第八話
瞬が居候を始めたとしても仕事は減るものでは無く、相変わらず重たい身体を引きずりながら、終電で帰宅の途につく日々を送っている。
もし、自分が新ゲームのライターリーダーになったとしたら、締切前は何日徹夜になるのか……考えただけで背筋がゾッとしてくるけど、鬼塚部長の方が働いているから文句も言えないしなぁ……
帰ったら子狐ちゃんのモフモフで癒させて貰おうかな……
そんな事を考えながらこの日も、アパートの最寄り駅から改札を抜けた時、ふと、人の視線を感じた。
あれ…?今、誰かに見られていたような……
立ち止って振り向いても、誰とも目が合わない。
気のせいか……
気を取り直してアパートへ足を向けると、また誰かに見られているような気がする。
そういえば、駅前から付け狙う痴漢がいるとか、貼り紙を見たような……
気持ちだけ速足で歩き、駅前通りを進む。やっぱり、誰かの視線を感じる気配は拭えない。
もうっ!気持ち悪過ぎっ!!
そこからはダッシュで駅前通りを通り抜け、半泣きになりながらアパートまで無我夢中で走り続けた。
「はぁ、はぁ……ただいま……」
息を切らせながら、部屋へ勢いよく飛び込んできた私を見ても、瞬は寝そべったまま最近お気に入りのテレビの前から離れようとしない。
ったく!少しは心配くらいしろよっ!
「紫、おかえり~♪」
「何よっ!その呑気な反応は!こっちは大変な目にあったんだからね!」
「そうかそうか。それは大変だったな~。それより、見てみろ!この二人組、面白いぞ♪」
私の身の心配よりも、お笑いかよっ!ムカつくっ!
テレビのリモコンを掴み取り、プチっと消して、テーブルへ放り投げる。
「あっ!紫!せっかく見ておったのに!」
「聞けよっ!こっちは不審者に追いかけられて、大変だったんだよっ!」
怒り気味に説明すると、それを聞いた瞬は、思いっきり吹き出して笑い始めた。
「ぷっ!紫を襲おうなんてモノ好きは、おらぬであろう。おぬしの勘違いでは無いのか?」
「はぁ?!てめぇ、居候の分際で家主に毒を吐くなっ!」
「心配するで無い。我は来るものを拒ままぬ。色気は無くとも紫がその気になればいつでも……」
「一生ねぇよ!」
トン、トン……
その時、玄関ドアからノックする音が響いた。
「うわわっ!まさか、ここまで付けられた?!ちょっと!瞬、追い返してよ!」
ビクッと肩を竦めたものの、瞬はにやにやしながら寝そべったままこっちを見ている。
「追い返す対価は?」
「……は?」
「人にモノを頼む時には、対価が必要であろう。」
「こんな時に何を言ってんのよ!非常事態じゃん!」
「非常事態と対価は関係ないではないか。まっ、我には関係無さそうであるし、このままでも構わぬがな。」
そう言って、相変わらず笑っている。
マジでムカつくっ!!
「そ、そうだ!一宿一飯の対価でチャラになるじゃん!」
「え~!それは毎晩添い寝と決まっておるであろう。」
「瞬が勝手に決めてるだけじゃん!毎晩私が寝た後、勝手に布団に潜り込んでくるくせにっ!」
「丁度良い抱き枕があるのに、それを使わぬ手は無いではないか。」
「はぁ?それって、私に対しての対価じゃぁなく、瞬へのご褒美みたいなものじゃん!」
「あ、バレたか。」
瞬は悪びれもせずにペロッと舌を出して、ようやく身体を起こした。
「仕方ない。今宵は紫が起きておっても、抱き枕ってことで良いか?」
「それでもいいから、早く追い返してっ!」
「では契約成立ってことで……」
やれやれ……と言わんばかりに瞬はけだるそうに重い腰を上げて、私を背に庇うように立ち上がった。
「誰だ?」
瞬が声を低くして、玄関ドアの方へ尋ねる。すると、向こう側から、予想外の反応が返ってきた。
──「その声は若様ですか?」
へっ?まさか、瞬の知り合い?
「あれ?もしかして……」
──「私です。陸です。」
「陸か!ちょっと待ってろ!」
そして、笑みを浮かべた瞬は、家主の私に断りも無く玄関ドアを開ける。そこには、背が高く茶色短髪の男の人が立っていた。
「陸!よくここが分かったな♪」
「烏天狗族から目撃情報を頂き、その場まで出向いたところ、若様に接触していたと思われる方と背格好が似た女性とすれ違いましたので、後追いしました。」
駅前で感じた目線って、瞬の知り合いかよっ!人騒がせな!
「あぁ、あの烏達か。こっちの烏は躾がなってないと、翔に言っておいてくれぬか?我は殺されるかと思ったぞ。」
「畏まりました。そのように申し伝えます。」
瞬の背中から顔を覗かせて、陸って人に目を向けた。鋭く吊り上がった目に、しゅっとした顔立ち、がっちりした体格のワイルド系イケメン……
もしかして、妖狐族ってイケメンだらけ?!パラダイスじゃん♪
って、いやいや……イケメンは観賞用、観賞用……瞬は最低のチャラ男エロ狐……
自分に言い聞かせるよう心の中で念仏を唱えていると、一人だけ蚊帳の外状態の私に、瞬が陸さんを紹介してきた。
「紫、こいつは陸だ。妖狐族で我の付き人をしておった者だ。」
って言われてもねぇ……
「どうも……」
軽く会釈すると、陸さんは表情を変える事なく軽く頭を下げてくる。そして瞬は、家主の許可無く部屋の中へと陸さんを促した。
「まぁ、狭いとこだが、遠慮せずに入れ。」
瞬、それ、家主の私に喧嘩売ってる?
「それでは、失礼いたします。」
陸さん、あなたも入るんですか!
「紫、茶を入れてくれぬか?」
くっ!やっぱこいつらムカつくっ!妖狐族ってみんな遠慮知らずかよっ!
半ばやけくそ気味に台所へ向かい、冷蔵庫からお茶を取り出した。