるの!!」
「いや、怒ってる、と思って」
「怒ってるよ!!」
「うん、……ごめんね」
知らなかったノエルを見られたから、笑った。そう言ったらノエルはもっと怒るだろうか。
どうして。
どうして君は、こんなにも簡単に、僕の心の中に入り込んでしまうのかな。
*
「ノエル。書のブラッドは形を持たない。形を持たないものを倒す方法なんて、あるのかな。そんなものに、勝てるのかな」
「大事なのは、勝つことじゃない、負けないこと」
ノエルはすかさず言った。
「書のブラッドを倒せなくても、この街を救うことはできるかもしれないでしょ。だからこそ、今ここでユーマが負けちゃダメなんだよ」
「……そっか」
僕に襲い掛かる予定のブラッドクローンが静止する真っ白な空間で、僕らは膝を抱えて並んでいる。
「でも、わからなくなっちゃったんだ。何を、誰を助けたらいいんだろう、って」
「わかんなくないよ。ユーマが幸せになるために、ユーマがしたいことをすればいいんだよ」
ノエルの言葉を反芻する。
僕が、したいこと。
やっぱり、真っ先に思い出すのは目の前でブラッドに食べられていったエリル。母さんの亡骸。
僕の幸せを奪ったブラッドに復讐したい。幸せな暮らしを取り戻したい。
そうだ。あの日、僕をブラッドから守ってくれた「英雄」みたいに、強くなりたくて、僕はブラッドバスターを志したんだ。
だから僕は、強くありたい。
せめてそばにいる大事な人を守れるくらい。もう二度と、何も失わなくていいくらいには、強く。
「それにさ、ブラッドを操ってる存在が本当にいるのなら、それを倒せばいい話でしょ。それを倒せば、みんな幸せになれるんだよ」
だから、負けちゃだめなんだよ。と、ノエルが微笑む。
「一緒に行こう。私はユーマに守ってもらってばかりだけど、君がピンチの時には、こうやって、時間を止めて、何度だって君と話せる。どんな時でも、私は君をこうやって助けてあげられるの」
ノエルがそっと僕を抱きしめてくれる。氷細工のように簡単に壊れてしまいそうな細い体が、膝をついた僕を支えている。
変えようよ、一緒に。
そう言って、ノエルが拾い上げてくれた槍を握る。
不思議な感覚だった。たまに見る、「これが夢だとわかっている夢」の中にいる感覚。
ノエルの力の効力が薄れたのか、クローンたちが動き出す。
だけど僕はもう迷わなかった。
なにもない、虚空に、槍を突き立てる。夢が覚めろ、と念じる。
真っ白な世界にひびが入る。
『あるジさマぁぁァぁ!!!!!!!!!』
断末魔が響く。
一面の白が晴れて、図書館の中の暗闇と、インクと紙のにおいが戻ってくる。
夢から覚める瞬間、現実との狭間で、僕の槍が、真っ赤な目玉のついた書物を貫くのが、確かに見えた。パキ、と音を立て、目玉のように見えたそれが砕ける。
冷たい絨毯の上で体を起こす。
「つっ……」
腹部が軋むように痛い。夢の中で刺された部分から血が出ていた。
顔をしかめる僕の隣で飛び起きたノエルが、僕の顔を見るや否や、抱きついてくる。
「ちょっと……!?」
「よかった……ユーマ……」
ノエルの声は消え入りそうに小さい。
行き場のない僕の両手は虚空をさまよう。
「ユーマ、急に気を失って、自分で自分のこと、刺しちゃったんだよ……」
「え……」
思わずノエルの顔を覗き込む。
まさか。僕が、自分で?
書のブラッドに見せられた夢のせいだろうか。書のブラッドは、工場の研究員にも同じように夢を見せて、意思にそぐわない行動をさせていたのかもしれない。
いや……。
書のブラッドの言葉がよみがえる。
――火種は、彼らの中にあった。
*
ノエルに傷を治してもらい、床に落ちていた槍を手探りで拾い上げる。
あれ、と思う。何かが串刺しになっている。
常夜灯の小さな明かりの下で見ると、それは、一冊の本だった。書名は、
『怪物と紅』




