エピローグ
初めは小さな点だったトンネルの向こうの光が、どんどん大きくなって、迫ってくる。
体中を、緊張とかすかな期待が入り混じった感覚が突き抜ける。
そして暗闇は終わった。
白い朝日が僕を迎える。眩しさに思わず目をつぶる。
そっと目を開ける。朝の光の中佇むのは、れんが造りの家や店、賑わう屋台街。高台にはギルドがあって、そして、人々が街を行き交っている………
「えっ……?」
僕は立ち尽くした。まるで、突然体を石にされたみたいだった。手から力が抜けて、繋いでいたノエルの手がするりとほどける。足は地面に据え付けられたみたいに動かなくなって、視線をめぐらすことも、声を出すこともできない。ただ、腹の底から湧き上がってくる冷たさを感じるとることしかできなかった。
隣では、同じようにノエルが立ち尽くしていた。
「あぁ……」
ため息のような声とともに、ノエルはうつむいた。目の前の光景を見るのがつらくなったのだろうか。
僕も、目を背けてしまいたかった。いっそ、今日までのすべてが長い長い夢だったなら、どんなによかっただろう。
今すぐに飛び起きたら、母さんが朝食を作っていて、エリルがあきれながら寝坊した僕を起こしに来ている、そんな日々に戻っていたら。「今日の夢、どんなだったっけ」そう言って全部忘れてしまえたら。
ここには街があるはずだった。ノスタルジアという、大きな街が。
しかし、今ここにあるのはただのレンガや木屑などのがれきだった。
あの、悲しみに満ちた賑やかな街は、もう、どこにもなかった。
「うぁぁ……」
声がうまく出てこない。よろめくように前に出した足は、震えて止まらない。
右足が何かを踏みつけた。足を戻すと、それは折れて倒れた看板だった。
『ノスタルジア』
うっすらと読める文字は、「もしかしたらここはノスタルジアではない、どこか別の街の廃墟で、僕が道を間違えただけなのかもしれない」という僕のわずかな期待をあっさりと消し去った。
「ブラッド……」
そうだ。いつか終わるかもしれなかった、いつ終わってもおかしくなかったこの世界は今、終わったのだ。
僕がいない間に。
「どうして……」
ボロボロのレンガや粉々に砕けたドアの欠片、ひっくりかえった椅子、赤く染まった、誰かの衣服。
何かを探し求めるように、僕はまた、足を踏み出している。
片方だけの靴。血だまりのできた地面。どんな顔をしていたのかわからないような死体が、いくつも、いくつも。
がれきの上の小さな片腕を目にした時、急に体を内側からかきむしられている気がして、息が苦しくなった。顔も名前も知らない、幼いその腕の主が、「助けて…助けて…」と叫んでいる光景がぱっと脳裏をよぎって、僕はきつく目を閉じてしまう。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
拳を握りしめて、かぼそい声で謝ることしかできない。
小川の水は血に染まり、途切れた橋には赤い模様。死の色に染まってしまったこの街で、僕はいつしか「生」を探していた。
……誰か。誰かいないのか?
お願いだから、誰でもいいから。僕は願った。歓迎なんてされなくたっていいから、責められたって構わないから、せめて、誰かの声が聞きたかった。
僕がここにいる証明が欲しかった。
ようやく僕の足が止まった場所は、小高い丘の上。街をぐるりと見渡せる場所。
ギルドだった。
いや、正確には、ギルド、「だった場所」。
ここにあるのもただのがれき。
それと、折れた剣、傷ついた盾、そして。
いくつもの、血を流した死体。
ここは、戦士たちの戦いの場所だった。
そして、同時に彼らの墓場でもあった。
「うぅっ……」
自分のものじゃないみたいなうめき声が漏れてくる。膝の力が抜けた。僕は崩れ落ちる。
なにもかもが遅すぎた。そのことを、まざまざと見せつけられるようで、目も耳も塞ぎたくなる。
「くそっっ!!」
浮かれていた自分に腹が立って、地面を殴った。血だまりが跳ねた。
どうせなら、僕もこの街でブラッドに立ち向かって行きたかった。最後の街を守りたかった。守れなかったとしても、戦って力尽きたかった。
僕はどこから間違えていたのだろう。討伐に行かなければ? もっと僕が強ければ? そもそも、ブラッドなんかが生まれなければ。
いつだってそうだ。エリルの時だって。僕は後悔してばかりだ。守りたいものを守れなくて、そのくせいつも、自分だけが救われて、ひとりで生き残って「しまって」。あの時、こんな思いは二度としないと決めたのに、また僕は繰り返す。
時間が戻ればいいのにと思った。もう一度、なにもかもをやり直したい。こんな結末を変えたい。それが叶わないならせめて、目も耳も塞いで、全部忘れて、暗闇の中で真っ白になって消えてしまいたい。
降り注ぐ朝陽をぼんやりと見つめながら、僕はつぶやいていた。
「僕はまた、ひとりぼっちだ……」
「ちがうよ……」
苦しそうな声だった。少女のような、少し高い、女の人の声……。
いつも聞いていた、あの声だ。
胸が高鳴って、僕は辺りを見回す。
「あ……」
血に濡れた、眩しい金髪。横たわっているのは……
「エミリー、さん」
「やっほー……」
そこにあの笑顔があった。
「生きてたんですか……!」
