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見えないもの

***


 図書館の中を塗りこめていた真っ黒な闇が反転し、突如目の前が真っ白になった。


 光を感じるわけではない。一面白の絵の具で塗りこめられてしまったかのような、ただの白が視界いっぱいに広がっている。

 ノエルと繋いでいたはずの左手は空っぽだった。


「ノエル……!?どこ……!?」


 ノエルの姿はどこにも見当たらない。なにもない空間に、僕はひとり、立ち尽くしている。


『やあ』


 あの不気味な声が響いた。

 書のブラッドだ。

 四方に意識を研ぎ澄ませる。幸い、槍もスバルにもらった武器も手元にある。


「ちょうどよかった。お前を探し出す手間が省けた」


 呟くと、書のブラッドは乾いた笑い声を漏らした。


『いきがるなよ、人間』

「姿を見せろ」


 書のブラッドは『威勢がいい』と再びせせら笑った。


『言っただろう。私は実体を持たない知識。君には私が見えない』


 今は工場の時みたいに本の形をとって姿を見せたりはしていない。

 実体を持たない知識が、どうやって僕に危害を加えようというのだろうか。


「何を企んでる」

『私たちは主様(あるじさま)のもと、人間を滅ぼすために生まれた。それだけだ』


 僕の意図とは少しずれた答えが返ってきた。たぶんはぐらかされている。

 だけど、確かにそっちも気にはなる。


「……そのあるじさまっていうのはいったい何者なんだ。そいつがブラッドたちを操っているのか。そいつがこの世界にブラッドを創ったのか。そいつは誰なんだ。どこにいるんだ」


 矢継ぎ早に質問を浴びせる。

 書のブラッドはたっぷりと間をとってから、


『さあな』


 たった一言で済ませた。


「……」

 いや、正直に答えると思っていたわけでは全くないけれど。


『今、いらついただろう?人間』

「いらついてない」


 書のブラッドが嗤う。

 何がしたいんだ。僕をからかって遊ぶことが目的ではないだろうに。


「どうして姿を見せないんだ」

『必要がないからな』

「僕に何をするつもりだ」

『さあね、なにも』

「ノエルはどこだ!」

『お前が勝手に置いてきたんだろう。知らんよ』


 らちが明かない。

 攻撃されず、こちらから攻撃することもできない、もどかしい時間が続く。


「じゃあ、街の人たちにおばあさんを襲わせて何がしたいんだ」

『ああ……あの人間たちか……』


 少しの沈黙が流れた。

 これまでとは明らかに違う反応。僕はそっと唇をなめる。


『いいことを教えてやろう、少年』


 声は、これまでよりひときわ大きく、そして耳障りに響いた。


『あの人間たちは、自分の意思で、行動しているだけだよ』


 言葉を噛み砕くのに時間がかかった。


「……え?」


 自分の、意思……?

 お前が、工場の作業員のときみたいに、人々を操っているんじゃないのか。


『操っている、というのは、言葉の綾かな。……いいかい、人間』


 書のブラッドはいきなり、子供にものを教える口調になる。


『私とて全能ではない。だから人間を思い通り、好き勝手に操り人形にできるわけではないんだ』


 僕は固唾を飲んで、それを聞くことしかできない。


『私は、「知識」そのものだろう?だから、「書」を通して「知識」を得た人間の脳内に入り込んで脳の機能を制御する、なんて、容易いことなのさ。感情の波をより大きくすることも、普段は脳によってかけられている安全装置を外して、限界に限りなく近い力を発揮させることも、な』


 聞いたことがある。必要以上の力を発揮しないよう、人間の力は、普段は脳の安全装置によって抑制されている、と。

 工場で会った作業員の並外れたナイフの速度。関節がおかしな方向に折れ曲がった姿。広場でスバルを投げ飛ばした、細身の女性のパワー……。

 書のブラッドの言うことを信じるならば、彼らはブラッドに操られていたわけではなく、ブラッドによってリミッターを外され、潜在する力を無理やり引き出されていただけということになる。


 それが、「書のブラッドに操られている人間」の仕掛けだったというわけだ。


『彼らの行動のきっかけとなるものは、すべて、もとから彼らの内側にあったものなんだよ。例えば、この街の人間たち。平穏な日常に突如未知の生物が侵入してきたことに対する、恐怖、不安、怒り、悲しみ、憎しみ。いや、それ以前からも、自分たちの生命がいつ危険にさらされるかわからない不安定な状況に、募るものがあったのだろう』


 ぐわんぐわん、と声が響く。


『私は、私を読んだ彼らの脳に侵入し、彼らの抱える火種に、火をつけてやっただけなのだ。火種は、私が植え付けたのではない。彼らの中に最初からあったのだ』


 街の人々は、我を忘れて一心不乱に、おばあさんを痛めつけていたように見えた。その目には理性の色は見えなかった。人間じゃない、獣みたいだった。


『あれが人間の本性だよ、少年』

「嘘だ」

『嘘ではないさ。知識(わたし)は嘘をつけない。彼らは勝手気ままに、憎しみと恐怖の捌け口を求め、ただ感情的に行動しているだけだよ』

「工場の人たちは……?」

『私たちの写しを作っていた施設の職員か。彼らとて同じさ』

「同じって……工場の人たちがクローンを街に放ちたいと思っていたって言うのか!?」

『そうかもしれないな』


 だって、工場の人たちにはブラッドのクローンを街に放つ理由なんてないはずじゃ……!?


『少年、人間は少年が思うほど単純な生き物ではないんだよ』


 僕の心の中を見透かしたように、書のブラッドは言う。


『あり得る理由なんていくらでも思いつく。写しを檻から出して私たちへの対抗兵器にしようとしたのかもしれないし、写しに対する民衆の恐怖心を利用して独裁政治を行おうとしていたのかもしれない。はたまた檻に閉じ込められた私たちの写しがかわいそうになったのかもしれないし、私たちに加担して人間を滅ぼそうと思ってくれたのかもしれない。実際のところは、どれが正解なのかはわからないし、全部が正解かもしれない。……ただ、火種は彼らの中にあった。これだけは事実だ』


 ケタケタと耳障りな笑い声。


『人間……特にこの街の人間たちは、知ろうとしすぎる。そして知りすぎる。その結果嘘も真実も一様に取り込む。すると、どうなるかわかるか?』


 ニタア、と、書のブラッドが口を三日月型に広げるのが、姿が見えなくてもわかった。


『頭の中に混沌を生んでしまうんだ。混沌は深淵だ。いかなる負の感情も、その深淵から湧き出る。私はその負の感情を発散する手助けをしているだけなんだよ。』


 そうやって私が彼らの手助けをしているという意味では、私が彼らを操っていると言っても間違いではないのかもしれないがな。


 ケタケタ。ケタケタ。


 うるさい。笑い声に、体の力も集中力も、持っていかれそうになる。

 ブラッドクローンを街にはなった人たちも。おばあさんを襲っていた人たちも、書のブラッドに操られていたわけではない。

 自分の意思だった。


『どうだ?これが真実なんだよ。少年。どう思った?呆れたか?失望したか?』


 嬉しそうな書のブラッドの声。

 僕はなぜか、ノスタルジアの真実を知った時のことを思い出した。「ブラッドバスター」に仕立て上げた僕らを、負け試合に送り出して、街の人口を減らそうとしていた。あれを知った時と同じ気持ちになる。


『これが、お前の救おうとしている世界だ』


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