第五十三話
瞬のお父さんに結婚が認められて身の危険が無くなった後も、相変わらずビュヴール通いは続いている。
そして、今日は天鼠部長も一緒だ。
他のお客さんが帰った店内は、興味津々で天鼠部長に話を聞く美華の声に包まれている。
「それで、やっぱり人の血を吸うの?」
「いえ、今は禁止されています。」
「今は人を襲う事はしないんだ。」
「昔と違って、今は輸血パックという便利な飲み物がありますから。」
「なら、輸血パックがお弁当になるの?」
美華の質問に、天鼠部長が苦笑いをしている。
「いいえ。私は混血なので、人間と同じ物を食します。私にとっての血は、人間で言うところの嗜好品ですね。」
「嗜好品?」
「ええ。お酒や煙草みたいなものです。必ず必要ではありませんが、楽しみとして飲むものですね。」
やっぱり、天鼠部長も血液は飲むんだ……
ドイツに行った時、美味しそうに輸血パックを飲んでいたエルザさんを思い出し、食欲が萎えてくる。
「ん?紫、どうかした?今日はあまり飲まないんだね。」
美華が心配して話し掛けてくる。
美華は血を飲む話を聞いても、平気なんだね……
「だ、大丈夫……お客さんも帰ったし、カウンターへ行ってくるね。」
「若様と一緒に居たいって言えばいいじゃん♪素直じゃぁないね!」
からかうように送りだす美華に苦笑いしながら席を立つと、後片付けをしている瞬の前に座る。
「紫、どうかしたか?」
「うん……血液の話がね……」
瞬は何かを思い出したように、苦笑いした。
「もしかして、また飲むという話か?」
「正解……もう、思い出しただけで、気分悪くなりそう……」
「まぁ、もののけの習性であれば、咎める事も出来ぬしな。」
「そうなんだけどね……」
「お疲れ。」
思わずカウンターにうっ潰した私の頭を、労うように瞬がポンポンとしてくる。
「もののけって、そんな話を聞いても平気なの?」
「まぁ、種族によっては人を襲う者や死肉を食らう者もおるからな。人間よりは平気であろう。」
「そっか……」
「その手の話が苦手ならば、何故今宵は吸血鬼を連れて来たのだ?」
「それがね……瞬がいる飲み屋を紹介して欲しいって言われてね。何でも正体を知られているのが、かえって気が楽みたいよ。」
「なるほどな。」
「それに、あの笑顔って、有無を言わせて貰えないところがあるから断れなくて……会社の女の子に見られちゃったから、明日からみんなの目が怖いんだよね……」
「我と恋仲だと言えば解決するであろう。」
「そんな簡単に行けばいいけど……」
それはそれで、色々と言われそうだもん……
はぁ……と大きな溜め息をついて、カクテルの残りを飲み干した。
翌日の昼になり、作った筈のお弁当がバッグの中に無い事に気付く。
「あれ?確かに入れたのに……」
バッグをごそごそといじっていると、天鼠部長が声を掛けてきた。
「日向さん、どうしましたか?」
「あっ、いえ……大した事では……」
咄嗟に壁を作るものの、天鼠部長は更に追い討ちを掛けてくる。
「……お困りのようでしたら、ランチがてらお話をお聞きしますよ。」
だから、それを避けたいから、わざわざお弁当を作ったんだってば……
「そこまでして頂かなくても……」
「私も色々聞きたい事がありまして、可能ならご一緒願いたいのですが。」
「い、いえ……」
うっ……周りから様子を伺う女の子達の目線が、グサグサと突き刺さる……
どう切り抜けようかと頭をフル回転させていると、オフィスのドアが、バン!と勢いよくよく開いた。天鼠部長も一緒にそちらを見ると、他の部署の女性が血相を変えて私の所まで走ってきた。
「日向さん!す、凄いイケメンが!」
「ん?イケメンがどうかしましたか?」
「ひ、日向さんに会いに!」
「えっ?」
しどろもどろの女性を宥めながら、詳しい話を聞き出そうとすると、トントンと天鼠部長に肩を叩かれた。
「日向さん、彼氏さんがいらっしゃいますよ。」
……へっ?
