第四十三話
ドイツの空港に到着すると、電車やタクシーを乗り継ぎ、最後は歩いて一つの古城に辿り着いた。
錆び付いて、ギギ……と音を立てながら開く扉が、何世紀も持ち主が居なかった事を物語っている。
「日向さん、どうぞ。」
天鼠部長に促されて足を踏み入れると、歩く度に埃が舞う状況に、思わず咳き込んでしまう。
「コホッ……天鼠部長、まさか今夜はここに泊まるとかは無いですよね……」
「失礼しました。すぐに、掃除しましょう。」
そう言うと、天鼠部長の瞳が赤く光った。すると、何処からともなくメイド服を着ている透き通った女性数人が音もなく現れて、モップや雑巾片手に掃除を始めていく。
た、タダで家事代行……ある意味羨ましい……私の部屋もお願いしたいわ……
妙な関心をしている間にもテキパキと掃除は進められ、あっという間に埃一つ無い綺麗なお城に変わった。
「まずはダイニングでお茶を頂きましょう。」
天鼠部長は勝手知ったる様子で私達を案内していく。
「天鼠部長は、ここをご存知なのですか?」
「ええ。幼少の頃、少しだけ母と隠れ住んでいました。ですが、何処に祖父が眠っているかは分かりません。」
「そうですか。」
「もう夕方になります。夜は暗いので日向さんは動き難いでしょう。朝になったら一緒に捜索しましょう。」
って事は、私も捜索するのね……昼でもお化けが出てきそうなんですが……
とはいえ、拒む事のも無理そうだ。
「……分かりました。」
渋々、首を縦に振った。
「ところで天鼠部長、お手洗いは何処ですか?」
「あぁ、大変失礼しました。ご案内致します。」
相変わらず読めない上品な笑顔の天鼠部長に、古城の長い廊下を歩いて連れて来られたのは、ベンチが置かれた小部屋だった。
「こちらがトイレになります。」
天鼠部長はそう言って、ベンチの板を取り外した。そこには空洞があり、微かに外の光が見える。
「えっと……これは……」
私が戸惑っていると、天鼠部長は昔を懐かしむように微笑んだ。
「そのまま外に棄てられる、当時としては画期的な最新トイレです。」
「そ、外にそのままですか?」
「はい。その頃みんなは、"おまる"を使用していましたから。街中なんて、棄てられた排泄物で溢れかえっていましたよ。」
「嘘っ……」
中世ヨーロッパの華やかな印象が、汚されていく……
く、臭そう……
「日本に住み始めた頃なんて、排泄物を買いに来る方がいらっしゃって、驚いたくらいです。」
「そ、そうですね……」
そう言えばハイヒールって、排泄物が足に付かないよう作られたって聞いた事があるような……香水も臭いを消す為だったと……
日本では昔は肥料に使われていたから、街中に溢れるとか想像もつかないんだけど……
使い方の説明を受けた後、天鼠部長と付いてきた子狐ちゃんにも外に出て貰い、改めてトイレの空洞の覗き込む。
ここって、結構な高さがあるよね……もし落ちたら、確実に死にそう……何百年も前からの排泄物にまみれて死ぬのだけは、絶対に嫌かも……
「もう、帰りたい……文明が恋しい……」
私の嘆きは、トイレの穴へと吸い込まれていった。
ディナータイムになり、人の姿になった瞬も一緒に、大きなダイニングのテーブルで豪華な食事を頂く。
この食材、何処から持ってきたんだろう……それよりも、目の前のエルザさんの食事が……
お腹が空いている筈なのに、どうしても食欲が萎えてしまう。
カチャ、とカトラリーを置くと、天鼠部長が気遣うように声を掛けてくる。
「日向さん、何処か具合でも悪いのですか?」
「い、いえ……そういう訳では無いのですが……」
そう言いながら、チラッとエルザさんを見る。
だって、目の前で輸血パックを美味しそうに飲んでる人が……食欲萎えるって……
私の視線に気付いたエルザさんが、ジロッと睨んでくる。
「何よっ!そんなに見ても、これはあげないわよ!」
輸血パックを私から隠すように、背を向けるエルザさん。
いや、むしろ血を飲む姿を見たくありませんので……
どうやっても食が進まない私に気付いた瞬が、席を立ち上がり、私の傍へやってきた。
「人間は我々よりも体力が無い故、疲れが溜まっておるのであろう。先に休ませるとしよう。」
ありがと~♪助かったよ、瞬!
