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第三十六話

 休み明けから、怒涛の仕事ラッシュが始まる。革紐を通して首からぶら下げた勾玉に服の上から手を当てて、朝の晴れた空を見上げた。


鬼塚部長……紅姫と一緒に見守っていて下さい……


「……よしっ!」


気合いを入れてオフィスのドアを開ける。すると、何だかオフィス全体が少し浮き足立っている雰囲気ように感じた。

不思議に思いながら自分のデスクに座ると、隣に座っている男性先輩が嬉しそうに話掛けてくる。


「日向、知ってるか?」

「何をですか?」

「今日から鬼塚部長の後任が来るらしいぞ。」

「そうですか……」

「鬼塚部長なんて、人の事はむちゃくちゃ怒る癖に、自分は仕事を投げ出して突然辞めちゃったもんな。今度は優しくて、最後まで責任を持って仕事してくれる人がいいよ。」


鬼塚部長は辞めたくて辞めた訳では無い……でも、会社で鬼塚部長の最期を知ってるのは私だけ……


反論したい気持ちを抑えて、返事をする。


「……いい人だったら嬉しいですね。」


ぎこちない笑顔を向けながらそんな話をしていると、今度は別チームの女の子がオフィスへ飛び込んできた。


「新しい部長、めちゃ顔面偏差値高かったよ~!社長室へ入るところ見ちゃった♪」


顔面偏差値が高い?イケメンって事?


ピコーン!と妖怪レーダーが立つように、反応してしまう現金な私……


「何でも、ヘッドハンティングされたやり手だってさ!」


ふむふむ……とりあえず、観賞用にはなるかな……


だけど最近、高スペックの瞬を毎日見ているせいか、前ほどイケメンを見ても、ときめきが少なくなっているのも確かだ。


女の子達が色めき立っている会話を横目に見ながら、パソコンを開く。


ライターさんからデータは届いてるから、後は……


頭の中で仕事の算段を突けていると、オフィスのドアが再び開き、社長と一緒に背の高い見慣れない男性が一人入ってきた。

男性は、イギリス人ハーフのように色白ではっきりとした顔立ち、だけどアジア系のように真っ黒な髪の毛が印象的だ。


天鼠(てんそ)・ヴラド・(けい)と申します。よろしくお願いいたします。」


天鼠部長は紳士的に微笑んで、優雅にお辞儀をしながら、低音ボイスで自己紹介をする。


「ほぉ……美し過ぎる……」

「あの声、堪らないわ……」

「やっぱりハーフだ♪」


女子社員達のうっとりした溜め息混じりの声が聞こえる。

天鼠部長はみんなを見渡して、再度口を開いた。


「皆さん一人一人と早く馴染みたいと思っていますので、順にランチをご一緒させていただけませんか。」


その言葉を聞いて、一人の女子社員が小さく手を挙げた。


「あの……順にって事は、一人ずつでしょうか?」


穏やかな笑みを浮かべて、天鼠部長が答える。


「ええ。そうでないと、お一人お一人とゆっくりお話しが出来ませんから。それからお店ですが、皆さんのお気に入りに案内して頂けませんか?素敵なお店を教えて頂いたお礼に、ランチは私にご馳走させて下さい。」


す、凄い太っ腹……


「どうする?何処へ行く?」

「私はホテルのランチにしよっと♪」

「俺、久しぶりに牛丼以外を食べに行こうかな!」


回りは既に、天鼠部長と何処へ行こうかと盛り上がっている。


何だろう……人なのに、人成らざる者のような……


みんなと和やかに話す天鼠部長を見ながら、私は微かに不思議な感覚を覚えていた。






 この日は美華の都合が付かず、仕事の後に一人でビュヴールへ向かっていた。


ん?あれって、もしかして天鼠部長?


私の少し前を歩く、一際背の高い黒髪の後ろ姿を見つける。


挨拶くらいはした方がいいかな……


とはいえ、他人の空似の可能性もあるし、今日赴任してきたばかりの人に追い掛けて話し掛ける程の親しさは無い。


まっ、どうせ駅よりも手前にビュヴールがあるし、気付かなかった事にしておくか……


そう決めて、一定の距離を保ったまま駅までの道を歩いていると、背の高い黒髪の人はビルの隙間に入って行った。


あれ?このビルは最近隣と繋がった筈だから、抜け道では無いけど……喫煙所でもあるのかな……


そのビルの隙間を通り掛かる時、何気無く隙間の奥に目を向ける。


「え……?嘘っ!」


歩いていた足が驚きのあまり、ピタッと止まった。袋小路になっているそこには誰の姿も無い。私が足を止めたと同時に一匹のコウモリが飛び立っていっただけだ。


……どういう事?まさか天鼠部長も、もののけ?


「……」


んな訳無いか!見間違えだよね♪天鼠部長はハーフみたいだし、もののけでは無いしね!


最近もののけばかり出会っているから過敏になっているだけだと自分に言い聞かせるように納得して、ビュヴールへと再び足を向けた。





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