運命
「ひとつだけ。君に見て欲しいものがある」
ノエルは無造作に右手を突き出した。細長い人差し指が、僕……ではなくその背後の壁を指していた。
「わ……」
気がつかなかった。そこには途方もなく大きな、壁一面の、壁画があった。
「これは運命の女神さま」
そこにはとても綺麗な、聖母のような女性の立ち姿が描かれていた。流れる長い髪が、ノエルによく似ていた。
「『時は運命なり。運命は時なり。全ては何者も触れることのできぬ、大いなる世界の流れ、不可避の定めなり』」
「なに、それ?」
「時の旅人に伝わる詩だよ。女神さまが作ったの。女神さまはね、大昔、未来を視たといわれているの」
「女神さまも時の旅人だったってこと?」
「ううん。時の旅人は女神さまに仕える民族なんだよ。女神さまは、旅はしない。ここにずっといて、未来を視るんだよ。未来に関われるのは、女神さまだけなんだ」
「時の旅人は未来には行けないのか?」
僕は驚いた。密かに、ノエルは過去から来ているのではないか、と思っていたからだ。
サヤトが破壊されてからの数年間、ノエルが、神殿の中で何も食べず、眠ったままでいたなんて考えられない。これまでにサヤトに来ているはずのノスタルジアの調査隊に発見されなかったのもおかしい。だからノエルはなんらかの理由で、村が破壊された『過去』から『今』という未来にやってきたのだと、僕は思っていたのだ。
しかしノエルはやや曖昧に首を横に振った。
「時間の仕組みって、いまだに解明されてないの。過去はすでに『あった』ことだから、『ある』ってわかるんだけど、未来はまだ起こっていないから『ある』のか『ない』のかわからないの。『ない』時間は、いじれないでしょう?」
つまり、ノエルは単純に時の旅人の力で過去から来たわけではないということになる。謎が増えた。僕はノエルについて考えることを一旦諦めた。そしてノエルにならって壁画を見つめる。
「でも、この女神……っていう人は未来を見たのか?」
「あくまで言い伝えだけどね」
女神はまるで、この世の全てを知っているかのように微笑を浮かべている。
「ねぇユーマ。ユーマはさ、運命って信じる?」
その言葉とともに、薄暗い神殿の内部が淡いオレンジ色に染まる。ひんやりとしていた空気が柔らかな熱を帯びた。僕は驚いて思わず「うわっ」と声を上げる。見ると、壁画のすぐそばの松明に火がともっていた。
「あ……!」
僕は気づいた。女神の壁画の下に、もうひとつ、絵がある。今までは暗くて見えなかった絵だ。
泣き叫ぶ人々。剣を構える戦士たち。破壊される家々。酷い姿の人の姿まで細かく描写されている。それは、幸福な日々が崩れ去る瞬間の絵だった。
「女神さまが見た未来はこれなの」
ノエルは言った。悲しそうだった。
その未来とは、僕が生きている、この、『今』だった。
絵の中の人々を取り囲むように、おぞましい数の『怪物』が描かれていた。さっき戦った熊のような獣の姿もあれば、黒い龍、奇怪な虫、鳥、魚……。様々な大きさと形のものがいる。
それはブラッドだった。
「あそこ、見て」
ノエルが指差す場所に、目を凝らしてみる。
「ん?」
一瞬、壁画が不自然にきらめいた。なんだろう、と思って見ると、輝きの正体は、石だった。
僕やノエルのものに似た、紅い石が、絵のあちこちに埋め込まれているのだ。
――いや、ちがう。
絵のあちこちじゃない。 あちこちに描かれたブラッドに だ。
ブラッドに紅石? そういえば、さっきのブラッドも、目が赤だった。
そして、殴ったら割れた。
「紅石なんだ……」
ブラッドに、紅石。不意にあの涼やかな声がよみがえる。
———「目だ、目を殴れ!!」
ノエルは、このことを知っていたのだ。この壁画を見て。そして、紅石が割れたらブラッドは死ぬということを知っていたのだ。だから僕に教えてくれた。
そこでふと、僕は思う。
僕にも紅石がある。僕はこれを負ってから、超人的な運動能力を手に入れた。
……そう、まるで、人間を超えたような。
じゃあ、僕のこの石が割れたら、僕はどうなる?
僕は、何者なんだろう。
「あれ?」
僕は眉をひそめた。壁画の中に、おかしなものを見つけたのだ。紅石をもつブラッド。それに囲まれた、何ももたない街の人々。しかしその中のひとりになぜか、紅石が埋まっている。少年だ。おそらく僕と同じくらいの年齢の、格好も僕と同じような、少年。
「『傷負いし者は、選ばれしもの』」
ノエルは歌うように言った。
「ユーマは、女神さまに選ばれたんだよ。君のことを、女神さまは予言したの」
「選ばれたって、なにが……」
「君がこの世界を救うの。そのために、君の『力』があるんだよ」
松明の火が揺らめく。わけがわからなくて、胸の奥がもやもやする。
ノエルはもう一度言った。
「君がこの世界を救うの。君に、救ってほしいの。ブラッドを倒して、みんなを守る。きっと君にはそれができる。私は君に、ついて行くから」
「僕が……」
「ねぇユーマ。運命って、信じる?」
運命……。口の中で転がしてみる。
もしも本当に、ブラッドが現れたことも、母さんや父さんやエリルが死んだことも、世界中の人たちが死んだことも、今僕がここに立っていることも、ノエルと出会うことも。ぜんぶ、最初から決まっていたことだとしたら。ぜんぶ、偶然じゃなくて必然で、レールは最初から一本で、僕たちの選択なんて無意味で、「運命の分かれ道」なんて言うけれど、本当はそんなものないのだとしたら。
「そんなの……」
なんだか腑に落ちなかった。全部「仕方ないことだった」と諦めてしまえば楽かも知れないけれど、僕らの人生が無意味だとは思いたくはなかった。