瞬に同調するように、天鼠部長も頷いている。
「無理をさせてしまい、大変申し訳ありません。後でサンドイッチを部屋に運ばせますので、お腹が空いたら食べて下さい。」
「お気遣いありがとうございます。では、先に休ませて頂きます。」
軽く頭を下げて、ダイニングを後にした。
「瞬、助かったよ……あのまま居たら、吐きそうだったよ……」
客間までの長い廊下を歩きながら、瞬に連れ出してくれたお礼を言う。
「紫の顔は、かなり引き吊っておったぞ。だが、あの二人には、原因がわからぬであろうな。」
「こっちは目の前で血を飲んでいる姿を見るだけで、倒れそうなのに……」
「異国のもののけも、色々であるな。」
「瞬達で見慣れていると思ってたけど、やっぱり慣れるものじゃぁ無いね。」
廊下には光が無く、瞬が持っている蝋燭立てだけが頼りだ。ゆらゆらと揺れる灯りが、廊下の脇に飾られている骨董品の数々が、余計な不気味さを演出している。
今にも鉄の鎧が動き出しそう……怖すぎじゃん……
電気が恋しい……
ビクビク怯えながらも、何とか客間に辿り着く。
ベッド脇にある荷物に近付いた時、瞬の手にある蝋燭がふっと消え、部屋の中は真っ暗闇になった。
「うわわっ!」
咄嗟に瞬にしがみつくと、呑気な声が聞こえてくる。
「何だ。紫、あまり可愛いらしい事をするでない。我慢出来ぬであろう。」
「そんな事言ってる場合じゃぁ無いじゃん!」
「すぐに灯りを点ける故、少し落ち着け。」
瞬から指をパチン、と弾く音が聞こえると、ふわっと瞬を手のひらから青白い炎が出てきた。
「……それは?」
「狐火だ。これで良く見えるであろう。」
流石はもののけ……ある意味、羨ましい……
「よし、部屋の中を探索するか。」
私から離れて部屋の中を歩き出そうとする瞬を、腕を掴んで引き止める。
「な、何で散策?」
「蝋燭が消えた時、窓は音を立てておらぬだろ?何処からかすきま風が入っておる証拠であるしな。紫はゆっくりして寛ぐが良い。」
ちょっと~!まだ怖いんだけどっ!
「嫌だ!絶対に離れない!」
ギュッ!と瞬にしがみつくと、瞬は嬉しそうに笑っている。
「おお、それは中々魅力的な誘惑であるな♪」
「笑っている場合じゃぁ……」
瞬は私に向き直ると、私の髪の毛を耳に掛けて言葉を遮るように、チュッ♪と額にキスを落とした。
「なっ!な!」
何でぇ~~~?!
固まる私を他所に、瞬は満足気に笑っている。
「ならば、一緒に散策するぞ♪」
何で今、キスを……
疑問に思うものの瞬と離れる恐怖が勝り、コクコク……と顔を縦に振って答える。
そして、窓際や壁づたいに、炎をかざしていく。
「……ここだ。」
瞬がピタッと止まったのは、クローゼットらしき扉の前だ。炎が風に揺られているのが、はっきりと分かる。
「開けるぞ。」
「う、うん……」
瞬の腕にしがみつきながら返事をすると、瞬は何の迷いも無しに扉を開ける。更に内側の壁をコンコンとノックしているうちに、側面だけが明らかに違う音が鳴った。
「蹴破るぞ。」
壁に向かって瞬がバンッ!と蹴りを入れる。
「……これって、まさか……」
壁が外れて現れたのは、隠し階段だった。