もう一度開けられたドアに目を向けると、微笑みながらヒラヒラと手を振る二次元イケメンの姿があった。
「瞬!ど、どうしたの!」
急いで瞬の元へ駆け寄ると、瞬は私が作ったお弁当を掲げる。
「ほら。弁当を忘れておるぞ。紫はそそっかしいな。そこがまた可愛いのだが。」
そう言って、コツンと私の頭に軽く拳を当ててくる。端から見れば、完全に仲良し同棲カップルに見えるかもしれない。
もしかして、これをする為に、お弁当を抜き取った?
疑念の目を向けるものの、瞬はニコニコと笑顔を絶やさない。
私を助けるつもりかもしれないけど、返って余計な詮索が始まりそう……
とは言え、瞬の演技を無駄にする事も出来ず、ペコリと軽く頭を下げる。
「あ、ありがとう……」
「我も紫が残してくれたおかずを詰めてきた故、一緒に食べぬか?」
「あ……それは……」
断ろうと言い掛けた声に、天鼠部長の声が被さってきた。
「ミーティングルームでしたら、特別に許可いたしますよ。」
天鼠部長……余計な事を……
「おお!それは助かるな♪」
「あはは……ありがとうございます……」
瞬が満面の笑みで答えて、私は苦笑いを浮かべる。
話が落ち着いたと見たのか、遠巻きにしていた女の子がおずおずと天鼠部長に話し掛けてきた。
「あの……天鼠部長は日向さんの彼氏さんと、お知り合いですか?」
「ええ、色々と秘密を共有する仲です。」
「そんなに仲が良いんですね~!色々と納得です♪」
何を納得したのやら……
「で、では、ミーティングルームをお借りします……」
そそくさと瞬の背中を押して、オフィスを出た。
「はぁ……びっくりしたよ……」
「これで、紫も肩の狭い思いをせずに済むであろう。」
悪びれる事なく、瞬がサラッと答える。
やっぱり、その為か……怒るに怒れないじゃん……
「まぁ、助かったよ……」
お礼を言うと、瞬は何を勘違いしたのか私の肩に手を回してきた。
「ちょっ!ここは会社なんだけど!」
「会社で無ければ良いのか?」
「そういう問題じゃぁ無いから!」
瞬から離れようとすると、瞬の腕に力が入り、余計に身体を密着させて耳元に顔を近づけてくる。
「しっ……こちらを伺っておる者がおる。ここでバレれば、誤魔化しが水の泡となるぞ。」
そう言われると、抵抗する事も出来なくなる。
「わ、分かった……」
ここは諦めて瞬に従っておこうと、小声で返事をする。だけど、瞬には別の目的があったようだ。
「仕方ない。牽制しておくか……」
「えっ?何か言った?」
小声で何かを呟いた瞬に聞き返すと、瞬は立ち止って私の髪の毛を耳に掛けてきた。
や、ヤバいっ!これって!
チュッ♪
警戒するものの一歩遅く、素早く瞬がついばむように唇を重ねてきた。
「ちょっ!瞬!」
ガバッ!と瞬から離れて睨みつけるけど、瞬は何食わぬ顔で笑っている。
「はは!紫は恥ずかしがり屋であるな♪」
「もうっ!会社でする事じゃぁ無いから!信じられないっ!」
そして、昼から何故か隣の席の男性先輩がいじけていた。
女の子達からは、
『何処であんなイケメン見つけたの?』
『合コンセッティングして!』
『天鼠部長と仲がいいのは、彼氏と知り合いだったからなんだね♪安心したよ!』
『お弁当を持って来るって事は、同棲してるの?』
と、天鼠部長との仲を疑われなくなった代わりに、あらゆる質問や依頼をされる羽目になった。
これはこれで疲れる……
そして、瞬との別れは、突然やってきた。




