第五十一話
屋敷の離れに戻ると、既にお風呂のお湯が張られていた。ロココ調ベッドの上には、ご丁寧に寝間着と手拭いが並べて置いてある。
はぁ……ガラス貼りのお風呂に入れって事だよね……今夜は我慢して、アパートに帰ってから入ろうかな……
「瞬、私はお風呂は遠慮しておくから、入ってきて。」
「ん?何故入らぬのか?」
「だって……ガラスが……」
私が何を言いたいのか悟ったようで、瞬は苦笑いをしている。
「別に覗きはせぬぞ。」
「でも、気分的に落ち着かないんだよね。」
「分かった。」
瞬は軽く肩を竦めて、そのままお風呂へ向かった。
暫くするとお風呂から私を呼ぶ瞬の声が、聞こえてきた。
「紫、手拭いを取ってくれぬか?」
「手拭い?ちょっと待ってね。」
えっと、手拭いは確かベッドの上にあった筈……
着替えを整理していた手を止めて、ベッドに置いてある手拭いを持ってお風呂へ向かう。
って、どうやって渡せばいいの?が、ガラス貼りだよね!
いや……見なければいいだけじゃん……焦る事は無いって……
目線をなるべく反らし、ガラス貼りの壁を背にして、何故か横歩きで扉に近づく。
「瞬、入り口に置いておくから、私が居なくなった後に取ってね。」
「別に我は、見られて減るものは無いぞ。」
「私が減るの!神経がすり減るの!」
「はは!何を……」
瞬が言葉の途中で、ピタッと黙ってしまった。
ん……?どうしたんだろう……
と思った瞬間、ガラッ!と扉が開いたと同時に、いきなり腕を掴まれてお風呂の中へ引きずり込まれた!
「うわっ!」
な、何?!
と思う間もなく、ドボン!と着物を着たまま湯船に落とされた!
「ちょっ!いきなり何なのよっ!」
「しっ!人が来る故、騒ぐな。」
湯船の中で、後ろから抱き締めるように口を塞がれる。
「むぐっ……」
「先程、一瞬だけ結界が解けた。我らの様子を見に来た可能性がある。」
「むぐむぐ……」
「このまま、一緒に入っておるフリをするぞ。」
「むぐ……」
フリをしなくても、実際一緒に入っているし……着物着てるけど……
そんな突っ込みは心の中に留めて、軽く頭を動かして何とか返事をする。
瞬は私の返事を確認し、口を塞いでいた手を離した。
「紫、大丈夫か?」
解放された途端に大きく息を吐き出すと、瞬が後ろから顔を覗き込んできた。
って、顔が近いっ!思った以上にきめ細かい肌を持った綺麗な顔がっ!
「だ、大丈夫!」
「そうか?やけに顔が赤いが……」
「お湯が熱いだけよ!」
「ならば良いが、あまりにもうぶな反応である故、初めて男と一緒に風呂に入ったのかと思ったぞ。」
うっ……す、鋭い……
「そ、そんな事ある訳無いじゃん!それなりに経験あるもん!」
うん、小さい頃、お父さんと入っているし、嘘はついていないよね……
「ほう……」
瞬の声が、見栄を見透かすように低くなった。
「ならば、このような事も勿論経験済みだと……」
後ろからクイッと顎を持ち上げられ、肩越しに現れた瞬の顔が首筋に触れた。
えっ……?
首筋に柔らかいものが当たると同時に、チクッと軽い痛みが走る。
「ちょっ、ちょっと!何するの!このエロ狐っ!」
身をよじって瞬から離れようとするものの、後ろからガッチリ腕を巻きつけられている状態では、抜け出す事も出来ない。
「ははっ!紫があまりにも可愛いのでな!」
「そ、そういう問題じゃぁ無いっ!」
「すまぬ、すまぬ。もう少しゆっくり浸かろうではないか。」
瞬は大きめの声で笑った後、今度は声を潜めて、耳元に顔を寄せてきた。
「今は、風呂の側に気配がある。このままやり過ごすぞ。」
「わ、分かった……」
もう、絶対に顔が真っ赤だわ……お風呂のお湯も熱いし、逆上せそう……
暫くすると、瞬は私の身体に巻きつけていた腕をほどいた。
「もう大丈夫だ。」
やったぁ~!やっと解放される!
「じゃぁ、先に上がるね!」
そそくさと退散するために、立ち上がろうとする。
うわっ!
「お、重い……」
お湯を吸った着物は、立ち上がるのも困難な程、重くなっている。
「ど、どうしよう……」
再び湯船に腰を下ろすと、瞬の腕がまた後ろから伸びてきた。
「帯を解くのも大変であろう。」
そう言って、帯締めに手を掛ける。
「もうっ!エロ狐は触らないでよっ!」
「ならば、紫は解けるのか?」
「これくらい出来るよっ!」
瞬に代わって、帯締めを解こうとする。
あれ?解けない……
お湯を吸った紐類までもが、固くなっているみたいに動かない。
「濡れて、滑りが悪くなっておるからな。心配せずとも、解くのは帯だけだ。大人しくしておれ。」
「う、うん……」
「見え難いな……もう少し我に寄り掛かれぬか?」
帯を解くだけで、他意は無いよね……どっちにしろ着物を脱がないと、湯船から出られないし……
言われたとおりに、瞬へ寄り掛かる。瞬は精悍な顔を再び肩越しに覗かせて、帯締めに手を掛けた。
「まだ解けない?」
「もう少し待て。中々難しくてな……」
横を向くだけで触れそうな距離にある瞬の顔を、チラッと盗み見る。
瞬の睫毛って、意外と長いな……すっと通った鼻筋とか……肌なんて、女の私より綺麗な気がする……それに、着物越しでも分かる引き締まった胸元……
って、今、瞬は裸だよね?!
裸の瞬に後ろから抱き締められているような状況に、改めて気付いた。
も、もう無理……死にそう……この状況だけで逆上せる……
「よしっ!帯締めが取れたぞ!帯を解く故、少し前屈みに……って、紫?」
瞬が話掛けてくるけど、頭がぼぉ~っとして上手く声が出ない。
「おい、紫?大丈夫か!顔が真っ赤であるぞ!」
げ……限界……
目の前が真っ暗になり、そこで意識が途絶えた。




