第九話
「どうぞ……」
人数分のお茶をテーブルの上に置いて、瞬の傍へ座った。陸さんを警戒して、何かあった時にはすぐに瞬を盾にする為だ。そんな私の緊張をまったく気にすることなく、陸さんは軽く頭を下げてお茶を一口飲み、無表情で口を開いた。
「若様……そろそろお帰りいただけないでしょうか。」
あれ?瞬って勘当されたって言ってたような……
若干の疑問を持ちつつ、二人の会話を見守った。
「陸も知っておるであろう。我は勘当された身であるぞ。戻れる訳無いであろう。」
「それは若様が許嫁がいらっしゃる身でありながら、遊んでばかりだからです。御屋形様のお怒りもごもっともです。」
「いや、許嫁など了承した覚えも無いし、元々は兄上の許嫁ではないか。」
成程、何となく話が見えてきたな……兄弟の許嫁だった人と勝手に結婚の話を進められてるってところか。これは、流石に瞬でも同情するわ……
ん?これってベタな気がするけど、ストーリー構築に使えるかも♪
「ですが幸いにも、当主の伴侶としての教育を受けられております。このような好条件の女性は、中々いらっしゃらないかと思われます。」
婚約者がいるイケメンとの禁断の恋……ん~!いい感じ♪
「兄上が駄目なら我と婚姻なんぞ、節操が無さすぎであろう。絶対に受け入れぬぞ。」
「妖狐族発展のため、跡取りの嫁と御屋形様がお決めになったご縁です。運命だと思い、受け入れられて下さい。」
「どうせあの女の入知恵であろう。そんなもの運命でも何でも無いわ。」
無表情のまま諭してくる陸さんに、瞬はテーブルに肘をついて、ぷいっと拗ねたように顔を背けた。
「しかし若様、こちらの女性にいつまでもお世話になる訳には……」
「心配するでない。このおなごは、我と恋仲であるからな♪」
そそ、私とはただの恋仲……こいなか?……コイナカ……って、恋人のこと?!
「えぇ~~~!?!むぐっ!!」
思わず声を上げると瞬が私の口を塞ぎ、陸さんに背を向けるよう身体の向きをくるっと回す。そして私に美し過ぎる顔を寄せて、声を潜めた。
「紫、ここはひとつ話を合わせてくれぬか?」
「はぁ?何でよっ!」
「話を聞いておっただろ?ここは我を助けると思って、な?な?」
な?な?って言われてもねぇ……
「今更話を合わせなくても、すでに何も無いことはバレバレじゃない?」
「大丈夫!紫さえ話を合わせてくれれば、この場は切り抜けられる自信がある。我に任せろ。」
う~ん……正直お金厳しいし、早々に、陸さんに瞬を引き取って貰いたいところだけど、ストーリーネタの宝庫だし、最高のイケメン観賞になるし、何しろ子狐ちゃんのもふもふは捨てがたい……
……そうだ!
「対価は?」
「は?」
「人にモノを頼むなら、対価は必要だよね~♪瞬・く・ん♪」
ドヤ顔で、瞬に提案をする。
「対価は添い寝で……」
「添い寝は瞬の希望であって、私の希望では無いしね~♪」
ふふん♪我ながら良い返しだわ♪
と、思っていたけど、瞬の方が一枚上手だった。瞬はヤレヤレといった具合に軽く頭を振り、残念そうな表情を浮かべた。
「我は狐になっての添い寝もやぶさかでは無いが、紫が希望せぬのなら仕方あるまい……」
「えっ?子狐ちゃん?」
思わず可愛いもふもふに食いついてしまう悲しい性……
「まぁ、我は別に添い寝でなくとも良いが……」
うっ!そう来たかぁ……これは捨てがたい、魅力的な提案かも……
心の中で白旗を上げて、軽く溜め息をつく。
「分かったよ……最初から子狐ちゃんで寝るって事で……」
私の返事を聞くと、したり顔で確認をしてくる瞬。
「ならば契約成立ってことであるな♪」
「今日だけだからね。」
「それで構わぬ。」
そして瞬は満面の笑みを浮かべて、陸さんに向き直った。
「陸、待たせたな。まだ付き合いが浅い故、紫は公表に前向きではなくてな。」
覚悟を決めて、瞬と同じく陸さんに向き直る。陸さんはこちらを窺うように、疑念の目を向けてきた。
「紫殿と言われましたか。」
「はい……」
「若様のおっしゃることは本当ですか?」
「えぇ……そのとおりです。」
「今までの若様の好みとかけ離れ過ぎて、信じがたいのですが……」
「瞬の好み?」
「人間界で言えば、メリハリのある”ないすばでぃ”というタイプになります。」
うっ……陸さん、さりげなく失礼だと思うけど……
「紫の抱き心地は、柔らかくて中々良いぞ!我のお気に入りだしな♪」
瞬、それって私が太ってるって言いたいの?私は今、二人から喧嘩売られてるの?
思わず睨みつけそうになるのを顔を引き攣らせながら耐えていると、陸さんは瞬に向き直った。
「若様、このような戯れを私が信じるとでもお思いですか?」
「何をいう、我は本気であるぞ。」
「手付けも行っていない女性と恋仲なんて、若様が本気である筈が無いではありませんか。」
手付けも行ってないって、ぷぷっ!瞬が普段から、どれだけ信用されない自堕落な生活してるのかが見えるようだわ♪
ん……ってか、何でそんな事が分かるの?
頭に疑問符が浮かぶ私を他所に、瞬は言い訳に必死だ。
「それだけ我は本気だということだ。やはり本気になると、簡単には手を出せぬものであるしな。」
「では、婚姻は……」
「人間界では、簡単に婚姻を決めぬものと聞いておる。我は紫を尊重し、人間界の決め事に沿って二人の仲を育てて行きたいのだ。な?紫?」
瞬は私の肩を抱き、同意を求める笑みを向けてきた。それに合わせてぎこちない笑顔をお返しする。
それを見ていた陸さんは無表情のまま、諦めたように大きな溜め息を吐き出した。
「はぁ……にわかに信じがたいですが、仕方ありません。若様の言われるとおりに御屋形様へ報告いたしますが、宜しいでしょうか。」
「あぁ、構わぬぞ。」
「いずれにせよ人間を巻き込むのであれば、若様自身にそれなりの覚悟がおありなのでしょう。今日のところは引き上げますが、またお邪魔させて頂きます。」
陸さんは納得がいかないままも、半ば諦めた様子で、帰っていった。