第五十二話
……ん……涼しい……
熱いお湯で火照った身体に、気持ちいいそよ風が撫でていき、少しずつ意識が浮上する。
あれ?私……どうして……
ゆっくりと瞼を開くと、瞬が扇子で私を扇ぎながら顔を覗き込んでいるのが見えた。
私はベッドの上に寝かされているようだ。
「瞬……」
「目が覚めたか?」
「私は一体……」
「逆上せであろう。風呂で意識を失った故、運んでおいたぞ。」
「ありがとう……」
そっか……着物が脱げなくて、お風呂で……ずっと扇いでくれていたんだ……やっぱり瞬は優しいな……
って、あれ?私、今、乾いた着物を着てる?着てるよね!てか、寝間着を着てるよね!!
「ちょっ!瞬!」
「ん?何だ?」
焦って瞬の名前を呼ぶものの、瞬からは、ゆっくりと扇子を仰ぎながら呑気な返事が聞こえてくる。
「そ、その……着替えは……」
「濡れたままでは、身体が冷えるのでな。我が着替えさせたぞ。」
しれっと、当然のように返される。
って事は、完全に……
「……見た?」
恐る恐る、尋ねる。
「何をだ?」
「だから……」
裸とか、はだかとか、ハダカとかっっっ!!!
「あぁ、気にするで無い。紫の裸なら、我を拾った日に見ておるではないか。」
うわわっ!黒歴史を思い出したっ!しかも、上塗りしてるしっ!
「も、もう大丈夫っ!寝るからっ!」
ガバッ!とシーツを捲り、顔を隠すように布団の中へ潜り込む。
「お~い、紫。どうした?」
「何でも無いっ!」
「夕餉が届いておるぞ。食べぬのか?」
「食欲無いから、要らない!」
も、もう……恥ずかし過ぎて、顔から火が出そう……人生最大の汚点だわ……
「どうした?拗ねておるのか?」
私がくるまったシーツを捲り、瞬が顔を覗き込んでくる。
「拗ねてなんか無いから!」
「まだ顔が赤いではないか。もう少し扇いでやる故、布団から出ろ。」
「も、もう大丈夫!」
だって、この顔の赤さは、理由が違うしっ!
「ならば、寒いのか?熱でもあるのでは……」
「ほ、本当に何でも無いから!」
「風邪を引いては良く無いであろう。」
そして瞬は、シーツの中へ身体を滑らせて、私を暖めるように抱き寄せてきた。
「ん?また赤くなったか?」
「絶対に、わざとしているでしょ……」
「何の事か分からぬな♪」
分からないと言いながら、微かに笑ってるし……
「今宵は疲れたであろう。もう少し寝ておれ。」
そう言って、あやすように背中をトントンとしてくる。
あ……暖かい……
さっきまでドキドキしていたのに、落ち着く……
見た目よりも広い胸板に顔を埋めて、顔を見られないようにする。
「ねぇ、瞬……」
「何だ?」
「あの時、瞬を拾わなかったら、どうなってたかなぁ……」
「我が烏に襲われた時か?」
「うん……他の女の人が助けていたら……」
瞬は背中をトントンしていた手を止めて、髪の毛を鋤くように頭を撫でてきた。優しい手つきに、段々と瞼が重くなっていく。
瞬の手……大きくて暖かくて、安心する……
「紫も見たであろう。廊下で我が倒れておる時の人間達の反応を。」
「うん……」
「皆、触れる事さえ躊躇っておっただろ。我が烏に襲われておる時も、同じようなものであったぞ。」
「そうなんだ……」
「何の対価も無く、何も恐れる事無く、徹夜明けであっても病院を探して走り回ってくれたのは、他の誰でも無い、紫だ。」
眠い……話をしていたいのに……瞬の声が遠くなっていく……
「もし我を助けたのが紫で無ければ、我は知らずに一生を終えておっただろう。」
……聞きたいけど……もう無理……
「我に人を想う優しさを教えてくれたのは、紫だ……もう紫が我の人生におらぬ事は考えられぬ……我が悪夢を見ぬよう、ずっと傍におってはくれぬか?」
瞬の言葉の続きは、聞くことが出来なかった。
翌朝、人間界へ帰る前に、瞬のお父さんに挨拶をした。
「お世話になりました。」
正座をして深々と頭を下げて挨拶するものの、瞬のお父さんは憮然としている。
あれ?何かあった?
お父さんは不機嫌さを全面に出したまま、隣で正座している瞬に目を向けた。
「瞬、何をしておる。」
「何と申しますと……」
「あれだけお膳立てをさせておきながら、何故手付けをせぬ。」
あはは……やっぱり気配で分かるんだ……
何かあったのでは無くて、何も無かったから怒っているのね……
「父上、申し訳ありません。少々風呂で遊び過ぎたようで、紫が逆上せてしまいました。」
「風呂か……」
瞬のお父さんはチラッと私の首筋を見ると、今度は満足気に笑った。
「はは!報告通りか!まぁ若い故、手加減を間違う事もあろう。」
ん?私の首筋に何か付いてる?
それよりも、やっぱり様子を見に来た人がいたんだ……お、落ち着かない……
何故か納得した瞬のお父さんは、また来るようにと言って解放してくれた。
「何で私の首筋を見て、納得したんだろう……」
アパートへ帰り、鏡で首筋を見て見る。
「あ~っ!何これ!」
首筋には、くっきりとした鬱血の痕が……
「瞬……もしかしてこれって……」
首筋の痕を見た瞬は、ニコニコと笑顔を浮かべている。
「我の所有の痕であるな♪」
「はぁ?いつの間にこんな痕を付けたのよっ!」
「風呂で付けたではないか。覚えておらぬか?」
そういえば、後ろから抱き締められている時に、チクッとしたような……
うわわっ!また思い出しちゃった!
ボフッ!と一瞬で顔が沸騰する。
「そ、それは……」
「忘れておるならば、再現するか?」
瞬は獲物を狙うような目で、ジリジリとにじり寄ってくる。
「ちょっ!再現しなくてもいいから!」
瞬が寄る度に後退るものの、壁際まで追い詰められてしまった。
瞬はトンと壁に両手を突いて、逃げられないように囲い込んでくる。
「紫……」
少し屈んだ瞬の綺麗な顔が、ゆっくりと傾いて首筋に近づいてきた。
「覚えてるからっ!」
私の叫びに、ピタッと瞬が止まる。
「ほ、本当に再現しなくても大丈夫!これ以上痕が増えたら、隠すのが大変だから!」
「隠さずとも良いではないか。」
「恥ずかしいじゃん!」
「な~んだ、残念であるな♪」
ちっとも残念そうな素振りを見せずに、瞬は私から離れていった。
か、からかわれた……
明日はストールを巻いて出勤しなきゃ……




