迷い
気づいた時には、太ももに「何か」が絡みついていた。
一瞬、黒く細長いチューブのような何かかと思った。しかし、うろこがてらてらと光っているのに気づく。見覚えのある番号が小さく刻まれている。僕が目を見開くのと、その蛇のような体のあちこちから、大きな目玉がいくつもボコボコッと現れ、ぎょろりと一斉にこちらを見上げるのは同時だった。
「ブラッド、クローン……!」
蛇の先端がぱかっと二股に分かれる。その間から出た真っ赤な舌が、ちろちろ揺れる。
「くっ……!」
すぐさま槍の柄で蛇を引きはがす。蛇は、幸い簡単にはがれ落ちる。紅石を探して壊す余裕もなく、僕は飛びのいて距離をとることしかできない。
思わず舌打ちが出る。
「なんで……」
まったく気づかなかった。
顔を上げれば、今度は巨大な蜘蛛の姿のブラッドクローンが三匹。
ぶら下がっているそいつらをかろうじて槍で薙いで、振り返ると今度は五匹。
すべて倒すと、今度は十匹。
今度は……。
いよいよ数えられなくなってくる。
ブラッドクローンは、通常のブラッドと比べるとどれも小型でそれほど強くない。僕の紅石の力もほとんど戻った。
そうは言うものの、視界を埋め尽くすほどの数を前にするのは、正直きつい。
「いっ……!」
肩に鋭い痛みが走る。
間合いの内側に入れてしまった犬型のクローン一匹が、右肩に噛みついていた。
槍が手から離れ、地に落ちる。
「しまった……!」
僕に叩き落とされた犬型はそのまま槍を器用にくわえ、僕から遠ざかっていく。かなり知性が発達しているらしい。
「こんなところで、負けられないんだよ……!!」
バッグから新たな武器を取り出す。スバルがくれた、対ブラッド用のナイフだ。
いつも使っている槍ほどではないが、ナイフならブラッドバスターの訓練の際にも使っていたのでまだ扱いやすい。
ナイフは槍より間合いが狭く、近接戦を強いられる。しかしそのぶん、武器に自分の力が素早く伝わる。まるで自分の体の一部みたいに、殴るのと同じ感覚で操る。
ナイフをもう一本取り出し、両手に握る。
一方の手でとびかかってくるクローンを切り裂いて防ぎ、もう片方の手で石を割ってとどめを刺す。
現れるクローンの、数だけでなく大きさも、心なしかだんだん大きくなっている気がする。
僕の身長ほどもあるものまで現れ始めた。
「くっ……!」
巨大なネズミのようなクローンの鼻先に刺したナイフが抜けなくなる。
代わりにまた新しいナイフを取り出す。
取り出したナイフを投げる。
ふらふらと歩いてきた二足歩行のクローン。
投げたナイフはその眉間に刺さった。
大人の女の人ほどもの大きさのクローンだ。
これまでに見たブラッドクローンとは異なり、特定の生き物の形をとっているわけではない。
二本ずつの手足と、顔らしきシルエットがあるために、かろうじて人型のクローンなのかと思わせるが、のっぺりとした灰色一色で、まるで特徴がない。
よく見ると目と口の部分だけがぽっかりと空洞になっていて、不気味だ。
左胸に、核である紅い石が埋まっている。
灰色のクローンは刺さったナイフにたじろぐそぶりを見せた。患部の位置を確認するかのように、両腕を眉間に持っていく。
今だ。
僕はすかさず、その懐めがけて飛び込む。
人間でいえば、ちょうど心臓の位置。
めがけて、ナイフを振りかざす。
「……!?」
パチッとスイッチが切り変わったみたいに、視界が塗り替えられた。
瞬きの間に、見えているものが変わった。
振りかざしたナイフの先にいるのは、まぎれもなく、人間だった。
この距離では息遣いまで感じられる。
母さんくらいの年齢の、女の人だ。
抱きしめられたら温かそうな。
夕飯のにおいをまとっていそうな。
陽だまりに干した洗濯物のにおいを運んでくるような。
睫毛がぱたりと動くのも、唇の薄桃色も、涙の膜が張った目も、ほの温かい体温を放つのも。
全部人間のものだ。
僕と同じ、人間のものだ。
振りかざした手が止まる。
まずい、と思うけれど、体は勝手に硬直してしまって言うことを聞かない。
脇腹に何かが破裂するみたいな衝撃を感じる。すぐに焼けつくような痛みが追いかけてくる。
刺されていた。
女の人の左腕が引き抜かれると、赤黒い血液が噴き出した。女の人の腕そのものが太い錐のような刃物に変形していて、やっと、ああこれはやっぱりブラッドなんだ、僕は幻影を見せられているんだとわかる。
どくどく、と脈拍に合わせて血が流れ出ていく感覚に、意識が遠のく。
倒れた僕にブラッドクローンが群がってくるのがわかる。
降り注ぐ、喉を鳴らす音、舌なめずりをする音。
痛い、怖い、苦しい。それでも、動けない。
また、僕は負けるのか。
結末を変えるために、ノエルに過去まで連れてきてもらったけど、過去でも僕は勝てないのか。
僕の中の「強さ」が、「立てない僕」を叱る。
だけど、わからなくなったんだ。
思えば僕はおばあさんをとり囲んでいた街の人たちにも手を出せなかった。
相手はブラッドではなく人間だった。
誰かを救うために、誰かをこの手で傷つけなければならないことがある。僕は正しい選択ができるのだろうか。その選択は、僕がしていいものなのか。
僕は何を救いたいのだろうか。世界を救うなんて、僕にできるのだろうか。
そもそも僕は世界を救いたいのだろうか。
ひとりぼっちじゃ、進むべき方向なんて簡単に見失ってしまう。
この真っ白な世界に、せめて君がいたら。なんて。
「ユーマ」
願った刹那、あの涼やかな声が降ってくる。




