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第七十五話

 「……という訳で、退職を考えております。」


人間界へ戻り、念の為の護衛という事で、仕事帰りは天鼠部長にアパートまで送って貰う事になった。その帰り道に、瞬からの提案を話した。


「そうですか……日向さんは戦力になっていたので、残念ですが……」

「そう言って頂けて、有り難いです。ですが、寿命が長い事だけは、どうやっても誤魔化せないので。」

「そうですね。私も不信に思われないよう、五、六年に一度は転職していますから。」


もののけの万病を治す力を持つ事が広く知られ、同時に顔も知られてしまった事から、力を狙う者が人間界で私を探し始めるだろうとの推測だ。

その護衛の為と、普通の人間よりも寿命が長い事、更に瞬との結婚を見据えて、愛好稲荷神社の仕事をしないかというのが瞬の提案だ。

土蜘蛛に襲われかけた時に、もののけの界の怖さを知ってしまったので、いきなりもののけ界へ来いとは言わなかったんだと思う。

いきなりもののけ界で過ごす事は、私にとっては若干抵抗があったし、いつまでも歳をとらない事を怪しまれる前に転職はしないといけないと思っていたので、とても助かる提案だった。


「退職の期日はいつにしますか?」

「そうですね……今担当しているイベントの締め切りが、再来週なので、それ以降に引き継ぎが出来ればと思っています。」

「分かりました。」


瞬は、神社のみんなにパソコンの使い方を教えて欲しいと言っていた。恐らく私が遠慮しないように、そう言ってくれたんだと思う。本当に私の事をよく考えてくれている。


そんな話をしながらアパート近くまで帰って来ると、バサッ!と目の前に長い黒髪の男性が空から舞い降りてきた。


「うわっ!」


サッ!と天鼠部長が警戒するように、私の前へ出る。

長い黒髪の男性をよく見ると、見覚えある人だった。美形イケメンの翔さんだ。


「紫さん、こんばんは。この間は、城下の皆がお世話になりました。」


翔さんは、私の姿を見るとすぐに丁寧に挨拶をしてくる。


「あ、いえ……」


戸惑いながらも挨拶を返すと、翔さんがチラリと天鼠部長を見た。


「紫さん、出来れば二人でお話ししたいのですが。」

「失礼ですが、貴方が日向さんに害を及ぼす保証がありません。」


私よりも早く、天鼠部長が答える。


「私は、四天王の一人です。紫さんの価値は、承知しています。」

「残念ながらご自宅に入られるまで、日向さんの安全を確認する任を、瞬さんから直接任されています。」


二人の睨み合いが続く。静かなのに、穏やかなのに、笑顔なのに、見えない火花がバチバチと見えるのは気のせいでは無いだろう。


ど、どうしよう……天鼠部長に帰って貰った方がいいの?でも、翔さんの話って、嫌な予感がする……


二人の間でどう答えようか迷っていると、諦めたように翔さんがため息をついた。


「分かりました。側に居て頂いても構いませんが、部外者は口を出さないで下さい。これは、我々の問題ですので。」


部外者という言葉に、ピクッと顔を引き吊らせた天鼠部長だったけど、元々は特別にもののけ界への出入りを許可された異国の者という立場だ。妥協するように頷いている。


「それで、お話しというのは……」


嫌な予感がしながらも、話の内容を尋ねると、翔さんは少し迷う素振りを見せながら、意を決したように口を開いた。


「瞬との結婚を止めるつもりは、ありませんか?」


やっぱりその話か……

前の時も渋々という顔をしていたし、勾玉が見つかっている今なら、反対するよね……


けど、これにはきっぱりと答えを返す。


「いいえ。それはありません。可能ならずっと瞬の傍に居たいと思っています。」

「瞬がベタ惚れだとは思っていましたが、あなたも瞬と添い遂げたいという意思をお持ちだという事でしょうか。」

「はい。」


すると翔さんは、予想もしなかった残酷な事を言い出した。


「では、あなたが子供を産んだらすぐに殺しますが、宜しいでしょうか。」

「……えっ?」


ど、どういう事……?

私と瞬の子供が産まれても…………殺す……?


予想外の話に返事も出来ず目を泳がせていると、翔さんが続けてきた。


「私にとって瞬や颯は、幼少の頃から見ている弟のようなものです。私も人間の妻を娶った事がありますし、可能なら瞬の希望を叶えたいとも思っています。」

「なら……」


言い掛けた言葉は即座に遮られる。


「ですが、あなたの存在は、もののけ界の均衡を崩し兼ねない。この間の事で、それを実感しました。紫さんがもののけの誰かと子供をもうければ、将来争いが起こった時、紫さんの血をひいた種族が頂点に立つ事になります。怪我人が多数出ても、自分の種族のみを治療すれば良いのですから。」

「そ、そんな事は!」

「絶対に無いと言い切れますか?将来、先代の妖狐族当主みたいな者が出てこないと、断言できますか?」

「……」


無いとは言いきれない……


「不安定要素を取り省くには、子孫を作らないのが一番なのです。」


将来の幸せな姿を語っていた瞬の顔が、頭を過る。

小さな子供の手を引いた瞬の隣で、私が赤ちゃんを抱っこする……そして、みんなでお弁当を持ってピクニックへ行く……

そんな幸せな日常の姿が、音を立てて崩れていく……


何も言い返せずに唇を噛む私を見て、翔さんが軽く息を吐き出す。


「勿論、瞬には跡継ぎが必要ですから、将来的には妾を取る事になるでしょう。この話は瞬に言っても拒否するだけでしょうから、あなたに判断をお願いしたいと思います。」

「……私が?」

「ええ、あなたが。宜しいですか?」


翔さんの言う事も分かる……瞬のお父さんを見ていただけに、私や瞬が亡くなった後、何代先になっても絶対に力を振りかざす者が現れないとは言えない……


「……少し時間を下さい……」

「勿論、紫さんにも考える時間が必要でしょう。期限は一ヶ月後。その頃にまた来ます。」


どうやっても私と瞬は、幸せになれない……授かった命さえも、殺されてしまう運命……

それが、もののけと高倉の血筋の運命……


私の返事を聞いた翔さんは、無言で飛び去っていった。





 頭の中が、考える事を拒否している。それくらい放心状態で立ち尽くす。そんな私に、天鼠部長がそっと声を掛けてくる。


「今回の話、早めに瞬さんに相談された方が……」


その言葉には、黙って首を横に振る。


分かっている……

お兄さんを目の前で殺されて、夜、眠れない程のトラウマを抱えている瞬に……お母さんまでも失っている瞬に……目の前で再び家族を失う悲しみを与えてはいけない……

愛し合って授かった自分達の宝が、殺される為に産まれてくる命なんて……そんなの耐えきれる筈が無い……


「日向さん?大丈夫ですか?」


最初から分かっていたじゃない……紅姫と鬼塚部長の末路も見てきたじゃない……

私と瞬はいくら愛し合っていたとしても、添い遂げる事なんて出来ないって……


天鼠部長の声に反応する事も出来ずに、ふらふらとアパートの部屋へ帰った。





 部屋へ入るとすぐ、涙が零れ落ちていく。何も考えられないのに、まるで二人の結末が分かっているみたいに、次から次へと涙が溢れ出てくる。


「も……もう……うっ…………うぅ………………」


淡い期待さえ持つことが許されない現実を突き付けられ、その場に泣き崩れる事しか出来なかった。



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