転がるように、エミリーのもとへと駆け寄る。討伐に行く前にギルドで話したことが、百年も千年も昔のことのように思えて、懐かしさと嬉しさがこみ上げる。
しかしその嬉しさは、潮が引いていくように消えていった。
「ちょっと、はさまれちゃって……うごけないんだよね……」
エミリーの体の半分は、山のように積もったがれきの中だった。
「だ、大丈夫ですか!?」
エミリーは掠れた声であははと笑う。
「そうみえる?」
「……っ! すぐどかします!」
エミリーは僕を目線で制した。
「いいの……たぶん、あとちょっと……だし。だって、みっかまえから……これ、だもんね」
「あとちょっとって……そんな……」
エミリーの顔は、骸骨みたいにやせこけてしまっていて、目にも光がない。
「なさけないかおしないでよ……」
エミリーは笑った。
「ユーマくん……あなたにきいてほしいことがあるんだ…」
「やめてくださいよ……そんな、」
「いいから、」
「もう喋らないでください! 死にますよ!」
「死人にいわれたくないなぁ……」
そんな軽口も、聞いているのが辛かった。
「わたしたちね、あなたをだましてた」
ハッとして、エミリーを見つめる。
エミリーは悲しそうに微笑んだ。
「そっか……しってたんだ……」
僕の目をのぞきこむようにして、エミリーは僕を見つめ返した。
「わたしたちは……あなたたちのまっすぐな思いを、利用してた。バカだよね……あなたたちみたいな、つよいひとを、つぎつぎ殺していって……。だから、こんな終わりを……本当に、ごめんなさい……」
もう否定できなくなってしまった現実と、ひどく現実味を帯びた「ごめんなさい」が、ひび割れた僕の心に虚しく響いた。
「あ、謝って、ゆるされることじゃないのは……わかってるよ……。あなたは、わたしを、うらんでいい……」
「恨むなんてそんな!!」
エミリーが大きく咳き込む。
「大丈夫ですか!!」
僕は瓦礫の外に出ていた彼女の手を強く握る。
エミリーはかすかに目を細める。
「ユーマくんは優しいね……。よかった…。あなたが、生きてて……」
「お願い、もう喋らないで!」
歯がガチガチと鳴る音が聞こえて、ああ僕は震えているんだなと頭のすみっこで思った。
「あなたは……生きて」
「むりですよ……」
「だいじょうぶ……。生きていたら、あんがい、きっとなにかは、かわるものだから……。」
僕を励ますように、エミリーは太陽のように笑った。
「あなたは、ひとりじゃない……」
僕の中で、何かが弾けた。
「死人みたいな顔してても、なにも、はじまらないわよ……」
そう言って、エミリーは目を閉じた。冗談みたいなその言葉が、最期の言葉だった。
世界が終わった瞬間だった。
喉の奥から、せき止めていたものが溢れ出す。
「うわぁあああああああああああああああ!」
堤防を破壊して押し寄せる津波のように、僕の中にさまざまな感情と、光景が、なだれ込んでくる。
蜘蛛の子を散らしたみたいに逃げまどう人々。
剣を構える傷だらけのブラッドバスター。
誰かががれきに埋もれている。
埋もれたその人の手を、泣きながら一生懸命引っぱっているのは、僕よりも小さい男の子だ。
その向こう側には、諦めきった表情をした、中年の男性。
その後ろには、鬼のような形相で狂ったように泣き叫ぶ女の人。
そして、人々を取り囲むようにように迫るのは、ブラッド。
「くそおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
僕は気づいた。これは、神殿で見た、女神の予言だ。世界を破壊するブラッドの姿が描かれた、あの壁画。あの絵のままのことが、本当に起こったのだ。
「全部!決まってたっていうのか!? 」
視界がぼやけて、熱いものがこぼれ落ちるのがわかった。気づけば僕は叫んでいた。
「アイツらが現れることも、村がなくなったことも、父さんや母さんが死んだことも、エリルが守ってくれたことも!この街がなくなることも、全部、……全部決まってたっていうのか?」
エミリーは何も答えない。別に、答えが欲しいわけじゃなかった。
僕はただ、問いただしてみたかっただけだったんだ。
もう終わってしまったこの世界を、大声で、問い詰めてみたかったんだ。
「なんで……なんで僕が生きてるんだよ……」
風が優しくそよぐ。まるで僕の頭をそっと撫でるみたいに。
ずっと探していたものに似たぬくもりに胸が苦しくなって、僕は崩れ落ちた。
そのときだった。あの、涼やかな声が聞こえてきたのは。
誰かがこんな世界で、歌を歌っているのだ。透き通る高音が、朝日を浴びて、真っ白な空に伸びていく。
優しく、まるで泣かないでとささやくように、世界の終わりでノエルは歌を歌っていた。
「なんで、君がこの歌を…」
涙があふれてくる。僕はこの歌を知っている。
忘れもしない。いや、忘れようとしても忘れられないのだ。
よく、母さんが歌ってくれた歌だった。
「てをーのーばせば はるーかかーなたー どこへーでーもゆけるさ はてないそらへー…」
ノエルの声が、記憶の中の声と重なる。
ノエルの目の紅石が、朝日をたっぷりと含んで水面のようにきらめいた。
「きみはひとりじゃないから」
そう言って僕に笑いかけるみたいに。




