第八十二話
夜になり、ティーセットを持って瞬さんの部屋へ行く。
部屋へ招き入れられるとすぐにラベンダーのアロマを炊き、そそくさとカモミールティーを入れてソファの前にあるテーブルに置く。
「これを飲んで下さい。」
「……これは何だ?」
「リラックスさせる効果があるハーブティーで、不眠に良いとされています。」
「こんなものを飲んでも、効果があるとは思えぬが……」
効果を怪しみながらも、瞬さんは飲み干してくれた。
だけど、そのままソファから動く気配が無い。
「あの……ベッドへ横にならないと寝れないかと……」
ごく当たり前の事を言ったつもりだったけど、瞬さんにとっては不満だったようで、口を尖らせている。
「もう少し紫と話をしたいのだが……」
「分かりました。ですが、話をするのはベッドに入ってからです。」
「おお!添い寝か!」
「しね~よっ!エロぎつ……」
また勝手に出てきた言葉に気付き、途中で止める。
突っ込みの反応速度が速いし、前にもこんな会話をしていたんだろう。
コホンと咳払いを一つして、気持ちを落ち着けさせる。
そしてベッドサイドへ椅子を移動させて、そこへ座る。
「ここで瞬さんが寝るまで待機しますから、瞬さんは横になって下さい。」
瞬さんの話から私は抱き枕の係りだったらしいけど、そんな事は覚えていないし、流石に初対面に近い人と同じ布団に入るのは憚られる。
渋々ながらベッドに潜り込む瞬さんを見届けて、部屋のランプを消す。
「紫の顔が見えぬではないか。」
「部屋が明るいのも、不眠症の原因になりますので。」
不満げに訴える瞬さんに、冷静な答えを返す。
「紫は初めて出会った夜から、我を抱き枕にしておったというのに……」
拗ねている言い方に、プッ!と笑いそうになる。
か、可愛い……子供みたい……
って、そういえばどうやって知り合ったんだろう……
ふと気になって、瞬さんに尋ねてみる。
「あの……知り合ったのって、美華がきっかけですか?」
「いや。華ちゃんと紫が友人であったのは、我らが出会った後で知ったのだ。」
「そうなんですか?」
「あの頃、我は太陽が昇っておる時は人間の器に入れぬよう術を掛けられておってな。狐姿で街をさ迷っておったのだ。通りすがりの皆が避ける中、紫だけが我を助け、家へ連れ帰ってくれたのだ。」
そんな事があったんだ……
「夜、人間姿になった時の紫の驚き方といえば、鳩が豆鉄砲を食らった見本のような顔をしておったぞ。」
その時を思い出したのか、月明かりの薄暗い中でも、瞬さんが微かに笑っているのが分かった。
保護した狐がいきなり人間になれば、普通はびっくりするよね……
「その後、利便性から恋仲の振りをする事になってな。」
瞬さんの話を頷きながら聞いていたけど、前日の寝不足も手伝ってかついウトウトしてくる。
何だろう……瞬さんの声、凄く安心する……
「紫?起きておるか?」
「大丈夫……」
「眠たいのであろう。無理するでない。」
「ん……」
返事をしたいのに、声にならない。
ふわっと頭を撫でられている気がして、その温かさにそのまま委ねてしまいたい気持ちになる。
「おやすみ。」
「……」
ここで私の意識は、完全に夢の中へ入っていった。
「やれやれ、我が寝入るまで見てくれるのではなかったのか。」
瞬はベッドから起き上がり、椅子に凭れて寝入ってしまった紫の前髪をそっと避ける。
ほのかに口元を上げて目を閉じる紫の顔が見え、思わずふっと表情を崩す。
「幸せそうに寝ておるな……」
数日前、隠居生活をのんびりと過ごしていたところ、神社へ一本の電話が入った。相手は華ちゃんの旦那である慧さんだった。
そこで初めて聞かされたのは紫が生きている事、日本から離れた海外に住んでいる事、そして、紫の身体が一瞬だけ透けて見えた事……
もう一度紫に会える事を喜ぶと同時に思い出したのは、鬼神族が目の前で砂となって消えていった出来事だ。
電話を貰いすぐに日本を発ったが、出会った紫は我の事を覚えていなかった。だけど紫の胸元にピンク色の小さな勾玉があった事で、無意識でも自分の贈り物を身に付けてくれている事にホッと一安心した。
我が来てから紫はまだ透明になっておらぬが、確実に紫の身体の限界は近づいておる……
紫の死期が近い事を悟った慧さんが気を利かせて連絡を寄越したのだろう。記憶を消したのも紫の為だったと言われれば、それをどうこう責める事も出来ない。
ただ……
「紫が覚えておらぬとも、我の傍におってくれ……紫が消えてしまうその時まで……」
そう呟き、瞬は紫を横抱きにして、そっと唇を重ねた。
翌朝、何故か私は自室のベッドで寝ていた。不思議と落ち着く瞬さんの声に、眠気が抗えなかった事までは覚えている。
「どうやって戻ったんだろう……寝惚けたまま、帰って来たのか……」
いやいや!それよりも、瞬さんが寝付くまで待機するって言ってたのに、絶対私が先に寝たよね?!
うわぁ……やっちゃった……
その前の晩、寝不足だったとしても、約束を違えるとかあり得ないじゃん!
「はぁ……後で謝っておこう……」
罪悪感を覚えながらのそのそと起き上がり、朝の支度を始めるのだった。




