第六十四話
「御屋形様、遅くなりまして申し訳ありません。」
大広間から離れに戻った瞬の元に、美華が天鼠部長を連れて来た。天鼠部長は、ベッドに横たわる私の身体を見て、痛々しげな表情を浮かべている。
「日向さん……」
目を伏せた天鼠部長に、瞬が頭を下げた。
「慧さん、華ちゃんを巻き込んで申し訳無かった……」
そんな瞬に、天鼠部長は軽く頭を振る。
「私は颯さんに、この世界への出入りを特別に許可して頂きました。なので、大人の美華さんとは何時でも逢えます。瞬さんにも口添え頂きましたようで、ありがとうございました。」
「我にはそのくらいしか出来ぬ。だが、人間界での生活は……」
「たかが数十年待つくらい、私にとっては何て事はありません。美華の人間の器とかが育つのを待ちます。」
「そうか……」
「小さな美華もきっと可愛い事でしょう。私好みに育てていくのも、色々と楽しみです。」
まるで源氏物語に出てくる光源氏のような考え方に、一歩退いてしまう。
天鼠部長……まさかロリコンでは無いよね……
そして天鼠部長は、輸血パックを一つを取り出した。
「瞬さん、私は混血なので、血を吸うだけでなく血を入れる事も出来ます。」
「それは、本当か?」
瞬が天鼠部長に食い付く。
「はい。これで日向さんが目を覚ます保証はありませんが、試してみても宜しいでしょうか。」
「頼む!すぐにやってくれ!」
マジでそんな事出来るの?!
天鼠部長、さっきはロリコンなんて思ってしまい、すみませんでしたっ!
瞬の了解を得た天鼠部長の目が赤く光ったかと思うと、何処からともなくバサッ!と黒い羽をはためかせた。口には大きな牙が生えてきている。
これが、吸血鬼本来の姿なんだ……
それから天鼠部長は私の身体の首筋をはだけさせ、躊躇う事無くそこに牙を立てた。
わ、私が……吸血鬼に噛み付かれてる……リアルホラーじゃん……
おぞましいとは思いながらも、私の為にしてくれている事なので、目を逸らさずに見守る。
天鼠部長は輸血パックの血を吸っては、私の首筋に牙を立てた。
寒っ!
冷たい血液が身体に入ってきたせいか、急に寒気を感じてきた。
そういえば瞬が手を握っていた時も、手に温もりを感じたな……
幽霊状態なのに、温度は感じるんだ……
輸血パックが空になる頃には、すっかり身体が冷えて震えが止まらなくなっている。
全部の血液を私の身体に入れ終わると、天鼠部長は、ペロッと私の身体の首筋の傷を舐めて、止血した。
「これで、終わりました。冷たい血液を入れたので、後は身体を暖めてあげて下さい。」
「了解した。恩に着る。」
美華と天鼠部長が部屋から出て行くと、瞬は私の身体を暖める為に布団を増量……ではなく、布団を捲って自分の身体を滑り込ませてきた。
ちょっと!何やってんの!エロぎつ……ね?あれ?
瞬は私の身体を暖めるように、優しく包み込んでいる。時々背中を擦り、足も絡ませて全身を暖めようとしているようだ。
あ……震えが止まってきた……暖かい……
幽霊の癖に寒さで震えるという状態は、何とか避けられてきた。瞬は私の身体をふんわりと抱き締めながら、頭を撫でている。
「紫……こうするのも懐かしいな……紫とおるのは楽しくて、退屈など無かった……我にとっては、新鮮な日々であった……」
瞬は呟くように、言葉を続ける。
「初めて逢った日を覚えておるか?あの日も我は、兄上が死ぬ悪夢を見ておった……兄上が血まみれになりながらも我を庇い、そして息絶えていく夢を……」
あ……夢だと思っていた、瞬の頭を抱いて撫でた時の事だ……
「初めてであった……我を包み込んでくれたのは……紫だけが、我を救ってくれたのだ……」
私の身体を抱き締める瞬の腕に、キュッと力が入る。
「頼む……紫まで我を置いて、逝かないでくれ……頼むから……」
お母さんとお兄さんを亡くした瞬の、懇願するような掠れた声に、熱いものが込み上げてくる。
瞬を残して、逝けない……
もっと生きていたい……もっと瞬と一緒に……
そう思った瞬間、ドクン……ドクン……と、心臓の鼓動を感じ始めた。
ま、まさか私の……って、うわっ!
いきなり見えない力に引っ張られて、スポッ!と私の身体を中に収まった。
浮遊感が無い……身体が重たい……
って、もしかして身体の中に戻れた……?
ゆっくりと瞼を開けると、驚いた顔の瞬と目が合った。
「紫……?」
瞬は信じられないものを見るかのように、目を見開いている。そして、何かを我慢するように表情を歪ませ、堪えきれなかった雫が一筋頬を伝った。
「瞬……また悪い夢でも見たの?」
そっと手を伸ばし、瞬の頬を濡らす涙を拭う。瞬は私の手に自分の手を重ねてきた。
「最悪な夢を見ておった……」
「そっか……もう大丈夫だよ……」
小さく笑うと、瞬が私の存在を確認するように抱き締めてきた。瞬の身体は微かに震えている。それを宥めるように瞬の背中に手を回して、瞬が落ち着くまでゆっくり撫でる。
「……紫に……二度と逢えぬかと思ったぞ……」
「心配させてごめんね……」
「ならば、もっと実感させてくれ……紫が我の腕の中に戻ってきた事を……」
瞬は少し身体を離すと、私の額、鼻先、頬へと口付けを落としてきた。
な、何でキスを……
そう思ったものの、慈しむような優しい触れ方に、抵抗も忘れて瞼を閉じる。そして瞬はそっと唇を重ねてきた。
「ん……」
何度も落とされる啄むような口付けに、どちらともなく吐息が漏れる。
それを合図に、口付けはゆっくりと深くなっていき、お互いの熱を確かめるよう角度を変えながら絡み合う。
二人だけの時の流れを感じながら、愛しむような口付けを繰り返していると、そっと唇が離れていった。瞼を開くと、目の前には優しく微笑む瞬の顔が見えた。
「紫……」
瞬の柔らかい声が、甘く耳をくすぐる。
「もう、我から離れるな……」
「うん……」
素直に頷くと、瞬はふわっと笑って、もう一度唇を啄んできた。
それから瞬は、安心したのと寝不足もあってか、甘えるように私の首筋に顔を埋めて、寝息を立て始めた。
瞬……ずっと私の無事を祈っていてくれて、ありがとう……
瞬が悪夢を見ないよう、そっと瞬の頭を包み込む。
その時に、ふと気付いた。
あれ?瞬から、離れるなって言われたけど、好きだって言われて無い気が……
さっきのキスの意味は?私が蘇った勢い?それとも両想いなの?いつかは離れないといけないのに?
何だか腑に落ちない、モヤモヤした思いを抱えたまま、夜は更けていった。




