プロローグ
白と空色のグラデーションが山の向こうまで続いている。やわらかな朝日が、そこにかすかな紫色と、オレンジ色を落としている。雲なんてひとつもない空は、飲み干してしまえそうなくらい澄みきっていて、まるで、世界の終わりを祝福しているかのようだ。
じわり、と背中に伝わる地面の冷たさを感じながら、僕は、そんな空とにらみあっている。
ふざけるなよ。
そう言って空を殴りつけるみたいに、拳を突き出した。到底届かない僕の手のひらをあざ笑うように、白い半分の月が、無愛想に見下ろしている。
丸めた指をゆっくりとほどいて開き、また握り込む。そして開く。こうやって自分の存在を確かめていないと消えてしまいそうだった。広すぎる世界に潰されてしまいそうだった。
「ひとりじゃない……か」
なんだか、励まされているみたいじゃないか。
ひとりでも生きようって、強くなろうって、あれだけ決めていたはずなのに、これだ。
「情けないなあ…」
つぶやくと、ほんの少し、体が軽くなったような気がした。そうだ。「死人みたいな目してても何も始まらない」んだから。
勢いをつけて立ち上がり、がれきの山の上からぐるりとノスタルジアを見回す。
もしも、ブラッドが来なかったら。今頃ここで子供達が駆け回ってはしゃいでいたのだろうか。誰かが恋に落ちたりしていたのだろうか。誰かが転んで、それに手を差し伸べる誰かがいて、転んだ誰かが幸せになって、新しい出会いが生まれて。そんな可能性のすべてを、この街の明日を奪ったのは紛れもなく、
「ブラッド……か」
ゆっくりと歩きながら思う。
なんで僕はこんなにもちっぽけな存在なんだろう。僕にもっと力があれば、こんな結末は変えられたかもしれない。それこそ、あの日僕を救った「英雄」みたいな力があれば。
ふとよみがえってきたのは、神殿の地下の闇の中で聞いた、あの言葉……。
――傷負いし者は、選ばれし者。
――あなたがこの世界を救うの。ブラッドを倒して、みんなを守る。きっと君にはそれができる。
「できなかったじゃないか……」
顔を上げると、そこには「白」がたたずんでいる。
僕はギルドのそばの空き地にたどり着いていた。そこには街を一望できる東屋がある。ノエルは東屋に腰掛け、風に髪をなびかせていた。
「もう、いいの…?」
ノエルは僕を気遣うようにやわらかく微笑む。ノエルだって、辛くないはずはないのに。
「うん、待たせてごめん」
ノエルは首を二回、横に振る。
「ユーマ、だいじょうぶ?」
僕の顔をのぞき込むノエルのしぐさが少し子供っぽくて、ちょっと安心する。
「うん、大丈夫」
ノエルと一緒にいると、こんな状況でもなんとかなるような気がしてしまうから不思議だ。エミリーの得意顔が浮かぶ。
小さく息を吸って、もう一度、「大丈夫」とつぶやく。
東屋に入り、ノエルの正面に腰掛ける。
「ねえ、ノエル」
「なに…?」
「ごめんね。僕は、世界を守れなかった」
「ユーマ…」
向かい合って座って、僕たちは二人、風に吹かれる。
「君は僕を、選ばれし者だって言ってくれたよね。世界を救うって。だけど、僕にはそんな力はなかったんだよ」
高台から見下ろした街はもはや街ではない。赤黒く染まったがれきの山だ。
「強くなりたいって誓ったのに、いつだって弱いままで、自分の家族も、街も、なにひとつ守れなかった。ちっぽけな子供のままなんだ。こんな世界じゃ結局、君を幸せにしてあげることすら、できないし」
ノエルはおもむろに手を差し出す。その両手で僕の左手を包み込む。ノエルの手は冷たかった。
僕は言った。
「だから、僕にやり直させてほしい」
「え……?」
ノエルは目を丸くしている。
そのきょとんとした顔がおかしくて、僕の頬は緩んだ。
「僕、思うんだよ。やっぱり、あの女神様の予言通り、運命は決まってたのかな。こんな結末になることも、僕たちが2人だけ生き残ることも、決まってたのかな。って」
「うん……」
「じゃあ、そんな運命、変えてやる」
ノエルは一瞬、遠くを見つめるような表情になった。大きな目に、じわりと涙をためている。
「全部決まってたなんて思いたくない。全部全部、やり直したい。決まってたなんて言わせない。世界を救う、なんて、大層なこと、僕にはできないかもしれないけど、それでも僕は戦いたい」
無意識のうちに、僕もノエルの両手を包み込んでいたことに気づく。慌ててその手を解こうとするけれど、ノエルがその手を離してくれなかった。
「ありがとう」
ノエルは言った。
「ユーマは、強いよ。ユーマは選ばれしものだよ」
ぽろぽろと泣きながら、ノエルは何度もそう言ってくれる。その涙を拭ってあげたいけれど、手がふさがっている。
僕は深呼吸をして言った。
「ノエル、時間を巻き戻してくれよ」
ノエルは静かに僕を見つめる。
「あの時僕の怪我を治してくれたみたいに、世界を巻き戻して、なおしてくれよ。時の旅人は、過去にタイムスリップできるんだろ」
*
東屋のそばで二輪の青い花が寄り添うようにして咲いているのを見つけた。ぷつん、と僕はそれを一輪摘んで、すっかり冷たくなってしまったエミリーの胸に乗せる。祈りを捧げるために目を閉じると、守れなかったものが次々と浮かんでくる。
まだ、終わってなんかいない。いや、終わらせない。だってまだ、僕たちが生きている。
隣で目を開けたノエルが、手を差し伸べる。
「一緒に、戻ろう」
「ああ。絶対に――」
その手を取って、僕は。
「救ってみせる」




