第七十七話
私の驚いた声を聞いてか、瞬に向いていた蒼井先輩の目が私に向けられる。蒼井先輩はキョトンとした顔をしていたけど、私を思い出したのか、目を見開いて同じく驚きの声を上げた。
「お、お前っ!まさか、カナヅチちゃんか?!」
せ、先輩……思い出してくれたのは、そのあだ名ですか……
久しぶりに聞いた水泳部時代のあだ名に、顔が引き吊りそうになりながらも、返事をする。
「……日向です。お久しぶりです。」
「まさかこんなところで会うとはな。もしかして、瞬の嫁になる人間って、お前の事か?」
ここは、話を合わせた方がいいのかな……
「まだ認められていませんが、一応……」
「心配しなくても大丈夫だろう。今回の女は手付けもして無いのに、瞬がご執心だと噂になってるからな。いつまで持つか、みんな興味津々みたいだぞ。」
「あは……あはは……」
苦笑いしながら答えると、瞬が割って入ってきた。
「我と紫は、心で結ばれておるからな。別れる事はあり得ぬ。」
「へぇ~。瞬がそんな事を言うなんてな。天変地異の前触れか?」
あ、蒼井先輩……結構毒舌だったのね……
今更、瞬の過去の女関係をどうこう言うつもりは無いけど、私の想像を軽々と越えてそうだな……
考えるだけ頭が痛くなりそうなので、咄嗟に話題を変えようと、蒼井先輩に話し掛ける。
「ところで蒼井先輩は、何故こちらに?」
「何故とは?」
蒼井先輩が何でそんな質問するんだ?といった顔で質問を返してくる。
「だから蒼井先輩も、もののけの誰かと結婚したのですか?」
「まぁ、乙姫と政略結婚はしたけどな。」
「へっ?政略結婚?」
「深海を管理する海坊主を黙らせる為にな。そこの娘を嫁に貰ったんだ。」
えっ?えっ?ちょっと待って……
この話の流れは……
「も、もしかして、蒼井先輩も……もののけ?」
恐る恐る尋ねると、蒼井先輩は当然のように答えた。
「あぁ、人魚族だが。」
うっ!嘘っ!
「だ、だって先輩、普通に人間の学校へ通っていましたよね?!」
「普通に学校へ通ってるもののけなんて、他にも沢山いるぞ。」
「そ、そうなんだ……もしかして水泳部の時に、大会に一度も出なかったのは、人魚だからですか?」
「そりゃそうだろう。俺が本気を出せば、オリンピックレコードの半分以下でゴールするからな。わざと手を抜くのも面倒だろ?」
「で、ですよね……」
人魚なら、泳ぐのも上手いよね……何だか色々と納得……
っていうか、人間界のイケメンって、全員もののけでは無いよね……明日からイケメンを見掛ける度に、疑ってしまいそう……
考え込んで無口になっていると、蒼井先輩がわざとらしいビジネスモードの顔になる。
「では瞬様、お部屋は離れのコンドミニアムをご用意させて頂きました。ごゆるりとお過ごし下さいませ。」
やけに丁寧に腰を折る。瞬も不思議そうにしている。
「ん?"こんどみにあむ"とは何だ?前の"ほてる"とやらとは違うのか?」
「はい。ホテルとは異なり、建物丸ごと貸し切りとなります。夜の声も気にしなくて良いかと……」
やけに丁寧に、でも悪巧みを企んでいる顔で、にっこりと笑う。
「そうか、そうか♪気を遣わせたな。」
「いえ、このくらいはお任せを。」
二人して、悪どい顔で笑い合ってる……見なかった事にしておこう……
挨拶が終わると、蒼井先輩は控えていた人に案内を頼み、ホテルらしき大きな建物へ向かっていった。
「蒼井先輩って、リゾートホテルの経営してるんだ……」
先輩が去った後、ボソッと呟く。
「それが、人魚族の収入源であるからな。」
「へぇ~。そうなんだ。」
もののけの世界は独自に、色々と経済が回ってるんだね……
妙な関心をしていると、今度は瞬が尋ねてきた。
「紫は潤と知り合いなのだな。」
「うん。高校生の頃の先輩なんだ。」
「それではもう一つ、質問に答えて貰おうか。」
何故だか瞬は、私が逃げられないよう、ガシッと肩をホールドしてきた。
「えっ?な、何?!」
驚いて瞬の顔を見ると、瞬は満面の笑みを浮かべているものの、目の奥は明らかに笑っていない。
「紫……泳げぬのに、何故水泳部とやらにおったのだ?」
うっ!痛い所を……
まさか、蒼井先輩に憧れて入部したとか言えないし……
「そ、それは……泳げるようになりたかったからさ!」
「ふ~ん……それで成果は?」
「カナヅチのままです……」
「紫のこと故、潤が目的であったのではないか?」
ば、バレてる……
「そ、そんな訳無いじゃん!あは……あはは……」
「本当かぁ?」
笑って誤魔化そうとする私に、瞬は冷ややかな疑いの目を向けてくる。
「そ、それより、こんなにいい所がこの世界にあったんだね♪」
「まぁな。早く部屋へ行って着替えようではないか。」
ん?着替え?
リゾートドレスなら持って来たけど……
意味が分からず首を傾げているけど、瞬はなおも楽しそうに話を続ける。
「紫の水着が楽しみであるな♪」
あっ……そうだった……
「ご、ごめん……水着はやっぱり売って無かった……」
両手を合わせて、瞬に頭を下げる。瞬は、見たことも無いくらい頭を抱えて落ち込んでいる。効果音をつけるなら、典型的な"ガーン"といった感じだ。
「やっぱり季節的に無理があるって……」
「紫の水着……期待しておったのに……」
そ、そこまで落ち込まなくても……
「我には、そのくらいの楽しみも許されぬのか……」
こ、これは見事な落ち込みっぷりで……
道端で人目も気にせずに落ち込む瞬を動かすのに、たっぷりと時間が掛かってしまった。
気を持ち直した瞬とコンドミニアムに入り、部屋に置いてあった観光ガイドを手に取る。常夏の島は泳ぐ以外にも、色々と見所があるらしい。
「へぇ~。"水龍の氷柱"なんてあるんだ。常夏の島なのに溶けない氷なんて、珍しいね。」
「あぁ、懐かしいな。あれは、悪さを働く水龍を退治したものだ。」
「えっ?彫刻では無くて、本物なの?!」
「雪妖族の術に掛かっておる故、千年は溶けぬぞ。徐々に生気を奪うものだ。まだ氷の中では生きておるであろうな。」
「そ、そうなんだ……」
物騒だ……物騒過ぎる……
ふと、違う観光スポットに目が行った。
「森の奥に、底無し沼もあるんだってさ。度胸試しに吊り橋で渡る事も出来るらしいよ。森の中を探検しながら行くのがお勧めらし…………って、えっ?!」
その沼の説明文を読み進めて、有り得ない言葉を見つける。
「沼に飛び込むと、イエティの村に繋がる?ど、どういう事?!『とてもフレンドリーなイエティ達です』って書いてある……」
「イエティの村からの帰りは、四日か五日くらい洞窟を歩いて帰ってくるのだ。真っ暗らしいが我は火を出せる故、心配無いぞ。行ってみるか?」
「いや……何日も歩ける自信無いから、止めておくよ……」
さ、流石はもののけの世界……観光スポットまで侮れないわ……
ここで私は、せめて競泳用の水着でも持ってくれば良かったと、激しく後悔した。




