誤解
気がつくと、硬いベッドに寝かされていた。
部屋は洞窟のように暗く、ランタンの灯りがひとつ、ほのかにともっているだけだった。外は夜なのだろうか、窓から差し込む明かりはない。
「よう」
体を起こすと、スバル名乗るあの青年と目が合った。先ほどとは違い眼鏡をかけている彼は、膝の上に分厚い本を載せ、右手にペンを持って僕の枕元の椅子に足を組んで座っている。
「ここは…」
辺りを見回す。そばにあるデスクの上には何冊もの本が開いて置かれており、その本の隙間を埋めるように、植物や錠剤の入った小瓶などが転がっている。なんとなく、胸騒ぎがした。
「どうしてこんなことをするんですか」
「さあね」
スバルはつまらなさそうにクルクルとペンを回している。鼓動が速くなる。焦るな。落ち着け。自分に言い聞かせる。
「ノエルはどこですか」
「あの女? さあね」
「答えろ!」
詰め寄ると、スバルはチッと舌打ちをして、それから嘲るような笑みを浮かべた。
「ざまぁ、解体して食っちまったぜ」
「……ッッ!」
僕は彼の胸ぐらを掴んだ。この人は敵だ。投げとばそうと力を込める。さっき警官を倒したみたいに。
しかし、彼はそれを片手で軽くはねのけた。僕はベッドに倒れこむ。
「なっ…」
まるで、ただの十二歳のちょっかいを受け止めるみたいな、軽い動作だった。
強い。
唇を噛む。紅石の力があるはずの僕より強いなんて彼は何者なんだろうか。
もう一度、今度は殴りかかってみる。拳は彼の右腕にしっかりと受け止められた。まるで手応えがない。彼の手の中のペンすら、落とせなかった。
「なんで…」
怯んだ隙に、素早く左手を掴まれる。
「いっ……!」
紅石のある方の手だ。そのまま腕をねじりあげられ、気づいた時には僕は床に転がっていた。
「ちゃんと効いてるか?」
腕を掴んだまま、彼は僕に馬乗りになる。見ると、シャツの袖が破れ、紅石があらわになってしまっている。
痛みに耐えながら、僕はあることを思い出す。確か、ベッドのそばのサイドテーブルには、注射器と、透明な液で満たされた小瓶が置いてあった。
「僕に何かしたんですか」
睨み上げると、スバルはくい、と眉をあげた。
「やっと気づいたか。お前の力はこの薬で抑制させてもらったぞ」
抑制? なんだよそれ。
「僕に紅石の力があるって知ってたんですか?」
「コウセキ……この石のことか。それなら、誰だって見ればわかるだろ。さっきのお前の動きを見て確信した」
さっき、というのは多分警官を倒した時だ。ちょっと派手にやりすぎたか、と今更ながらに後悔する。あの時は彼が紅石の力を持つ人間の存在を知っているとは思わなかったし、なによりこの人は僕たちの味方だと思っていた。
「じゃあ、僕の紅石の力は…?」
「五日は戻らないだろうな」
「五日……」
完全になくなってしまったわけではないとわかり、少し安心する。でも、5日は大きい。この5日の間にブラッドが来た場合、僕は何もできないということだ。
「どうして、こんなことするんですか」
怒りを込めて訊くと、スバルは僕の紅石をコツン、と指で弾いて、低い声で言った。
「『どうして』? とぼけるんじゃねえぞ。今、俺はお前をいつでも殺せる。死にたくなかったら質問に答えろ。……お前の本当の姿はなんだ」
質問の意味がわからない。
「本当の姿も何も、僕は変装なんてしていません」
正直に言っただけなのに、腕をさらにきつくねじられる。この人、本気で折る気だ。痛みで涙がにじみそうになる。
「お前が何者なのかはとっくにわかってるんだよ!こんな街に入ってきて研究所で何をするつもりだったか知らないが、警備員にのこのこ捕まってるんじゃ、三流のザコもいいところなんだろうな。それか、ブラッドっていうのはみんなそんなに大したことないモンなのか?」
僕は耳を疑った。
「待ってください、いま、ブラッドって言いましたか?」
「んだよ。それがお前らの正式名称らしいぜ。誰がつけたか知らんけどな。この街ではもっぱら、『化け物』って呼ばれてる」
そうか。やっと繋がった。
「ひょっとして、僕をブラッドだと思ってるんですか?」
腕をねじる力が少し緩まった。
「違うのかよ」
「違う。僕はブラッドじゃない」
「じゃあコレはなんだよ!」
スバルは紅石を叩いた。
やっぱりだ。
あの時、サヤトで倒したブラッド、そして、壁画に描かれていたブラッド。ブラッドは、僕たちのものと似た紅石を持つとノエルは言っていた。この人は、いや、最初に僕を襲った警官———スバルは警備員と呼んだ――たちも、そのことを知っていて、だから紅石を持つ僕のことをブラッドだと勘違いしたのだ。
「じゃあ、僕に打った薬って、まさか……」
「ブラッドの力を抑制する薬だよ。効果を確かめたいと思ってたところにちょうどお前がいたから、使ってみた」
全身が粟立つのがわかった。
「それが、僕に効いたんですよね……」
「そうみたいだな」
サヤトの神殿で壁画を見た時に感じた嫌な予感が黒い霧のように広がり、胸が苦しくなる。
――僕の紅石の力と、ブラッドの力は、同じもの?
「おいどうした、顔色悪いぞ」
さすがのスバルも、何かおかしいと思ったのか、心配するそぶりを見せる。
「全部話します。だから離してください」
「そんな手に引っかかると思うか?」
「僕たちは未来から来ました」
「馬鹿にしてんのか!」
「してません!僕たちは奴らに滅ぼされてしまった未来の世界から、ブラッドを倒しにきたんだ」
スバルは片眉をあげた。
「そんな話、信じると思うか?」
「思わない!けど、本当のことなんだから話すしかないじゃないか!」
「じゃあその石はなんだ」
「これは、ブラッドに付けられた傷なんだ。ブラッドに攻撃された時の傷が、これになった」
「待て、お前、ブラッドに襲われたことがあるのか…?」
僕は何も言わないでいると、スバルはやがて僕の腕から手を離した。近くにあった紙切れに何やら走り書きでメモをして、そのまま立ち上がる。床に転がったままの僕が取り残された。
「あの…」
「話、聞こうじゃねえか」
「えっ?」
仰向けのままで、スバルの顔をまじまじと見上げる。僕を見下ろす彼の表情は相変わらず不機嫌そうだったが、さきほどまでの僕への怒りは、いくぶんか、僕への好奇心へと変わっているようだった。