第五十六話
最後のデートをした日の夜、シャワーを浴びて部屋に戻ると、瞬がベッドの上で寛いでいた。
「瞬……何をやってんのかな?」
「サッパリしたか?」
ごく当たり前のように、質問をスルーする瞬……
「だからさ……」
「そうだ!一度やってみたかったのだが、良いか?」
「何を?」
私の質問にはまたしても答えずに、瞬は洗面所へ向かう。そして、ドライヤーを手にして戻ってきた。
「どうしたの?」
「紫の髪の毛を乾かそうと思ってな。」
「一度やってみたかった事って、それ?」
「ああ、そうだ。良いか?」
「まぁ、別にいいけど……」
「よし!では後ろを向いてくれ。」
何故か張り切って私の後ろに座った瞬は、嬉しそうにドライヤーのスイッチを入れて、空いた手で私の髪の毛を鋤いてきた。
あ……気持ちいい……やっぱ瞬の手って好きだな……
一日中歩き回った疲れもあってか、心地好く当たる温かい風と優しい瞬の手つきに、自然と瞼が重くなってくる。
「紫の髪の毛は綺麗で気持ち良いな。ずっと触っておりたくなるぞ。」
瞬が何か言ったみたいだけど、ドライヤーの風に遮られて、よく聞き取れない。
「えっ?何か言った?」
「何でも無いぞ。」
少し大きめな声で聞き返すと、同じくらいの声が返ってくる。
気のせいかな……?
大して気にも留めず、もう一度瞼を閉じた。
ん……ふわふわする……
夢見心地の中で、暖かい腕に包まれているような、そんな気がした。うっすらと目を開けると、瞬に抱き抱えられえいるのか、すぐ近くにこの世のものとは思えない端麗な顔があった。
「……瞬?」
「すまぬ。起こしたか。」
瞬に髪の毛を乾かして貰っているうちに、寝てしまったようだ。
「大丈夫……」
「このまま寝て良いぞ。」
「まだ寝ない……最後だし、瞬と話する……」
完全に開かない瞼を見て、瞬は微かに笑っている。
「ならば、横になって話をするか。」
「うん……」
瞬は私をベッドに寝かせて、私を抱き枕にするよう自分も横になった。そして、髪の毛を鋤くようにあやしてくる。
「それ駄目……」
「どれだ?」
「頭……気持ちいいから、すぐ眠くなる……」
「そうか……」
返事をしながらも、瞬は髪の毛を鋤く手は止めようとしない。
ふわふわする……もう……
「瞬の手……好きだな……」
最後だから、もっと瞬と話がしたい……
その望みよりも睡魔が勝り、暖かい腕の中で眠りについた。
─────
紫が眠りについたのを確認して、瞬はベッドからゆっくりと抜け出す。そして、寝入っている紫の頭をそっと撫でた。
「紫が好きなのは、我の手だけか……」
寿命が短い人間の記憶は移ろいやすい故、すぐに我の事は忘れて、人間の幸せを掴むのであろうな……
「我ばかりが恋焦がれるなんぞ、割に合わぬ……紫が教えてくれた感情なのに……何だか悔しいでは無いか……」
あっ、そうだ!
名案を思い付いたとばかりに、瞬はパチンと指を弾く。すると、紫が着ていた服がテーブルの上に畳まれて置かれた。
「これで紫も、少しは我の事を心に留めておくであろうな♪」
瞬は満足気にそう言って、紫の髪の毛を耳に掛け、そっと口付けを落とす。
「紫、達者でな……」
そして、そのままアパートの部屋を後にした。
─────
チュン、チュン……
……ん?もう朝?何か寒い……
ごそっと布団にくるまり、ふと気付いた。
あ……瞬が居ない……出て行ったんだ……
当たり前の事とはいえ、今まで当然のように傍に瞬がいたからか、呆気なさ過ぎて事実が飲み込めない。
心の中にぽっかり空いた穴を埋めるように、部屋の中にある瞬の軌跡を辿る。
お笑い番組を楽しそうに見ていたテレビ、子狐ちゃんと外出したトートバッグ、そして一緒に食事をしたテーブル……
ん……?テーブルに何でパジャマが置いてあるの?
ふと、嫌な予感がした。
素肌に直接触れるシーツの感触……ま、まさか……
恐る恐る布団を捲って見る。
「やっぱり~!な、何で私、裸で寝てるの?!」
まさか、私、瞬と一回限りの……
「うわわっ!有り得ないっ!しかも初めてを覚えていないとかっ!」
思わず頭を抱えて、項垂れる。
や、やっぱり、そ~ゆ~事だよね?!い、いや、記憶に無いから、違うかもしれないし……で、でも、あのエロ狐がこんな状態で何もしない訳が無いじゃん!一晩で千人だしっ!
「そ、そうだ!」
急いで起き上がって、休日の美華を呼び出した。
「美華!教えて!」
「な、何を?」
呼び出されたカフェでいきなり私に懇願された美華は、戸惑うように身体を引いている。
「私から、瞬の気配がする?エッチしたら、分かるんだよね!」
「こんな真っ昼間から、下ネタ?」
「ち、違うっ!違わないけど、違うもん!」
「分かった、分かった。取り敢えず落ち着いて、説明してくれる?」
「じ、実はね……」
美華に宥められ、今朝の出来事を説明する。
「……成る程。つまり昨夜は最後の夜で、今朝起きたら裸だったと……」
「そうなの!ね、ね、美華なら分かるよね!初めてを覚えていないとか、有り得なくて!」
「へぇ~、やっぱり初めてだったんだ。」
美華は弱音を握ったかのように、ニヤッと笑っている。
「もう、どうでもいいから、教えてよっ!」
「そうねぇ……」
ゴクッと息を飲み込み、審判の時を待つ。
「それは……」
「それは?」
「……分からない。」
「な、何でよっ!」
「人間の器の時って、微妙な気配が分からないんだよね~。」
美華は何事も無かったかのように、しれっとコーヒーに口を付けた。
「そ、そんな……」
成す術も無く頭を抱える。
初めてを覚えていないとか、いくら瞬の事が好きでも一回限りとか、軽率過ぎじゃん……
「若様、本命にはオクテなんだ……」
地の底まで落ち込んで猛省する私の耳には、美華の呟きが届く事は無かった。




