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これから

 それから僕たちは、遥か西のノスタルジアを目指して歩き始めた。

 山の峰を伝って降りてくるひんやりとした風が僕の体を洗う。新鮮な空気をめいいっぱい吸い込んだ。「空気が美味しい」とよく言うけれど、それは多分、このことなんだろうと思う。


「気持ちいいな」

「えへへ、そうでしょう」


 ノエルはまるで、自分が褒められたかのように嬉しそうに笑う。故郷を褒められたら、誰だって嬉しいだろう。


「私、この風が世界でいちばん好きなんだ」


 キリリとした風がまた、ノエルの髪をなびかせていく。

 森の中を歩きながら、他愛のない話をした。

 好きな食べ物はなんだとか、ノスタルジアにある美味しいお店の話とか。

 食べ物の話ばかりなのは、急勾配の道をひたすら歩いているとお腹が空くからだ。僕がノスタルジアから持ってきた、旅用の保存食ばかりを食べているせいでもある。モソモソしていて決して美味しくはない。

 ギルドから支給された荷物の中には、食べ物の他にいくつかの小さな寝袋や、水なども入っていて、ノスタルジアの人々はこういった荷物を入れておかないと怪しまれると思ったのだろうか……と思うと少し寂しかった。


 だけど、ギルドの人もエミリーも、近所の人たちもみんな、愛想の悪い僕にも優しくしてくれた。あの笑顔は嘘じゃないと、思いたい。きっとみんな、本当はこんなことしたくなかったに違いない。僕だって、だませる立場にいたとしたら、同じことをしていたかもしれない。ノスタルジアには、家族を持っている人たちもいる。エリルがまだ僕のそばで生きていたら。せっかくブラッドから生き延びたのに食糧が足りないから死ぬかもしれない、そんな状況になったら。絶対にそんなことはしないとは言い切れない。


 ブラッドバスターを騙したことはきっと仕方ないことなのだ。


 だから、一度みんなで話し合えば、対等に幸せに暮らせるようになると思う。そのために、生き残った僕が、みんなを動かさないといけない。ノスタルジアを、変えなくちゃ。


「きゃっ」


 悲鳴と、ずてんという音が耳に飛び込んできた。ひとり考え事をしていた僕はびっくりして振り返る。


「ノエル!?」


 僕の少し後ろで、ノエルは地面に倒れ込んでいた。


「いたたた……」

「だ、大丈夫…?」


 そっと尋ねると、ノエルは顔を上げて恥ずかしそうに笑った。


「転んじゃった」


 どうやら木の根につまずいたらしい。僕と違い、体を鍛えていないノエルには、山道はきつかっただろう。もっとゆっくり歩こう、と僕は反省する。


「ごめんね、立てる?」


 手を差し出すと、ノエルはその手を取って起き上がる。そっと掴まないと折れてしまいそうだった。

 それからさっき、自分も呼び捨てでノエルを呼んでしまったことに気づいて、顔が熱くなる。ノエルは気にしていないようだし、セーフなのだろうか。まあ、「さん」付けもおかしいし、同年代の友達に呼び捨ては普通なのかもしれない。


 僕たちは森の中の、少しひらけた場所に出ていた。


「今日は、ここで休もうか」


 小高い丘のような場所だった。木々の隙間からもえぎ色の平原が見渡せた。

 テントを張って焚き火を起こす。気づけば夜が来ていた。大きな星空が僕たちを見下ろしている。僕たちは並んで座り、星を見上げる。


「ねえ、君は、どこから来たの」


 僕の隣で彼女が困ったように微笑むのがわかった。


「どこだろう。私もよくわからない。ずっと長いこと眠っていたような気がして」


 その目元を覆う紅石のせいで、彼女の左の横顔には、何の表情も浮かんでいないように見えた。


「だけど私はね、ずっと昔から、君に会いたかった。そんな気がするんだよ」


 ……それは、どういう意味なのだろう。喜んでもいいのだろうか。胸の奥がふわり、とくすぐったくなる。

 僕たちのことを見ているものは、遠い星々のほかには何もない。

 今なら、たとえ、とんでもなく気恥ずかしいことを言ったとしても許される気がした。

 広い広い夜空の底に、ふたりぼっち、取り残されたみたいだった。

 こんな夜がずっと続けばいいのにと思った。



 気づけば、星々はいなくなっていた。その代わりに、みずみずしい太陽の光と透明な空気が、僕たちに真新しい1日を与えてくれる。

 朝食をとり、テントをたたんで、また歩き出す。

 時には沢のそばで水を飲んだり、急斜面ではノエルを引っ張りあげたり、2人で冗談を言って笑いあったり。何日間もかけて、ようやく僕たちはノスタルジアを囲む壁の前までたどり着いた。往路の倍くらい、時間がかかったけれど、むしろ帰路の方があっという間に感じた。

 深呼吸して、隣のノエルを見る。ノエルは大きく頷いてくれる。誰かがそばにいてくれるということが、こんなにも楽しくて、心強いことだとは思わなかった。僕はいつからこの気持ちを忘れていたのか。

 目の前には、壁に開いた長いトンネルがある。一直線の先に、一筋の光が見える。ここを抜ければ、ノスタルジアだ。


「行こう」


 僕は歩き出す。ふたりぶんの足音が、トンネルに跳ね返って響く。どんどん、足音は速くなっていった。気づけば、僕とノエルは手を繋いで、駆け出していた。

 ここからが、勝負だ。ここからふたりで、この街で、生きていこう。

 僕は笑っていた。今なら、この街を変えられる気がする。なんでもできる気がする。


 でも、僕は知らなかった。今笑っているということが、どれだけ馬鹿馬鹿しくて、悲しいことなのかを。それに、ノエルの言う運命が、もうすでに始まっていたのかもしれないということも。


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